「人としての信義にもとります。」/ひとり銀魂祭り8。 | 春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬くんはみくびれない男。
天晴れ春馬。
偏愛ブログです、ご了承下さい。
seasonⅡは、はてなブログから。



お返事もままならぬ中、

引き続き

メッセージ、コメントを

本当に、本当に、、

ありがとうございます。

お祭りが終わりましたら、

返信させて頂きますので

宜しくお願い申し上げます。



ひとり銀魂祭り、最終日です。

 

最終日と言うこともあり、、

少し長くなりますが、

できたら、

今日は最後まで読んで欲しいかな、、






昨日、

三浦春馬はふるさとのようだ、、

と、記しましたが、、

春馬くんだって人間、


多分、

尖った時もあれば、

荒れた時あっただろうとは

思います、


若い時のメイキングを見ると、

尖ってるな、、とか

春馬くんもう少しだけ違った言い回しの

方がよくない?などと、笑

思うこと、、なくはないかな、、😹



もともと、

素晴らしいモノを授かり、

この世に現れてきてくれたとは

思うけれど、、


最初から

成熟していた訳でも、

ふるさとの様な男であったわけでも

ないでしょう。



春馬くんが、

自分のどの様なところを

いつから自省していったのかは

わかりませんが、

そんな事を心にとめながら、

だんだんと“ふるさと”の様な

男へと進化していったのでしょうね、、













春馬くんは、
何もかも自分の心の中に秘めたまま
旅立ってしまった、、
何も残さずに旅立ってしまった。

またそれが、
春馬くんの優しさ、、
と、、いったものを見かけます。


確かにね、、
今の状況をふまえれば、、
そうね、、
と言うしかない。


何か問題提起をするよなことを言えば、
例え少数であったとしても、
必ず幾らかの人を傷つけてしまう。


それをわかっていただろう春馬くんは
何も言いたくはない人だったかもしれない、
とくに、影響力を持つ立場として、、
それでも、
そんな何もいいたくはない彼が
いくつかのつぶやきをしているし、
自分の事だけで済むような事に関しては
かなり本音をキチンと語っていると
思う。

