四年前にこんなことを書いてたんだなぁ。
最近読んだ脳科学の本でここで自分が「感覚」という事は脳の意識がアクセス出来ない領域の仕事だと知った。
楽器やスポーツの上達の為にはその動作が意識がアクセス出来ない領域に記憶されて自動的に行われなくてはならないそうだ。
そうで無く、目や耳や肌など感覚から入ったら情報が脳に達して意識して行おうとすると間に合わないのだそうだ。脳波を取った科学的なお話。
奏法をその都度分析して演奏してたのでは間に合わない。細分化してもその通りには動かない。意識がアクセスが出来る事はほんの一握りの限られた事で、脳は意識を通さずに自ら情報を受け取り身体へダイレクトに指令を出す。意識に伝えられるのはそのうちの一部。
例えばスポーツで選手がミスを犯した時にコーチが「考えろ」いう指示を出すのは脳の仕組みからすると返って上手くいかない方向へ向かう。考えずに動ける様にする事が一番効率良くミスが少ない動作に繋がる。
楽器を奏している時にどうやっているかを考える事は楽器を上手くコントロール出来ないことに繋がる。
ただし、意識は大きな方向性(どういう音を出したい、どんな音楽をしたい、どんな風にコントロールしたい等)を決めてそれを示し、全体のバランスを取るために必要である。それに基づいて、脳の幾つかの領域がそれぞれ身体に信号を送り身体を動かす。その連携が意識的にでは無くて自動的に行われる。それは意識がアクセス出来ない脳の領域の仕事であり、訓練によりそこに達した時に初めて思い通りにコントロール出来る。
身体の動作を変えるから意識が変わるのでは無い。そういう意味においては意識が変わり方向性を示すから身体が付いてくる。だが、その瞬間の動きは意識も分析されるものでは無い。
これを踏まえてレッスンを進めると具体的な身体の動きや楽器固有の動きを意識せずともその時に必要な力のバランスで様々な身体の場所が自然に連携して動く。
結局は音や音楽そのものにどう意識を向けるかが一番大切なアプローチで有り、そのほかは付属に過ぎないのだと目の当たりにする事になる。