この何年かは年に何回かチャンスを頂いている。今年は3回目。この週末もメサイア。年始もメサイア。
色々なところで演奏をさせて頂いているが、ありがたい事に四国学院のメサイアはこの五年間続けてオファーを頂いている。
最初の年は他のツアーから直接向かい、しかもそのツアー中にかなりしつこい風邪をひいてしまい、皆さんに御心配をかけてしまうと言うあまり良くない印象からのスタートだった。それにも関わらず今年5年目の参加となった。
この3年はマエストロと相談した上でモダンオーケストラの中でバロックトランペットを使うと言う色々な意味でリスク負いチャレンジとなる試みに、マエストロ、オーケストラの皆さん、合唱、ソリストの皆さんが賛同して下さって、毎年、配置、座奏か立奏か、演奏のスタイルなど試行錯誤を繰り返している。でも、この場所でモダン楽器に戻る事はもう無いだろう。もちろん、モダンよりは傷が生まれてしまうし、表面的な技術の完成度はモダンの方がずっと高いクオリティを作りやすい。しかし、弦楽器や人の声との調和や人の言葉の様に喋る事、ある色からある色へ変化して行くときの独特の繊細さはモダン楽器では届かない。そして、時には音量で無くて音色の荒々しさも逆に際立つ。
何故ブログで取り上げようと思ったか。
依頼を受けて参加させて頂く演奏団体はもちろんどの団体も素晴らしいのだけど、毎年40年続いているこのコンサートは自らも五年間続けて参加させていただく中で少し特別な存在となりつつあるのを感じているから。自分の変化を感じ取る事も出来る場所でもある。
合唱団の人数はOBも含め決して多くないのだがコンサート(と言うよりは救世主と呼ばれる音楽にと言う方が正解かも知れない)にかける思いが本当に強いと感じる。それをサポートしてくださる大学の懐の深さやオーガナイズする先生方の献身的な御尽力に本当に頭が下がる。
その合唱団の今年の声、音楽は本当に素晴らしかった。声がエネルギーを持って立体的に聴き手に迫る様に会場に届く経験はそんなに多くない。
何年か前にドイツから来日した若いプロフェッショナルな合唱団の迫る様なベクトルを持つエネルギーに溢れたサウンドを聴いた時に驚いた経験が有るのだけど、今回はそれを思い出した。
技術では無いもっと深いところからのもの。僕は"魂"だと思う。
それに対してソリストやオーケストラが応えないわけがなく、お互いに手を抜かない本気のやり取りが二回コンサートが有る前日の夜の通し稽古から繰り広げられた。22時半まで!
3回本番を行なったと言っても過言では無い(ソリストの1人から限りなく本番に近いゲネプロとの表現が有ったがその通り)
これにはもう一つ、リハーサルからコンサートまでが録音を兼ねていたと言う理由が有るのだけど、この様なコンサートで、合唱団、オーケストラ、ソリストがあそこ迄三日間全力投球するのを経験した事は無い。
ソリストが素晴らしかったのは勿論のこと(その中でも事務の仕事、合唱団の指導を兼ねていたソプラノのI先生の歌は音楽の喜びと強い意志を感じ本当に素晴らしかった)、オーケストラがマエストロを中心にモダン楽器ではあるがバロックの同じ語法で進化を続けている事も凄い。
これは2日目のホールでの演奏でよりくっきりと感じ取れた。全ての奏者がお互いを信頼して一つのサウンドを、たった一年に2日間(今回は3日間)なのに共有してリスクを恐れずに進化をさせ続けている。
マエストロの力は本当に大きいと思う。そして、そこに共感する演奏者とバックアップしてくださる大学。一つの理想形だと思える。
それは、ただメサイヤのコンサートをするって事でなくて、その音楽の意味やテキストの意味、そこに感ずる思いを全員が共有して毎年音楽として伝え続ける。数百年前に西洋で生まれた音楽が、毎年東洋の小さな町の大学のチャペルで生まれたての様に魂を持って演奏される。
こういう音楽の出逢いやこの様に深い所を目指してる事に関われる事は本当に音楽家として幸せな瞬間。
来週からはドイツ。
今度はその音楽の生まれた国で歴史と共に変化して来た伝統の音楽の中に身を置かせてもらい様々な事を感じるだろう。