あそびがなければ、人生は味けない

 

 
 だれでもあそぶことは好きです。
 
 
人は、いつの世も本能的にあそびを求めています。
 
 
どんな生き物もあそびます。
 
 
イルカもぞうも、りすも、犬も猫もみんな遊びます。
 

水をかけっこしたり、走りまわったり、おいかけっこしたり、くすぐったり、からかったりします。
 
 
人は、動物が楽しそうにあそんでいるのを見るのが好きです。
 
 

 

 

 あそびたいと思う気持ちは、なかなか根強いものです。

 

 
 

この気持ちをおさえると、なにかものたりない感じがして、それを埋めようとするものです。

 

 

 私たちのおとなの生活には、驚きがなくなってしまいました。

 

 

 

自由がなくなってしまいました。

 

 

 

私たちは、大人になることに、まじめすぎるのです。

 

 

 

いったい子どものころの楽しさは、どこにいってしまったのでしょう?

 

 

 

おそらく、第二の天性でした快適さは、あそびと一緒に、どこかへいってしまったのでしょう。

 

 

 

 よく子どもっぽいといわれている友人Sさんがいます。

 

「子どものようですね」といわれているのですと、Sさんは解釈しています。

 

つまらないことに夢中になります。感情表現はオーバーです。

 

空想好きです。なんでも美化します。

 

 

 

いまでも衝動に忠実なのです。

 

 

 

落ち葉であそび、道路をスキップもします。風に向かって走ります。

 

 

 

庭の水まきをするときは、Sさんもずぶぬれになります。

 

 

 

Sさんがもっとも創造力が豊かになり、すばらしい仕事をしたのは、ほとんどそういうあそびの後です。

 

 

 

  あそびを通してこそ、子どもたちは、まわりにものに疑問を持つようになります。

 

 
 

自分をふるいたたせ、不満や悲観的な気持ちを、発散します。

 

 

 

あそびは自主性を養い、自主性は創造力を育てます。

 

 

 

あそびは、だれにも影響されないで、ほんとうの自分を表現できます。

 

 

 

数少ない機会のひとつです。