原作.原作者.原作ファンに寄り添うとは。 | 春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬くんはみくびれない男。
天晴れ春馬。
偏愛ブログです、ご了承下さい。
seasonⅡは、はてなブログから。



前投稿で、
芦原先生のこと、
最後に書かせていただきましたが、

少し追記させて下さい。


かつては
割と小説をよく読んでいて、
好きな小説が実写化されたものは
概ね鑑賞していました。


原作ありきの原作ファンという身で、
実写を観に行くと、
どうしても、
残念に思うことがたいていで、、

良く出来ている、と思っても
時間制約のせいか、、
表現の難しさからか、
のちの布石となる
プロセスが省かれている事があり、
それは、、
残念な気持ちになる。

それらは、
地味でなにげない場面であっても
のちの展開を示すにあたり重要な場面、、



様々なことから
原作は
TV、映画化されたら、もう別モノになる。

ある意味それが定説で、
原作者もそう言った覚悟が必要なの
かも知れない、、と言う考えもある。

もちろん、
別モノを楽しめる原作者もいれば、
別モノとして割り切れる者もいる。
そして、
それが互いのある思惑に合致する、、
そう言う事もあるのでしょう、、。



今回は違った、、と言うだけで。



別モノになる。

それが、定説であるのは
芦原先生もよくわかっていただろうと思う。
それが故の、
原作通りに制作して下さるなら、、
との指定だったのでしょうし、

そしてそれは、
芦原先生のコメントによれば、
制作サイドさんに失礼なお願いに
なってしまうので、、
もしそれでも良いと言って頂けるなら、、
とまで念押しをされている。


まだ、原作が掲載中で終わってない中、
先生の思い描く着地点にたどり着く為に、
それを邪魔するような、
違った色のモノは残したくなかったのかな、、
とも思う。




原作とは別モノ、、
この定説を覆す、
イレギュラーなお願いであり、
それは制作サイドの自由度を
奪う様な申し訳ないお願いであるのは
承知の上だけど、、
もしそれでも良かったら、、、
と言う事だったのでしょう。。

それぞれの分野の
才能あるプロの方に、
自分の作品の
トレースをさせてしまう様な
仕事をさせてしまうけど、、
良いですか?と。


自分の希望をしっかり伝えながらも
とても謙虚な姿勢での伝文になっている
と思う。



しかしながらだ、、
このトレース作業こそ
才能豊かな、情緒豊かな者でなければ
出来ないのだと思う。

芦原先生と同じ、
もしくはそれ以上に
この作品を愛し、寄り添い、
芦原先生が伝えたいとするものを
深く理解できる人間力、センス、
そういったものを持ち合わせてなければ、
原作を忠実に違うプロットに、
落とし込むなんて出来るわけが
ないんだよね。


芦原先生と同じ情緒、才能を持つ
人間がどれくらいいるのだろうか。

ある意味、
本気の芦原ファンじゃなきゃ、
出来ないんだよ、、その役割は。




そして、、
肯定感を高く持てない人に
寄り添う物語だ、、
自己肯定感満々で、自分と異なる者に
寄り添おうとする気持ちを
持てないモノにはまず無理だろう。


だから、結局は
少し原作と言うネタを頂き、
売れやすい様、視聴率上がりやすい様に
そこを踏まえ、
自分達のやりやすい方法でやるのが
いちばん楽ってことになり、
あの世界では評価が得やすい、、
そんなとこもあるんじゃないのかな、、





本当
日テレと小学館の間で、
いったいどんな条件の話し合いが
されていたのだろうか?




小学館の担当者、、
とても良い方、、
そんな投稿もみた、、
個としてはそうでしょう、、
今どれだけ、、
悔しく打ちひしがれている事か、、

そして、、
芦原先生のファンの方の
悲しみの深さをはかることなど
出来ない、





超プロフェッショナルな人が、
忙しい忙しくないにかかわらず、
他の分野のプロの仕事にまで、
手をだす、、とは、、相当な事だ。
出すべきでない事は
同じプロとしてそんな事は、
十分にわかっていただろう、、、

なぜ、そこまでのことに、、




いったい、
どれくらいの人が、
芦原先生の“本気”を理解していたのか、、



まさか、、
視聴率が取れ、
新しいファンがつけば、
どうせ原作者だって
いつものごとく、納得するだろう、、
終われば丸められる、、
そんな安易な気持ちで
いたわけじゃないだろうね、、

優しい芦原先生だから、、
折れてくれる、、とか思ってた
わけじゃないよね、、


愛を持って、純粋な思いで、
情熱を持って作品を作る人間は、
例え弱々しく見えたところで、
そう簡単には折れない。

ビジネスライク、利益優先、
手っ取り早いとりあえずの結果ありき、
互いの折り合いばかりつけまくり、、
そればかりに浸っていると、
そう言うことがみえなるのかも知れない。






たしかにTVが輝いていた時期はある。
オリジナル脚本のドラマが、
とんでもなく面白かった事も、、。

TVが、小さなπの漫画なり小説なりを
広げていった、、
そういう役割を果たした事も
あったのでしょう、、。



でも今はどうだろう、、
日本が世界に誇れる文化は
TVなかのか?アニメや漫画なのか?



もう、立場は入れ替わった。



先端をいくべきTVが
いつまでも古い意識のまま
変われずにいるのではないだろうか。



全てとは言わないが、
今や、TVなりが、
原作の内容と人気の高さに
助けられている、、
そう言う部分はあるでしょう。






そして、、
全く違う出来事であっても、
今回の日テレ、小学館の
この構図、この事務的な対応、

三浦春馬さんの事に
重なってしまう。。



春馬くんの時は、
概ね、
春馬くんのファンだけが反応する、
と言った事だったろうと思うけど、

今回は
芦原さんファン以外の多くの方が
問題意識を持っていると言う事に
救いを感じる。


本当に、、
2度とこんなことが起きない様、
原因解明の上再発防止をどう考えるのか、
責任あるべき各立場の方からの
真摯な言葉がある事をせつに願う。


奇しくも、、
今回の芦原先生のこと、、銀魂のこと、、

相変わらずの
責任部署の無責任で他人事な
発信に落胆すると同時に、

原作、原作者、原作ファンに
どう寄り添うべきなのか、

両方の側面、立場において、
あらためて、考える事になった出来事、、



わたし達の立場として、、
どこかで悲しみを言い訳に、
どこかで悲しみを武器に、
何をしてもいいわけでもなく、
何を言ってもいいわけではないこと、
この事も忘れてはいけないことの
ひとつ、、。




芦原先生、、
今日だけ画像をお借りします、、

明日には、削除します。
そして、、セクシー田中さん、、
ちゃんと買って読みます。。



恋はいらないの、、
欲しいのは尊重される事、、

彼女は知っているのよ、
自分を助ける最良の人は自分だって。

曲がった背筋を
何度も、
何度でも伸ばそうと思ったの。