きていただいてありがとうございます
広隆寺は嵐電太秦広隆寺駅のすぐそばにあります。
「広隆寺」
《真言宗単立寺院。
山号は蜂岡山。
本尊は聖徳太子。
法隆寺、四天王寺などとともに聖徳太子建立七大寺の一つ。
古くは蜂岡寺・秦公寺(はたのきみでら)といい、「太秦の太子堂」とも呼ばれる。
推古天皇11年(603)に秦河勝が聖徳太子から仏像を賜わり、本尊として建立した。
弘仁9年(818)と久安6年(1150)の火災により伽藍を消失したが、創建以来の仏像のほとんどは火災を免れた。
承和3年(836)には中興の祖とする道昌が再興に着手。
秦氏の氏寺として京都最古の寺の一つに数えられている。》
秦河勝が聖徳太子から賜り、国宝の第一号で人間存在の最高の姿と讃えられる仏像が、ここにあります。
「宝冠の弥勒」と呼ばれる弥勒菩薩です。
この仏像を凄く見たかったのです。
楼門
1702年建立。
仁王像。
楼門の前はすぐ嵐電の線路が通っているので、全体を撮れません。
大きくて立派な門です。
楼門をくぐると、左側に「薬師堂」がありますが、写真は撮っていません。
阿弥陀三尊立像、薬師如来立像、不動明王、弘法大師、理源大師、道昌僧群を祀っているそうです。
能楽堂があり、地蔵堂があります。
《》は広隆寺のパンフレットから。
地蔵堂
《平安時代に我国繁栄の為に弘法大師が諸人安産、子孫繁栄の後誓願に基づき御製作になった腹帯地蔵尊である。》
右側には、講堂があります。
3月25日に行ったのですが、ガーーーン!
ぷりん家あるあるで、工事中でした😂
講堂(赤堂)重要文化財
《永万元年(1165)に再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂という。
中央に西方極楽浄土で説法をされている印を結ぶ阿弥陀如来坐像(国宝)、地蔵菩薩坐像(重文)を祀る。》
井戸舎
太秦殿
《太秦明神、漢織女、呉秦女を祀る。》
上宮王院太子殿
《享保15年(1730)に再建された入母屋造の堂。
本尊に聖徳太子像を祀る。
毎年11月22日の命日。聖徳太子御焚火祭に特別開扉。》
参拝し、目をこらして中を見ましたが、暗くてほとんど何も見えませんでした。
参拝受付から霊宝殿に向かいます。
途中左に入る道があります。
「左 桂宮院」と書かれています。
《桂宮院本堂は国宝で、別名は八角円堂。
聖徳太子が楓野別宮を起こされたところと伝えられ現在は広隆寺の奥の院と称される。
現在の建物は鎌倉時代の建長3年(1251)に中観上人澄禅により再建された。》
だいぶ前に書かれた記事には、特別に拝観できる日もあったようですが、現在は非公開です。
(画像はお借りしました)
桂宮院本堂
法隆寺の夢殿に似た単層八角円堂だそうです。
ここに聖徳太子が祀られています。
Googleの航空地図を見てみると、森のようなところを抜け、うっすらと八角形の屋根が見えています。
非公開なんて、ますます見たくなりますよね。
入口からまっすぐ歩いた所の正面に旧霊宝殿があり、その右に新霊宝殿があります。
新霊宝殿
《飛鳥時代の弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)をはじめ、天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉と各時代の仏像を祀る。》
京都の勉強をしていると、仏像にまで興味がでてきました。
元々アイドル好きのミーハーなので、仏像に対してもそのようです。
京都の仏像の中で、今のところ、凄く見てみたいと思った仏像ベスト3は、六波羅蜜寺の空也上人像、永観堂のみかえり阿弥陀、そしてこの国宝指定第一号になった弥勒菩薩半跏思惟像です。
京都検定のテキストによると。
《京都の彫刻は絵画と同様に仏教文化の伝来とともに始まる。
奈良時代以前の仏像としては、渡来系の秦氏が創建した蜂岡寺(のちの広隆寺)に未来仏として信仰されていた半跏思惟の姿をした弥勒菩薩像二体が残る。
いずれも一木造りで、赤松材が用いられた像は「宝冠の弥勒」と呼ばれ、聖徳太子から秦河勝が賜ったと伝える。
一方、楠材を使用した像を「宝髻(ほうけい)の弥勒」あるいは「泣き弥勒」と称している。》
ついに、いよいよ、仏像さまにご対面します
霊宝殿の入口から順にたくさんの仏像を拝観するのですが、気持ちは早く早く「宝冠の弥勒」が見たかったです。
壁面の中央におられ、別格のオーラを放っていました。
