不調から立ち直る事 | HARUのブログ

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ラッパの事、普段の事、色々。

先ず、不調からでは無いけど右上の親知らずを1月に抜いてから、ほんの少し“違い”を感じていたのだけど、もう分からなくなった。

少しづつ身体の変化(ハード)に動き(ソフト)が対応した感じ。敏感な生徒さんによると音も変化したらしい(かなり)のだが、本人にはもう全然分からない。。

ただ、調子は良くなった気がする。全てでは無いけど二十代の頃のような柔軟な感触が有る。そして、音域がほんの少し、いや、音域自体は変わらないが、出る音の限界辺りの音質が改善されてしっかりした感じ。故意に何かをしたので無くて自然に時間をかけて変わった。


さて、生徒さんの中に無理をされてから本調子の頃と比べて不安定な調子の中で模索を続けている方が居る。

この「調子を崩す」って奴は小さなものから大きなものまでラッパ吹きなら皆が経験するもので自分にも有るし、周りの人の上でも多く見ている。
どちらかと言うと歳や経験を重ねた人に増える状態。若い時に体力やいわゆるパワーで吹いていたものが機能しなくなることもあるし、軽い程度だと知らずうちに戻ったり、また少しの無理をした時に落ち込んだり戻ったりを繰り返し長引く事も少なくない。

生徒さんを観察していると、最初は無理をして上手く働かなくなっているハードを休めずに使ってしまい、元の良いプログラムが崩れてしまった感じ。

そこで、「不味い!」と思い色々と意識的に吹き方に手を加えて益々はまり込みイメージを失って行く様子が見て取れた。

音のイメージ、音の表情とかを含む感触も薄れていく。最初はきっと求める物と違うから焦るのだけど、だんだんと求める物(イメージ)をも見失う。ここが一番怖い

レッスンで自然な方向に行き始める(必ず自然に動くまで何時間でもレッスンは終えない〜必ず音が出るのだと言う感触を持って帰ってもらう)と何も問題が無い位に吹ける。でも、失敗や調子悪いときの状態が少しでも起こるとそこから身構え始めてしまいその瞬間から硬くなり視野が狭くなり深みにはまって行く。普段の練習でレッスン時に僕が果たしている補助者が居ないとより陥りやすい。

その深みにはまる過程で何かちょっと工夫をしたら良くなったからそれを方法として再現するうちに、その細部に意識の焦点が当たってしまい全体のバランスが無くなったり、音や音程や音楽や耳から入る情報を感知出来ない状態により陥ってしまう。それにより元々のプログラムはますます崩れる。自分の身体や感覚を信用できなくなっている状態でもある。(その信用を取り戻す事を一番最初にレッスンではやる)

僕はレッスンをする時「アンブシュアの修正」が必要だと思っても直接そこに触れる事はあまりしない。吹いている時の口の形には意識を向けさせない様にする。音や身体の感覚が変われば口元は不思議と変化して行く。

例えば楽器の角度を上の音はこう、下の音はこうだと決めるので無くその時々に自由に身体やアンブシュアが勝手に動ける様にして(身体が選ぶようにして)、意識的に何かを工夫する事は極力避ける事が最善だと思っている。工夫はある意味一番危険な方法だと考える。

これは自身の上で沢山の実験をして、メモも取り、それらが必要無くなる毎に安定して来た経験からそう考えつつ同時に生徒さんを継続して長い間観察して行き着いた事と、「インナーゲーム」と言う素敵な考え方に出会った事、そして、それらを裏付ける脳科学の本に出会えた事(これはつい今年)で確信に変わって来ている。(でも、科学がその時々の最新の情報からの見地であるように変わるかも知れないが…)

確かにある程度の仕組みを知りその通りに動く事は大切なのだけど、実際に楽器を演奏しているその時は、「意識の上では全てを忘れていた方が良い。音や音楽に集中した方が良い」とシビアな場面になる程感じるし、その方が良い結果も得られる事を実感している。

脳科学的には演奏が上手くいっている時に身体の動きは脳の中の「人の意識がアクセスできない領域」で行われているそうだ。意識し始めると途端に怖くなったり失敗が生まれ出す。(経験が有りませんか?)

忘れられる様に訓練を積み、まるで歩いたり、話したり、ものを手で取ったりする様に楽器を演奏出来るのが最終的な目的地。この様な動作をする時にどうやって足を動かすか?どうやって発音するか?手の力の入れ具合は?と考えている様では物事は進まない。

緊張も同じで、緊張に対して何かの対処を考えるより、普段から演奏時に何をどうしてるかを事細かに考えずに音に集中して、自然に身体が動ける様に訓練を積み、本番でも同じ集中をすれば緊張は関係ない。いや、緊張は助けてくれる。何か対処をする事はせっかくの緊張のパワーを放棄するどころか、自然に起こる身体の状態に逆らう(頭や心の反応も含めて)事になるので本当の意味での克服にはならないと考える。

この話をもう少し具体的にしながら音を出してもらうと嘘みたいに不具合が消えて行く。大抵はこんなに考えなくて良いの?と言う感想になるし、上手くいって瞬間には自分が音を出す前に音が鳴るような感覚も経験する。
ただし、これはハードの不具合が起こって無ければで、その場合は新しいプログラムを再構築しないといけない。しかし、その行程は実はソフトの不具合に止まっている時と大きくは変わらず、ただ、より長い時間や高い集中力をかける事が必要になるだけだと思う。最初に書いたように歯の状態が変わったらプログラムは少し上書きが要るが、それが小さい範囲なら本人には無意識のうちに脳が終えてしまうし、しばらくの辛抱が必要な事も有る。
ここまで書くと分かると思うが、上達する過程も同じで自分の上にプログラムを作っていく。それは、こういう風に演奏したいというイメージと思いが一番大切で後はそれを補助するもの。


それでも、不調は本人にとっては物凄く大きな事で不安な中でつい何に飛びついたり、ふと、とても良いアイディアを思い付いた気がしたりしてそこに囚われてしまい自然な動きを邪魔する事が多い。レッスンではその状態を自然な方向へ導く。何かを付け足すと言う事はしない。

こう言う時に具体的な判りやすいアドバイス(それがどんなに良い内容でも)も新たに表面的なマニュアルになりやすいので殆どしない。何にどう集中するべきか?要するにどう音を聴き、その為に自然に身体が動くようにどう準備をするかを示す。時には吹いているところをただ漠然と全体を観察してもらい(絶対に細部を分析しない事!)真似てもらう事であっさり解決することも多い。それを分析してしまうとそのバランスや印象は消える。演奏時その時の身体の動きの分析は脳は理解出来て自然に動けている事を、意識がわからなくしてしまうのだと思う。

上に書いた修正(不自然な動きを除外して自然に身体が動きイメージを取り戻す手伝いをする事)を何度となく繰り返す事で枝葉が取れて大切な幹の部分がハッキリとしてくる。

脳科学の本はなんちゃって科学ではないので読み難いかも知れませんが、下に本の写真を上げておきます。興味のある方はぜひ読んでください。面白いですよ。