そんな彼だ。

何も言いたいことがなかったわけは
ないだろうと思う。



だから、、
わたしは、、

春馬くん、、
何もかも、置きっぱなしにして、、
とっ散らかったまんま、
旅立ちやがって、、、
と、
そんな気にもなってしまうのです。。



本当に、
何もかも隠し持ったままで
旅立ったのでしょうか、、


結果的にそうなってしまっただけ、、、

と言うような事はないのでしょうか、、



本当は、
何か残していたんじゃないか、、
誰かはそれを知っているんじゃないか、
だけど、
出せずにある状況なんじゃないか、、

もしくは実は何かを
だそうとしていたところだったんじゃないか、



全てを持っていった、
いや、
言いたかった事がどこかにあるはず。


わたし達の様な立場からは、
どちらともいいきれないのでは
ないか、、と思う。




公式発表で、ウソはないにしても
出すべき事柄を出してはいない、、
と言う事はあるのだろうと思う。


こう書くと、
結局知りたがり、、とか
言われたりもするけど、

そう言う事ではないんだよね。。




人としての信義にもとります、、。


せめて、人としての
そういった範囲でもう少し
何かを話すことできませんか、、
何か言うべきことありませんか、、
と。


遡って見てみれば、、
あそこだって、
たしかに、
何もやっていないわけではない。

しかしながら、
やる度に、
なんだか、、モヤっとし
さらに不信感が増していく、、

そんな事続きの、
あれからの2年3年だったのでしょう、、


それらを
うんとあとから、
先入観なくひとりで
総集編の様に見たわたしだけど、
やはり、
違和感、不自然感、、異様を感じ、
残念な苦しい気持ちだけが残った。



結局、
悲しみの上に、
悲しみを塗り重ねてしまうような
結果を招く対応しか出来ない
所属には、本当に疑問しかない。

そして、
その悲しみを何年も放置したまま。

放置するしかない事情がある、、
そう取られても仕方ないと私は思うが、

そうではなく、騒ぐファンが異常、  
そんな状況には本当にやるせない。





アーティストとファンも合わせ鏡。

所属とアーティストとファン、
これは本来は信義により成り立つもの。

果たしてそうなっているのか、、




どうしても不透明が、
あまりに多く残される中、

春馬くんをどう語るべきかは
本当に難しく、

そして、
色々な受け止め方が派生してしまう。



陰謀論者、ただのオタク、
追求派、擁護派、、

そんな簡単にくくれるほど、
単純な事ではないと思っているが、

これらの言葉を借り、
乱暴にすみわけしたなら、
わたしは、陰謀論者で追求派、、
と言うことになるんだろう。


ここからは、
あくまでわたしの個人的な気持ち
(ま、毎回毎回個人的な気持ちだけど)
になるけれど、、

陰謀論者、追求派だからと言って、
Twitterなり各ブログなりで、
陰謀論、追求的な事を記している投稿の
全てを肯定し好きになれるか、、と言えば
そんな事もなく、

オタク、擁護派の投稿の全てに対し
否定的になり好きじゃないないかと言えば
そんな事はない。


陰謀論者の投稿であろうと、
擁護派の投稿であろうと、
好きなものもあれば、
好きじゃないものもある。

あくまで、投稿者そのもの全てを
好き嫌いではなく、
あるひとつのサイトの中にも
好きな投稿もあれば好きじゃない投稿も
あると言う事。


これは、何か、、と言えば、
内容そのものがあまりに酷いものは
別とし、、

内容そのものの良し悪しより、
それを表すときに使う
言葉使いであったり、表現の仕方が
あまりに汚い、あまりに乱暴、
あまりに攻撃的、、
そんなものを目にすると、
例え内容に間違いはなかったとしても、
ものすごくあと味の悪いものとなる。

辛口にいえば、
投げかけようとしている内容に
賛同するしない以前に、
そういった言葉を選ぶ投稿者に
賛同する気になれなくなるのだろう。



それは本当ですか?と、
とんでもなく踏み込んだ事を記す
陰謀論者さんの投稿であっても
不思議と気分の悪くならないものも
あれば、、
いかにも正義、といった内容なのに
なぜかしっくりこない陰謀論者さんの
投稿もある。


擁護派にしても、
春馬くんに愛を持って語って下さる
方もいれば、、
いくら常識的な事、真っ当なことを
記していてもあまりに言葉、文が
乱暴すぎてみるのが辛くなるものもある。
そこまで陰謀論が事実ではないと
ハッキリ断定するならその根拠も併せて
教えてほしいと、、
あとからの身分としてはそう願います。



なので、
何があったか、事実を知っている。
確証もある、、そう言う方もいるのかも
しれません。
当時、身の危険を顧みず調べる行動を
された方がいるとも聞きます。
ご自身の足で
何かを掴んだ方もいるのでしょう。


しかしながら、
多くは、事実が何かを示す根拠を
持ち合わせてはいません。

違和感のある事はある、
おかしな事はおかしいと
疑問を呈していくのは
大切なこととしても、、


何もわからない中、
擁護であろうと追求であろうと、
攻めるにせよ、守るにせよ、
やはりどこかしらに
美しさ、潔さを残す、、

人としての美しさを残す、

と言う事が
春馬くんに対する
最大の供養になるのではないか、、
わたしはそう感じています。


これは、
擁護であろうと追求であろうと
それに関係なくできること。


人として美しくあれ、、は
本当にハードルが高いので、、



せめて、
ちゃんとどこかには
美しさの残るものではありたい。
例え何か疑問をうったえかける話を
する時であったとしても、、


そう胸に刻んでいきたい。。




アーティストとファンは合わせ鏡。

三浦春馬さんのファンが
あんなに、キツい、
美しくない言葉をつかうのか、、😢



三浦春馬は、
さすがにファンも佇まいが美しい。


春馬くんの何かを
ちゃんと昇華させようと思ったなら、

第三者からそう思われる事は
必須なんじゃないか、、と、
そう思う。




追記
そして、、
今日は本当に投稿するのが辛かった。
たくさんの方が取り上げていらっしゃるが、

芦原先生の事、、
あまりに悲しすぎて、、
とても投稿する気になれなかった。

一連の流れをx等で見させて頂いたけれど、、

またか、、と言う思いだ。




今朝出しなに夫が、
なんで日テレはあんなに脚本家を
守る様なコメントをだしてるの?

