皆さんおはようございますニコ

 

 

先日、創立100周年を迎えたウォルト・ディズニー・カンパニーがどのような経緯で設立されたのかについて記事を書きました。

 

 

 

 

ウォルト自身が会社の設立根拠文書とみなしていたという、M.J.ウィンクラーとの『アリス・コメディ』の提供・配給契約の文書をもう一度良くご覧ください。

 

 

(画像は全米公共ラジオの記事より引用)

 

 

 

右側のページ、右下に契約当事者とそれぞれの証人の署名があります。

 

 

ウォルト・ディズニー側の証人の名前が"Robert S. Disney"となっていますが、この人が誰なのかご存知でしょうかはてなマーク

 

 

この方はウォルトとロイの兄弟の叔父さん、ロバート・サミュエル・ディズニーRobert Samuel Disney, 1861-1953)です。

 

 

このロバート叔父さんがどんな人物だったのかはてなマーク

 

 

ウォルト・ディズニーの家族のことは、ウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムに聞けビックリマーク

 

 

ということで、サンフランシスコにあるウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムのブログでロバート・ディズニーのことも記事になっているので読んでみましょうニコ

 

 

 

 

ウォルトの父親、イライアスの弟で、大都会シカゴでの生活が子ども達に及ぼす悪影響を心配するイライアスをマーセリンに移り住むよう勧めたのは、このロバートだったようです。

 

 

土地や商業施設、鉱山などへ幅広く投資をし実業家として成功を収めた後、1920年代初めに引退し、当時はまだ片田舎だったカリフォルニアのハリウッドで余生を過ごすことを決めたそうです。

 

 

東京ディズニーシーやカリフォルニア・アドベンチャー・パークにあるストーリーテラーズ像からは、夢を実現するためにトランク一つでハリウッドへ降り立ち、裸一貫から事業を始めたイメージの強いウォルト・ディズニーですが、ハリウッドではこのロバート叔父さんの元へ身を寄せたようですね。

 

 

 

 

 

先ほど触れた、ウォルトの父イライアスとの関係からも察せられるように、ロバートはウォルト一家に対し、折に触れては支援や助言を与えていた協力者でしたが、ウォルト・ディズニーがアニメーション・スタジオを作りたいと申し出た当初は、資金支援を断りました。

 

 

その理由は「ウォルトが自分に対して十分な敬意を払っていない」というもので、実業家として自分の力で身を立てていた分、自尊心も高い人だったのかも知れませんね。

 

 

しかし、両者の関係がこじれた時期のエピソードとして、ウォルトがカリフォルニアへやって来る際に乗車したサンタフェ・カリフォルニア特急がカンザス州の州都トペカを通る路線かどうかで口論となるなんて、鉄道マニアのディズニー・ファミリーらしいエピソードですね爆  笑

 

 

とは言え、結局はかわいい甥っ子のためにスタジオ設立の資金支援をしたロバート叔父さん。

 

 

1923年の11月半ばまでに最初の200ドル、10日後に150ドル、そして12月には2回に分けて合計150ドルの資金をロイ・ウォルト兄弟に融資したそうです。現在の価値で言うと約9,000ドル(約130万円)ですね。

 

 

各国のディズニーパークには、ウォルト・ディズニーの夢の実現に貢献したディズニー家の人々に対するトリビュートも色々な場所で確認することができます。

 

 

 

 

 

まだお目にかかったことはありませんが、ロバート叔父さんへのトリビュートも、どこかのパークに存在しているのでしょうかはてなマーク