願って叶うこと、叶わないこと | 【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

「強み」と「思い」の言語化で、「野望実現」を引き寄せます。 ホンマルラジオ愛知局【TOMOKO のあなたの野望を聴いてみ隊】パーソナリティ

願って叶うことと、叶わないことがある

ように思うのは、自分の気持ちの中の

「肯定(+)」と「否定(-)」の割合による

のではないかと思います。


「+」と「-」は相殺されますので

「+」の方がつよければ叶うし

「-」の気持ちの方が強ければ

叶わない 叶いづらい・・・

のだと思うのです。


これまでにいくつもの「夢」を持ち

既に叶ったもの、未だ叶える途中のもの

を考えると

「100%の自信」とはいえないまでも

「まぁ、叶うんじゃない?」

と、リラックスして考えていたことは

いろいろなミラクルを起こしながら

叶って来たように思います。




中国語の通訳をめざして勉強している頃に

こうなったらよいなぁ~と思っていたこと


それは、

「外国語が3ヶ国語(ぐらい)できる」こと。

英語と、中国語と、あと1つぐらい外国語ができたら

楽しいだろうなぁ~って思っていました。


中国語の通訳をめざしたときには

すでに30歳を数年過ぎていました



当時の風潮では、

女性が、30歳を過ぎて新たな目標に挑戦する

というのは、あまり現実味が無いこと

だったように思います。


「中国語の通訳になる」という“夢”を実現したのは

私が40歳になる年でした。


中国からの研修生達(20代男子)が

ライターをキャンドルの代わりにして

生協で買って来たお菓子をケーキの代わりにして

中国語でハッピーバースデーを歌い

みんながお祝いしてくれる

・・・という40回めの誕生日を迎えるなんて

1年前には、想像すらしていませんでした。


当時の私は超がつくほどのネガティブ思考で

むしろ「ペシミスト(悲観主義者)」といえるほど

自分の人生に希望を持てない人でした。


良いことがあれば、悪いことが起きる

楽しいことがあっても、

次にはどんな辛く悲しいことが起きるのか

心配で、楽しめない人でした。


それでも、40歳で通訳になる夢を実現した

ということは、ひとつの大きな自信につながりました。



中国語の通訳の勉強をしている最中にも

韓国語に興味があって、韓国語ができるようになりたい

と思っていました。


当時は、まだ韓流なんて言葉は無くて

韓国語を勉強したい人なんて

レア中のレアでした。


でも、なんとな~く

「勉強を始めれば、できるようになる」と

ノー天気に思っていました。


そろそろやろう! と思った時に

イヤ、まず英語なんとかしなくちゃ

と思い、TOEICで800点超えたら

韓国語勉強しよう、と

おかしな誓いを立てた私は

そこから、1年かけて目標を達成します。


当時の私のTOEICの成績は、

ぎりぎり700点超えるか超えないか、

ぐらいだったように思います。


リーディングが苦手で、いつも300点台で(300点を割ったこともありました)

比較的得意だったリスニングの出来によって

600点後半だったり

700点をすこし超えたり

というレベルでした。



でも、1年位かければ800点を超えられる

と読んだのです。

リスニングの精度をあげて、400点超えを安定化させること

リーディングは、語彙を増やして問題に慣れ

時間内に全問解けるようにすること

をまず目標にして、あとはコツコツと

できない穴を埋めていくという方法を地道にとりました。


予備校での勤務経験を活かして

セルフガイダンスを決行

自分の弱点を徹底的に分析して、

苦手分野の底上げと

得意分野の安定化、強化に努めました。



各問題の1題にかけられる時間を

1問7秒とか、20秒とかっていう時間を

「皮膚感覚」に近づけるために

キッチンタイマーで厳格に計測しながら問題を解く

などという、マニアックな方法も採用していました。



可能な日は、

TOEICを受験する時と同じタイミングで

お昼ごはんを食べ、

TOEICが開始されるのと同じ時間に

公式問題集を解き始めました。



その結果、800点超えを決めたちょうど1年後の

TOEICの結果で820点取ることができました。


こうして、韓国語の勉強を始めたワケです。

韓国語の勉強を始める前後ぐらいに

まだ5人で活動していた頃の東方神起がお気に入りでした。

動画サイトで見る韓国語でじゃれあう彼らがとても可愛らしくて、

なんて言ってるのか

時々画面に出るキャプションには何が書いてあるのか

すごく知りたかったのです。


日本のコンサートにもひとりで行きました。

それが、5人を見る(現段階では)最後になってしまいましたが。



そのあと、BIGBANGにハマって行くワケですが

韓国語を始めた頃には、

韓国のコンサートに行ったり

韓国のファンの子とお友達になる

なんて、「できたらいいなぁ~」とは思ったものの

あまり現実のコトには思えませんでした。


中国語を始めた頃には

音声教材もあまりなくて

あっても高い(別売りカセットテープ2本で5000円とか)

から、大学の語学研究室で

あるものをダビングさせてもらって

擦り切れるほど聴くとか

語学研究室にあるビデオを見るとか

とにかく、「外国語に触れる機会」が全くと言っていいほど

無かった!!!


今から考えたら、豊橋の校舎(私の大学は、名古屋と豊橋に校舎がありました)には、留学生も先生もたくさんいらっしゃるので

学生課とか教務課に相談して

先生やら留学生やらを紹介してもらう

って方法もあったのに

当時の私にはそんなことは一切考えませんでした。

・・・ってか、そこまで真剣に勉強してなかったし。


韓国語を始めてから驚いたのは

学習環境のよさ!

インターネットやTVではいつでも生の韓国語に触れられる

相互学習サイトで、ネイティブの人と知り合い

お互いに勉強を助け合うことができる




今では普通に

BIGBANGのソウルコンにも行っちゃうし、

BIGBANGの韓国のファンの子とお友達だし

日本でも韓国でもどちらかがどちらかの国に行けば

会ってご飯食べたりとかして

なんて、ことをしているワケです。


多分「できない」って思ってなかったからなんだと思います。

できたらいいなぁ~

だけ、思ってた。


かなったら、チケット取ったり、取ってもらったり

たぷさんのコト話したり、ご飯食べたり、遊んだり

したら楽しいだろうな・・・って

想像して楽しんでいました





できなかったらどうしよう




なんて一切考えなかった。




ただ、実現したら楽しいよね、って先に楽しんでた。


それがポイントかな~って思います。


実現したら楽しいと思うことを


「今」
楽しんでみる。


かなったと想定して、

楽しい気持ちを味わってみる。




そこから、もう一度「今、ここ」に立ち返ってみたときに

今、何をしたら良いか

ってことが見えてくる。



優先順位の付け方も

少し変わってくるのではないか、

と思います。







本当にこうなりたい、と思うコトは

必ず叶えることができます。







そうすることで、光の輝きが増していく。









それこそが、

自分を、周りを癒すことにつながっていくのだと

私は思います。