昨日の続きです。
プライドが高い、低いという表現は、見上げたり見下げたりしている感じがして、どうも好きになれません。
あくまで個人的な感覚なんですが、「矜持を持つ」という表現には、上も下もなく、ただフラットに「認めている」姿勢があるように思うのです。
襟を正す、というか。
背筋が伸びてる感じ。
自分が持つ能力を自分自身がきちんと認めてあげる。
私が今、読み直している本の冒頭に、こんなフレーズがありました。
“ゴルフがタイガー・ウッズより下手だから、という理由で、自分はダメな人間だと思う必要は無いはずだ”
そういうことなのです。
誰かの何かより劣っている、という理由で「自分はダメだ」と結論づける必要は無いのです。
少女時代より足が太いからという理由で「自分はダメだ」と思う必要も無いわけです。
もちろん、「チャン・グンソクより男前じゃない、という理由でうちの主人はダメだ」と思う必要も無いわけでして(笑)
人はそれぞれ、必ず何か光るものを持っているのです。
その光は、人には見えない…あるいは、見えづらいものだから、他人(←親・兄弟も含めて)には余計に見えないのです。
だから、自分で見つけてあげないと。
自分で見つけてあげて、もっともっと大切にしてあげたいものです。
そうすれば、その光はどんどん喜んで、もっともっと光を放ちます。
頭から足のつま先までその光がピーンと通っているイメージで。
そして、頭の上からも放たれたその光は天に、宇宙につながるイメージで。
そうしているうちに、きっと周りの人の光も見えてくると思います。
その光を大切にしていきませんか?
その光こそが「矜持」だと思うのです。
その矜持をしっかりと持って生きていく。
それこそが、“幸運体質”になる原点じゃないか、と思います。
“幸運体質”になりたい、と思ったら「なる」と決める。
決めたら、暖かい気持ちで、24時間ずっとその“光”を意識して見てください。
きっと、物事が動きだします^^
ありがとうございました。