ヒトの感覚 | HARUのブログ

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ラッパの事、普段の事、色々。

その潜在的な力と精度は凄いと思う。

マウスピースの千分の一ミリの違いを感じ取ったり、ほんのわずかな音のぶれを感じ取る事も出来る。

感覚を無視した理論はもはや役に立つ物では無いと思う。少なくとも音楽の上では。。

感覚を呼び起こす為にメソードは使われるべきである。
方法が変わるから出てくる音楽が変わるので無くて、求める音楽(音)が変わると方法も変わるのだと思う。その求める物が曖昧だったり、本来の求める物とずれていたり(これは大抵の場合は頭[知識]が邪魔をする事が多いと思う)すると感覚はその精度を失う。相対評価に頼り過ぎると感覚は基準を失う。比べるので無くて全ては自らの中に答えが有る。それは突き詰めて行くと一択だと思う。

それを導く為に方法や言葉が有るだけだと思う。

何年も楽器を正しく吹く方法を探した。
気が付いた事を何年もメモもした。
そうやって行くうちに余分な物が削ぎ落とされて、

結局そこから離れる事が一番確実で近い道だと今は思う。

自らの感覚を最大限に使い、身体がそれに対して自然に動く様に。

ごく最近気づいた事で、ある感覚を開くだけで音の持つエネルギーが飛躍的に上がり音を纏う感覚に成り、ある状況での音を出す瞬間に感じる怖さもふっと消える。その感覚の変化は身体の変化も起こすしそれに耐えうるフィジカルやその感覚を開く為のメンタルのコンディションは必要だが、普通言われる大切な事より遥かに大きく作用する。それが何なのかは未だ人に説明が出来ない。そしてこの感覚は新しい楽器のサウンドとある分野のある作品が自分の中から引き出してくれた物で決して何かの方法から得た物では無い。