もうちょっと無邪気な雄介に/奈緒子。(Interview) | 春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬街道を疾走する馬.新参者/春馬さんへの想い

春馬くんはみくびれない男。
天晴れ春馬。
偏愛ブログです、ご了承下さい。
seasonⅡは、はてなブログから。

 

 

 

 本当にね、、

ひたすら走ってる映画なんだけど、

泣ける。

なんでなんだろう。。



昨日もみながら、泣いた。



とにかく、

三浦春馬の瞳が真っ直ぐで、

澄んでいて、、本当にとても美しい。

健康的で躍動感にあふれ、

眩しいほど輝きを放って走る姿もだ。






走るのが本当に辛かったと

あるが、、


「走りに嘘はない」


その本物の走りから生まれる

演技ではない、

本物の、

春馬くんの表情、走る姿に

心を奪われる。



辛い走りも、

監督の笑顔で頑張ろうって

思えました、と。


春馬くんの笑顔のパワーも、

相当なものだけど。




そして、、

監督のそういった優しさが出ている作品に
なっているといいなと思います。

じゃっかん、、17歳で
こんな風に言える三浦春馬は
本当に、本当に、すてきな俳優です。




 


 『奈緒子』パンフレット

interview



三浦春馬 

 



 壱岐雄介を演じ終わった今、

どんな気持ちでいますか


「最初のうちは壱岐雄介って言うキャラク

ターが自分の中で固まってなくて、

監督から『もっと子供っぽく』とか『もう

ちょっと無邪気な雄介にしてくれ』って言わ

れていました。でも、演じ終わったいまは、

ちゃんと監督の思い描いた雄介に近づけた

んじゃないかなと思っています。」

 





陸上の映画に出演して、陸上に対する

イメージは変わりましたか?


 「陸上自体のイメージは特に変わらない

のですが、『奈緒子』の撮影以降は、TV

等でもマラソンや駅伝、競歩を注目して見

るようになりました。

あと、陸上と関係ないのですが、壱岐では

練習の後などに鶴瓶さんや地元の方がスイカ

を差し入れてくれたらことがあって、その走

ったあとのスイカがすっごく美味しくて、そ

ういう意味でもスポーツは良いなと思いまし

た。笑」




走るシーンが多いんですけど、

どんなトレーニングをしましたか?


「撮影に入る1ヶ月前から専門のトレーナー

さんから腕の振り方などの基本からしっかり

指導してもらって。あと壱岐や長崎に入って

からは本当にじっくり持久力をつけていきま

した。振り返ってみると、壱岐もそうですけ

ど、長崎では大会のシーンがあったから結構

走りましたね。

でも途中で体調を崩す事もなく、走りきれて

本当に良かったなと思います。」





共演した上野樹里さんの印象は?


 「上野さんが、撮影が始まった当初から

結構話しかけてくれたので、すぐに仲良く

なることが出来ました。

スゴイなと思ったのは、役の事や、役に対

する想いが次から次へと出てくること。

こんなに出てくる人ってあまりいないので、

すごいなと思ったし、一緒にお芝居をして

いても、いろんな発見があって、とても

勉強になりました。」





映画「奈緒子」は、三浦さんにとって

どんな作品になりましたか?


「走るのが辛いなと思った作品です。
(きっぱり!)陸上部のみんなも僕も本当に
辛くて、本番を撮った後に『もう一回』って
言われた時には思わず苦笑いしてしまった事
もありました。
でも、その時に監督が優しい笑顔で『もう一
回、たっぷり休んでからでいいから』って、
言ってくれて、もう一回頑張ろっていう気持
ちになれたんです。
それは、僕だけじゃなくて、上野さんや部員
のみんなも同じだったと思うんですよ。
監督のそういった優しさが出ている作品に
なっているといいなと思います。」







笑福亭鶴瓶

 

 彼らの“走り”を見てどう思いましたか?


