阿弥陀仏の力によって、無明の闇(むみょうのやみ)という暗い心が破れて、幸せになった人は、その嬉しさに、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏を称えずにおれなくなります。
念仏は、阿弥陀仏へのお礼の言葉だからです。
お礼の言葉は、日本人なら「ありがとう」ですが、アメリカやイギリスの人なら「サンキュー」、フランス人なら「メルシー」、中国人なら「謝謝」と相手によって変わります。
阿弥陀仏に対しては、「南無阿弥陀仏」と称えることがお礼なのです。
これを他力の念仏といいます。
親鸞聖人は、阿弥陀仏の力によって、苦しみの元である無明の闇が破れて、本当の幸せになって、自力の念仏から、他力の念仏を称える身になりなさいよと、教えていかれました。教行信証には、それ一つ、教えられています。
どちらのご家庭でもお在りのような、ご先祖さまの祀られたお寺さんやお墓。同じように私の実家の個人的な仏様浄土真宗の御念仏です。
父が意味も教えてくれた記憶がありますが、忘れてしまいました。南無阿弥陀仏の一語一語に確か意味があるんですよね。南があなた様と言うような。違うかも知れない
自分への祈りだけではなく、やはり自分以外の誰かへ感謝の気持ちと祈る気持ちを持つようにという意味かも知れませんね。
それくらい幸せになりなさいという意味でもあるかも知れない。心から本当に幸せでなければ、感謝の念も人への祈りもなかなか持てませんから。
幸せありき感謝。 感謝ありき祈り。 祈りありき幸。また幸ありき。心。
神降るやうに 幸せの光降る音。キラキラ。
カミフルヤウニシアワセノヒカリフルオトキラキラ。
どの神様仏様とか本当はなくて
優しい祈りと幸せへの感謝の祈りは
どの神様へも通じる
大切なひとつのことでもあるような。
親戚が神社でも
お寺さんやお墓は仏教で
クリスマスもやりますから。
聖書も読みますし。
宗教の勧めではありません。
誰かを想い
また自分を想い
祈るように大切に
生きていたいです。
皆さまの上に幸せの優しい光が
沢山降り注ぎますように。
温かくされて
おやすみなさい☆
田舎で、お墓参りや仏様参りの時に
まだ上手く言えない小さな子供には
なーむーと教えます。
感謝の気持ちと。
よくCMであるように
小さな子供が小さな手を合わせて
一生懸命、なーむーと言う姿は
格別に愛おしいですよね。