『知ってる』と『わかってる』は違う | 【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

「強み」と「思い」の言語化で、「野望実現」を引き寄せます。 ホンマルラジオ愛知局【TOMOKO のあなたの野望を聴いてみ隊】パーソナリティ

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ありがとうございます



『知っている』ということと、『わかっている』ということは違う


全然違う! と、最近つくづく感じます。

「あっ!こういうことか!」

と、ずごーんっ! と感じることが多くって

しかも、「これ、前から知ってたやん

ってコトも多いのです・・・っつーか、ほとんど。


今は情報過多といわれていて

一方で、本当に知らなくてはいけないことが

伝えられていない、ということも

いわれています。


だからこそ、「この“情報”の真偽(または、真意)」を

自分の頭で考えなくてはいけない

という風にも思います。



特に・・・

というか、

例えば、スピリチュアルなコト。


視えるもの、感じるもの、感覚的なコト

は、人それぞれなんです。


たとえば、実際に人が見ることができる物体。

椅子を説明するときにも

いろいろな説明方法があって

「実物」を見ないで

説明だけを聞いても

100%想像の中で再現することは難しいのです。


それならば、「実体」のない事を

どんなに言葉を尽くして語っても

100%同じ現象を想像の中で再現するのは

おそらく不可能だと思います。


自分の頭で考えて考えて

自分の言葉で考えて考えて

自分の体験で置き換えてみて

あるときふと、

「もしかして、こ・・・こぉいうことなのかもしれないなぁ・・・」

と、感じたりする

ものなのかもしれません。


それが、仮説になって、実体験で検証してみて

なるほど! と、ずどーんと腑に落ちる

のかもしれないと思います。


例えば、現状を変えたい

と思っているのに、なかなか変わらないのは

本当は「変えるのが怖い」と思っていて

何も変えようとはしていないからです。



何かを手に入れるためには

何かを手放さないといけない

といわれて、

何も手放したくないけど

これこれは欲しい

なんて思ってるワケです。


でも、本当は手放しても平気なんだけど

勝手に手放すなんてムリムリ!

って深く考えもしないで、思い込んでるだけだったりもします。


自分に必要なモノが

本当の本当の本当はなんなのか?


そのことこそが

自分が何者かを知る

てがかりになる

んじゃないかなぁ~と

思います。







今日も光をありがとうございます