読書㊳ 『移動祝祭日』(ヘミングウェイ、高見 浩訳、新潮文庫) | そういえば・・・

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橋本商工株式会社の社長のブログです

なんともカッコいいエピグラフから始まる。

 

もし幸運にも、若者の頃、

パリで暮らすことが

できたなら、その後の

人生をどこですごそうとも、

パリはついてくる。

パリは移動祝祭日だからだ。

~ある友へ アーネスト・ヘミングウェイ

1950年

 

 

うー残念!若い頃パリで暮らして

いなかった(笑)。

ヘミングウェイの小説は結構な数を

読んだが、小説外は今回が初めてだ。

 

 

1920年代、ヘミングウェイがパリでの

修業時代を回顧した作品。本人が自死した

のちに遺族から出版された作品である。

第一次世界大戦後の彼の地で、若き

〝ヘム“がその当時、刺激を受けた

交友関係や、著作法、生活がいきいきと

描写されている。

 

研究では「虚」と「実」が入り乱れ、

フィクションとノンフィクションの

ところがあるとされている。

素人であるわたしは(分析は)めんど臭い

ので、文章を額面通り受け取って読む

ことにした。

 

 

大きく影響を受けたのにガートルード・

スタインという人がいた。

こんな人がいたことも知らんかったが、

パリの文壇ではちょっとした有名人で、

彼女の眼鏡にかなったら成功する。

無名だったピカソやマチス、ブラックの

才能を逸早く見出だし、絵画を収集する。

彼女のサロンはまるで美術館のようで

あった、と回想される。

作家へも同様。アメリカの若い作家は、

ヘミングウェイを含め、彼女との交友を

持とうとした。

 

ガートルード・スタイン

 

 

また、スコット・フィッツジェラルドも

友人で、共に旅に出たりする仲。

文章途中から、精神薄弱とか散々な

書かれ方だが、ヘミングウェイ自身は

そもそも彼に(その文才を)見いだされ、

大手出版社を紹介されたりで、恩人の

一人であるのだ。

 

スコット・フィッツジェラルド

 

 

ロスト・ジェネレーション、

「自堕落な世代」という意味だそう。

第一次世界大戦後のヨーロッパは荒廃し、

ドルが価値を持った。パリも同じで、

アメリカの若者でも、そこそこ金が

なくても何となくやっていけた、

そんな時代。

若者は酒を飲み始めると死んでしまうか

のごとく大酒を食らい、無鉄砲。

スタイン女史に「あなたたちロスト・

ジェネレーションは・・・」と言わ

れる始末。

 

 

ヘミングウェイ流の創作の方法は

「創作にとりかかっているときの私は、

その日の仕事を終えると、だれか別人

の本を読む必要があった。

そうしないで仕事のことばかり

考えていると、翌日再開する前に

迷路にさ迷いこんでしまう。

だから、一仕事終えた後は何か運動を

して、肉体を疲労させる必要があった。

・・・(中略)・・・

仕事を再開するまで頭を使ったり

悩んだりせずにすむように、誰かの

本を読むことが必要になったのである。

創作の井戸をからからに涸れさせず、

まだ井戸の底に水が残っている段階で

いったん切り上げて、夜のあいだにま

た泉から注ぐ水が満たされるようにする

ーそれが最善の策だということに

私はすでに気づいていたのだ。」

(「移動祝祭日」42頁)

 

やり過ぎは良くないよ、ということです。

 

 

(パリ時代を共に過ごした)最初の妻・

ハドリーが不注意からリヨン駅で

ヘミングウェイの未発表の草稿が

入ったスーツケースを盗まれ、

二人は大ショック。

彼らが別れて何十年もたった1956年に

パリのリッツホテルでそれが見つかり、

その一部がこの『移動祝祭日』となった。

 

4番目の妻が、冒頭のエピグラフと

タイトルを決めたのだが、それは

実際、ヘミングウェイが〝ある友“

(=ホッチナー)にかつて若き日の

パリ滞在を回想して伝えた言葉であった。

 

セピア色になってしまった記憶を

手繰り寄せ、ハドリーとの慎ましいが、

楽しかった当時をいきいきと回顧した

著作である。