(画像はお借りしました)
国宝第一号
弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)
「宝冠の弥勒」
赤松の一本造。
文化財登録は飛鳥時代。
《弥勒菩薩は、須弥山(しゅみせん)の弥勒浄土といわれている兜率天(とそつてん)にて、菩薩の行につとめられ、諸天に説法し、お釈迦さまにかわってすべての悩み、苦しみをお救いくださり、正しい道へとお導き下さる慈悲の仏さまです。
この半跏思惟像は、
「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」
お姿を表しています。》
写真で見るだけでも美しいのに、生で本物を見ると、本当に素敵です。
からだの無駄のない曲線、しなやかで美しい指先と頬に当てる角度。
優しい慈悲深い微笑み。
東洋一のアルカイックスマイル(口元に微笑みを浮かべたような表情)と言われているそです。
うっとりします。
今の時代でもこのような女性がいたら、全ての人を魅了し、女性たちの憧れの姿だと思います。
私もなれるものなら、このような女性になりたいです。
けっこう長く見続けていました。
「宝冠の弥勒」の右横に「宝髻の弥勒」はおられます。
いや、おられたそうなのですが、いつものように勉強不足で、ただ見ただけでした。
すみません
像高を調べましたが、記事によって違うのでわかりません。
「宝髻の弥勒」は、「宝冠の弥勒」より小さく、やはり宝冠の弥勒のあまりにも凄いオーラに、目立たないと書いてはる人もいました。
(画像はお借りしました)
弥勒菩薩半跏思惟像
「宝髻の弥勒」あるいは「泣き弥勒」
楠材の一本造。
白凰時代。
《頬にあてた右手の指は長く、左手は右足に触れずに少し浮いた状態になっているのが特徴。
伏し目がちでうつむき気味なお顔が、まるでホロリと涙をこぼしているようにも見えることから「泣き弥勒」とも呼ばれている。》
次回は必ずゆっくりと見させていただきます。
六波羅蜜寺の空也上人、永観堂のみかえり阿弥陀、広隆寺の宝冠弥勒菩薩。
今のところの私のベスト3ですが、順位はつけられないなぁ。
それぞれに、1番素晴らしいところがありますから。
ちなみに、東寺の帝釈天半跏像もハンサムと女性ファンが多いのだとか。
拝見しましたが、はい、美しいイケメン仏像さまでした
弥勒菩薩像の隣には扉が閉じられている厨子があり、秘仏薬師如来像で、こちらも11月22日に開扉されるそうです。
霊宝殿の拝観料は800円で、高いという声も。
確かにそう思いますが、飛鳥時代の国宝第一号の弥勒菩薩像を見られるのだから、その価値はあると思います。
広隆寺には20点の国宝と48点の重要文化財があります。
《広隆寺は弘仁9年(818)に火災に遭ったが、秦氏出身で弘法大師の弟子である道昌僧都(どうしょうそうず)によって再興、更に久安6年(1150)にも炎上し、復興された。
このように、度々の災禍にも拘わらず、多くの仏像が現在も護持されている事を思うと、これらの仏像がいかに強い信仰の対象であるかが、うかがわれる。》
写してませんが、弁財天があります。
苔がきれいな庭でした。
夏には桔梗が咲くそうです。
広隆寺には、京都三大奇祭の一つの牛祭があり、毎年秋に行われていたそうですが、今は休止されているようです。
明治以前は大酒神社の祭として執り行われてきたそうです。
太秦のウォーキングコースには、あと三吉稲荷神社、大映通り商店街、蛇塚古墳などが載っていましたが、足が疲れてきたので、ここで終わりにしました。
続きはまた別の日に。
その時も、木嶋神社の蚕ノ社と三柱鳥居、広隆寺にはまた行きたいです。
この太秦で1番印象に残ったのは、まさかの天塚古墳でしたが、ここはもういいかな
蛇塚古墳には是非行ってみたいです。
ああ〜楽しかった
楼門の前の線路を渡った方から、楼門の正面と嵐電のツーショットを撮ると映えます。
撮りたかったなぁ。
嵐電太秦広隆寺駅のホーム
終点の四条大宮駅まで行きました。
何回乗っても嵐電は風情があっていいなぁ
今月は、青もみじを見に京都に行く予定にはしているのですが。
最近、京都南部や大阪北部を中心とした地震が頻繁に発生していて、最大震度4の時も。
3日から1週間ぐらいの周期できているので、怖いです。
どうか大きな地震が起こりませんように。
日本のどこにも。
読んでくださり、ありがとうございました。
それでは、また