直心是道場 | 【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

「強み」と「思い」の言語化で、「野望実現」を引き寄せます。 ホンマルラジオ愛知局【TOMOKO のあなたの野望を聴いてみ隊】パーソナリティ

昨日は、お寺の瞑想会に行って来ました。


瞑想会は三回目で、瞑想している間、いつもいろんなビジョンが見えてきます。


最初は、座禅を組んだまま(実際は足は組めて無いのに、ビジョンの中では完全に組めてます)宇宙にスポーンと飛び出て、宇宙空間の中でぷわーんぷわーんと浮いていました。


二度目は、以前ブログにも書いたのですが、龍がくるくる目の前を飛んでいたので、「乗せて」って言ってみたら乗せてくれて、帰るのかと思ったら私の頭上から体内に入って行きました。


今回はどんなビジョンが見えるかなーと楽しみにしていたら、真っ暗な部屋なのに、目を閉じるとキラキラと光が見えていて、最初は光しか見えず「ビジョン」的なモノは見えなかったのですが、しばらくするとやっぱり龍が!(どんだけ龍好き)


私は龍と並行して飛んでいました。まるで私も龍になったかのような感じですが、そうではなく私自身の姿で龍と並行して、まっすぐ上に向かって飛んでいました。


上空には、天の「ふた」みたいなモノがあって、そこがものすごく明るい光を放っていました。


私と龍はそこに向かって飛んで…というか、龍が私をつれて行ってくれる感じでした。


ふと気づくと「ふた」のすぐ近くにいて、手で触れられるほどの距離になっていた時、龍は既にいなくなっていて、私一人がそこにいました。


「このふたどうすんの?」って考えていたら、先生の声がして、「ハイ、呼吸を元に戻しましょう…」と(この瞑想は、呼吸法がちょっと特殊です)。


すると、あたりがだんだん暗くなって来て、徐々に現実世界に戻って来ました。


今回もまた不思議なビジョンで遊んできた感じでした。


一緒に行ったお友達は、とってもセンシティブな方で、前回はちょっと「怖いところに飛んで行っちゃった」らしいのですが、今回はすごく気持ちよくて、先生に引き戻されてちょっと残念だったそうです。


瞑想が終わると先生のお話がありますが、今回は「直心是道場」というお話しでした。


「直心」とは素直な心。


素直な心でいれば、どこにいても道場(=修行の場)にいるのと同じこと。つまり、物事が何でも修行になる、という意味だそうです。


禅宗の僧侶の修行で「自分の動きを観察する」という修行方法があるそうです。今朝自分はどちらの目から起きたのか、どちらの手でふとんを上げて、どちらの足からふとんから出たのか…ということから始まって、日常のあらゆる動きを観察する…ということをするそうです。


これは、僧侶の修行で行う瞑想の時、仏様のご様子を逐一思い出しながら瞑想する方法があるそうで、その時に頭の中で描写する際、そういう観察眼が必要になってくるとのことで、自分自身を見つめることでその観察力を上げていくという意味があるのだそうです。


時間が無くて、先生に質問することはできなかったのですが、自分の行動を見つめるということは、すなわち自分の心の動きも観察するということにつながって、そうやって自分の私利私欲みたいなものを見つけてそぎ落としていくことにつながるのかな、と思いました。


私利私欲…というと、あまりいい意味にはならないけど、自分の本質…という言葉でも表現できるかな、と思います。


自分が本当に必要なモノは何か。


自分が本当にしたいことはなんなのか。


自分はどんな風に生きていきたいのか。


そういうことって、意外と「じっくり観察して、考える」時間を持たないと見えてこない気がします。


素直な心を持って、自分自身を発見して、学んでいけたらいいな、と思います。


9月から深谷孝子さんのセッションを受けていました。


初回は対面で、2回目からはスカイプセッション。


そして、今日は最後のスカイプセッションです。


この2か月、いろんな事が起こりました。


セッションのたびに出るレポートは、確かに大変だったけど(「大変」というのは孝子さんによれば、“大きな変化”という意味だそうです^^)、自分を見つめるホントにホントに良い機会でした。知らなかった…というか、忘れていた自分自身をたくさん発掘したような気がします。


セッションの金額もものすごく大きなハードルだったけれど、絶対に絶対に乗り越えて、大きな成果を得る!という気持ちで臨みました。


臨んだものの、いきなりどうしたら良いかわからない、と道に迷ってしまったり。


迷ったときに、逃げ出したくなったけれど、正直に「迷っています」とぶつかってみよう…と思ったり。


不思議な恐怖感にさいなまれて、孝子さんが怖くて怖くて仕方がなくなったり(爆)


そんな時も、「孝子さんが怖いです」ってぶつかったら、「大丈夫です!」と優しく受け止めてくださいました。


自分を良く見せたい、という気持ちがすごく強くて、認めて“もらいたい”といつも思っていた自分を知っていたつもりでいましたが、どうすればいいのか全然わからなかった。


孝子さんは、「自分は素晴らしいと信じること」が大事だとおっしゃってくださいましたが、その根拠になるものが必要でした。そういう根拠もきちんと見つけることができるように導いてくださったように思います。


そういう時にもやっぱり、「直心」=素直な心、が大事だな、と思うのです。


せっかく「セッション料金」というハードルを飛び越えても、そこから(自分にも他者にも)疑心暗鬼では何も得られないように思うのです。


高ければ高いほど良いワケでもないし、低ければ良いというワケでもない。


それだけのお金を払って何を得るか、は自分で決めることなんじゃないかと思うのです。


受講を決めたとき、清水の舞台から飛び降りて、ころげおちて全身傷だらけになって再起不能になってる自分が見える気がして、怖かったけど、逆に、羽根を広げて飛び立ち、大きく羽ばたくイメージに書き換えました。


蝶はさなぎから繭を破って出てくるときに、大変な苦労をして出てくるのですが、その時必死にもがくことによって、筋力をつけ「飛べる羽根」を作り上げるのだそうです。人間が、はさみで切れ目をつけて出やすいようにしてあげたりすると、飛べないのだそうです。


自分で苦しんで得た羽根だから、高く高く飛べる…ということですね。


「素直な心」を保つことも、生きていくうえでは修行の一つ、なのかもしれません。


さて、私はどんな羽根でどんな大空を飛べるでしょうか。


ありがとうございました。