と、わたしに聞いてきた。

夫あてだからと、
乱暴な答え方をした。

死んだ人の名誉より
二次被害が出で自分達の責任が
大きくなるのがイヤだから、
脚本家さんを
庇う様なこと言ってるんじゃないの?
別に脚本家さんが、大事とは
違うんじゃない、、。
ここで脚本家さんまでいなくなったら
日テレ、局やる資格ないくらいの
話だもんね、、
と。
まあとは、
わたし達は注意しましたよね、
何かあったら貴方方のせいね、
とかにしたいんじゃない?



ポカンの夫に
仕方なく、本当に簡単に説明。

原作通りにやってくれるなら
TVにしてもいい。
ただし、これは制作サイドに対し
失礼な条件にもなるから
それでも良かったら、、
と言う条件の元スタートしたらしいけど
どうもそうはならなかったよう。

やり取りの詳細は
不明なとこもあるけど、

結果、9と10話は芦原先生が
脚本を書くことに、、


これを、受けてかなんかわからぬが
脚本家が
このことをわざわざインスタ投稿。
(9.10は原作者が書くと)
その書き方の冷たさったらない。😢
それに賛同する?追従する?
脚本家仲間たち、、



またまたそれを受けてか
9.10話が終わったからかわからないが、

芦原先生が、
なぜそう言った経緯にいたった
のかを、
とても丁寧な文で説明を
ブログ投稿をする。



脚本家に非難が、集中したからか
芦原先生が誰かに何かを言われたから
そのあたりもわからないけど、、

芦原先生が、
その経緯を、記した投稿を消し、

責めたかったわけじゃないの
ごめんなさい、、

って最後に残して、
行方不明になっちゃった、、。


TVはなんでそう言う事言わないんだ?
ちゃんと事実を伝えなきゃ、、

残念ながら、、
そりが今のこの国のTV、報道なんよ、、
夫くん、、😭


そして、
なんで脚本家は
そんな余計な投稿したんだ?
と、夫。

なんででしょうね、、
 

どうしてもなら、
ただ、9.10話は芦原先生が担当します。
ってだけ書けばいいのに、
本当、残念なことに、選ぶ言葉のはしばしに、
冷たさを感じられる。
言葉を扱う職業なんだから
それは十分わかっての事でしょう。




ある方が、
コミュニティケーションが
うまく取れないとは、、

言いたいことがうまく伝えられない事
ではなく、
言わなくてもいい事を
わざわざ言ってしまう事、、と
言っていました、、

これは、
今回の事だけに限らずそうだなと思う。


今回の投稿に通じるものがあるけど、
語る内容の良し悪しもあるけど、
自分の思いを
攻撃的に乱暴に記すのか、
丁寧に真摯に記すのかにより、
どちらの人間を信用でき、
どちらかの人間に好意を
持てるのか、、
自ずと決まってくる。

だから、
いくら強くいいたい事があっても、
言わないほうがいい事は言わない、
言ったとしても
どこかに美しさが残らないと、、






脚本家さんの言葉は
たしかに冷たかったが、
冷たかったが、、
やはり、
それをさせてしまい、止めもしない日テレ。
そんな投稿したら、、
和が乱れるのは必須ではないか、、

いや、ある一定の和は結束されるのか、
芦原先生を除いての、、

小学館は、それに対しクレームをだしたのか?
いったい芦原先生を、
誰が守ってくれていたんだろう。



そして、
日テレも小学館も
事務的でなんてクールなコメント。

大事なメンバーのひとりが、
亡くなっているのに、、

こんな紙切れ一枚で
済むと思っているのだろうか。


トヨタが不正につき、
会長が説明、謝罪の
会見を開いているのに対し、
不正どころか、
人が亡くなると言う結果を招いてしまった
企業か紙切れ一枚で済まされるのか?

エンタメやら、TVは
それが許される何かがあるのか?


日テレはt◯s、小学館はA事務所に
重なって見える。


まさか、
芦原先生には悩み事がありました。。
そんな話しで済そうとしてないよね。

人としての信義にもとる様なこと、
しないでね、、




時として、 
ある世界の中では、
純粋なものが異質とされ、はじかれる。
自分達特有のルールを崩したくない為に。


本当に、、
素敵なものばかりが、、
どんどんなくなってしまうね。



「セクシー田中さん」は一見奇抜なタイトルのふざけたラブコメ漫画に見えますが

自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい」



こう言う優しい思いを語る芦原先生。


心よりご冥福をお祈りいたします。