楽器の上達に必要なもの | HARUのブログ

HARUのブログ

ラッパの事、普段の事、色々。

今自分もこの文章をiPadを使って書いているのだけど、現代は身近にデバイスが有って簡単に色々な情報にアクセス出来る。

何かのやり方を知りたい時、例えば僕がよく使うのは料理のレシピや知らない言葉を調べる時。

楽器の演奏方法や音楽の事もインターネットの上では沢山の意見があり、動画でレッスンを公開したり、幾らでも情報にアクセス出来る。

でも、生徒さんをレッスンしたり、話を聞いたり、ネット上のレッスン動画を見ていてあまりにも方法論ばかり流れていてもっとシンプルなメロディを奏したり、ハーモニーを味わったり、そんな事から離れてしまっている様に見える事が少なく無い。初心者は奏法に関する言葉は殆ど必要ないんじゃないかな。呼吸法や息の使い方、アンブシュアの鍛錬を先にやったら音楽に対する感覚がそこで止まってしまう事になぜ気がつかないのだろうか?
音楽に接して行けば自然に揃ってくる。揃ってきてから少しづつトレーニングすれば良い。揃ってないなら未だ揃ってないよって伝えるべきだ。

人気が有るものほど、方法論を簡単に手渡す傾向が強い気がする。

そして、その方法の多くは一番核に必要な音楽的な事を無視して見える事も少なくない。見えてないのかも知れない(とても残念だけど聴こうと言う意識が無いのかも知れない)

凄く音が通る様になった。
〜でも、音程は酷くなっていてフレーズや表情は身体への意識の為に消えてしまっている。ただ、音が出るようになっただけにしか聴こえない。それがどんなに正しい方法でもそれではNGなのだと思う。

具体的なコツを求める方が多いのだろうけど、それが実戦で役に立つのは音楽的な事が根底でクリア出来ていて初めて役に立つのであって、根底が無いと普通の車をコントロール出来ないのに、馬力の強いスーパーカーを一般道で走らせるようなもの。

ちゃんとソルフェージュが出来てイメージがあって毎日のトレーニングが出来て初めてコツが生きる。それを魅力あるものとして伝えられることがとても大切。

レッスンで教え手が言葉をかけて体験させる事は難しくないしそれはその場限りのマジックだと思う。僕もよく使う。
でも、大切なのはその時に出た音やその時の感覚をちゃんと覚えておく事。具体的な方法だけを覚えても役に立たないと思う。抽象的、主観的な音と言うものを求めるのに明確で具体的なものは厳密には存在しないとも思う。最終的に感覚的に判断するものを画一化した方法で論じるのはとっても危険だ。それに辿り着くヒントになる言葉は有るがそれが本質では無い。

正直に言うと、若い時はそのルールがあるのではないかと沢山探したけど結局全てのそういうコツが言葉として必要無くなった時に安定したし、そこから世界が拡がった。1つのものの見方、例えそれがどんなに優れたルールで有ってもそれに支配された途端に実は目の前のことを見失う事を経験から学んだ。半世紀かけて。

根底にあるのは音楽で有り、音感であり、結局は音楽をするために楽器を奏しているのだから、そこから少しでも目を離した途端に違うものを求めている事にいい加減気がつくべきだと思うことが少なくない。