 「僕がいちばん最初に現場に入ってときに、

撮影も何もしていないのに、みんな8キロぐら

いグルグル走っていて。もうそんなにせんでも

ええやんって思ったくらい、彼らは本気で走っ

ていたんですよ。あんなに本番で走っていたか

ら、逆に撮影でごまかしているって思われたら

可哀想やなと思いますね。

毎日、撮影が終わったあともずっと走って

ましたからね。」

 

 

 




 

 上野樹里

 

 三浦春馬さんと共演した印象は?


 「しっかりコミュニケーションがとれていた

と思うし、お互いに(役の関係性や距離感が)

わかっていたっ思います。だから、本番直前

までくだらない話しを普通にしていても、本

番になったら、ふたりともちょっと黙ったり。

それが、別に気にならないし、自然と本番に

なって、本番なら終わったらまた自然に喋っ

ているっていう感じで。

そこに全然神経を使ってなかったですね。」

 

 

 

 
 
 




 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

普通に速い⁉️



インスタ見られない方↓









無邪気に、、

古厩監督に言われ、、

そういう雄介を感じられる場面、

ありますねぇ。



















原作も面白そうです。

それぞれの心情がもっと深く

わかるのでしょうね。




wikiより
主な登場人物

壱岐雄介(いき ゆうすけ)
父親の才能と異名を引き継ぎ日本海の疾風(かぜ)と呼ばれる天才ランナー。一般常識が通用しない野生児で年齢以上の力を発揮し短距離・長距離共に数々の記録を打ち立てる。篠宮奈緒子を助けようとして父親が死んだことを知っており、当初は奈緒子に対し厳しい言葉を浴びせたり敵意を抱いていた。母親と学校の先生以外の女は全員「オメエ」と呼び奈緒子の事は「あいつ」と呼ぶ。練習中は上はTシャツ、下はハーフパンツ、靴下を履かず素足に靴のスタイル。
小学4年生の時に100m11秒3・走り幅跳び5m74を記録し学童日本新記録を達成、400mリレーでアンカーを務め優勝に貢献。全国中学陸上選手権大会にオープン参加して100m準優勝、200m3位、走り幅跳び3位。
中学1年生の時に100m(10秒55)・200m・1500m(世界ジュニア歴代7位)で中学新記録を達成。ただし1500mは黒田晋に写真判定の末僅差で競り負け、同タイムながらも2位。全国中学校駅伝大会の長崎県代表選考会でアンカーになり、3分以上の差を逆転するという脅威の追い上げで長崎西町中の藤本に競り勝ち優勝に貢献。長崎県代表になる。全国中学校駅伝大会でアンカーになり船橋第一学園中の黒田に競り勝ち初出場初優勝に貢献。駅伝大会後、壱岐家の金銭的な負担を考え中学卒業後すぐに漁師になりお金を稼ごうと決意し陸上を捨て大山権太の元、漁師の修行を兼ねたアルバイトを始める。
中学3年生の時に知り合いに頼まれてJC共催10kmマラソンに出場、本田と競り合い2位(ただし本田は雄介に負けたと認識している)。本田と競り合う事により走る楽しさと負けたくないという気持ちが抑えきれなくなり漁師にはならず波切島高校へ進学。
高校1年生の時に全国高校駅伝でアンカーを務め、黒田やシャバ・シンバとの激しいデッドヒートの末に競り勝ち初出場初優勝に貢献。都道府県対抗駅伝で43位でタスキを受けるも不滅と言われるほどの区間新記録で走り抜きアンカーの本田へトップでタスキリレーし長崎の優勝に貢献。
本田のマラソンで待っているという言葉や、父親のマラソンを走りたかったという夢を受け継ぎ、マラソンへ挑戦することを決意。高校2年生でありながら陸連特別推薦枠で東京国際マラソンに出場し初マラソンでありながら本田と死闘を繰り広げ僅差で競り勝ち優勝。その記録は2時間2分22秒だった(ハーフの通過は1時間0分18秒)。
高校3年生の時にアテネオリンピックに出場し金メダルを獲得。
高校卒業後、陸上を捨て大山権太の元で漁師の修行を始める。