皆さんおはようございますニコ

 

 

このブログで以前、ディズニーランドパリのメインストリートUSAには、ウォルト・ディズニーのお父さん、イライアス・ディズニーElias Disney, 1859-1941)の名前が刻まれたプレートが埋め込まれているということを紹介しました。

 

 

 

東京ディズニーランドにも、ウォルトのお父さんに因んだものを見ることができます。

 

 

場所は19世紀後半の開拓時代のアメリカ西部をテーマとしたウエスタンランド

 

 

この、イライアス・ホテルElias Hotel)です。

 

 

 

 

この建物、1883年竣工のようですが、この年には何か意味があるのでしょうかはてなマーク

 

 

冒頭ご紹介したディズニーランドパリの記事にも書いたのですが、ウォルトの父イライアスは、様々な仕事を転々と経験し、その中には建築業者も含まれているのですが、1884年まではカンザス州にある一家の農場で働いていたようなので、1883年にイライアスが西部の開拓地でホテル建設に携わるというような要素は無さそうです。

 

 

これはたぶん、実際の歴史上の意味はあまり無く、「隠れ記念日」のようなトリックではないかと思っています。

 

 

海外のディズニーパークでも割と見かけるトリックなんですが、「19XX年」と、ディズニーパークの歴史上で重要な年を表しているものの、エリアのテーマが現代ではない場合には、そこから100年とか150年とか、区切りの良い数字を差っ引いて表示していることがあるんです。

 

 

たとえば、スイスファミリー・ロビンソンのツリーハウス。

 

 

ロビンソン一家が漂着したのは1805年7月17日とされていますが…

 

 

 

 

これに150年足すと、1955年7月17日。カリフォルニアのディズニーランドの開園記念日ですね。

 

 

さて、この要領で1883年に100年足すと、1983年。今年39周年を迎えた東京ディズニーランドが開園した年になります。

 

 

そういうこともあってか、「1883」という数字は、ウエスタンランドの他の建物でも見ることができます。

 

 

 

 

さて、このイライアス・ホテル、1階の左側の壁を見ると、

 

 

 

 

・ お手頃な宿泊料で(REASONABLE RATES)

 

・ 日泊まり、週泊まり、月泊まりのできる(DAY・WEEK MONTH)

 

・ 食事が毎日提供される(MEALS SERVED DAILY)

 

という、なかなか条件の良い宿泊施設のようです。

 

 

 

そして、右側の壁を見ると、アグネス・マザーズ夫人MRS. AGNES MATHERS)が所有者("proprietor"の女性形"Proprietress")のようですね。

 

 

 

 

 

このアグネス・マザーズ夫人は架空の人物だと思いますが、そのモデルになったと考えられる人物として、この時代の修道女、マザー・アグネスMother Agnes Hazotte, 1847-1905)の存在を挙げることができます。

 

 

 

マザー・アグネスはニューヨーク州のバッファロー生まれですが、中西部ウィスコンシン州の開拓地で結成された聖アグネス協会に招かれてそちらに向かい、1864年に17歳で信徒団の総長に任命されて以降、亡くなるまでの40年余りの間、開拓地に住む人々の教化に努めたそうです。

 

 

ところで、東海岸の都市部とは異なり、未開の開拓地に出張や観光で訪れる人なんて、ほとんど居ないんじゃないかと思われますが、この時代の西部開拓地の「ホテル」は何のためにあったんでしょうはてなマークうーん

 

 

これについては、作家ミラリー・フェリル(Miralee Ferrill)の書いたコチラの記事が大変参考になります。

 

 

 

これによると、一攫千金を求めて遥々東海岸や海外からフロンティアに到達した人々の多くは、旅の途中でほとんどの財産を使い果たしてしまい、とても自分の家を持つことができる状態ではなかったようです。

 

 

そこで、開拓者の多くは、安値な宿に寝泊まりしながら生活していたとのこと。

 

 

イライアス・ホテルが日泊まりだけでなく、週単位・月単位での滞在も勧めている理由が良く分かりますねビックリマーク

 

 

開拓者たちが寝泊まりする宿泊施設は何も「ホテル」に限られず、実は居酒屋である「サルーン」も、飲食に訪れた客に寝室を提供していたそうですが、多くは店舗の上の2階部分で雑魚寝というような形態だったようです。

 

 

西部劇に登場するような荒くれ者にとっては、それでも十分だったかも知れませんが、身元のしっかりした家庭の人々、特に女性がそういった宿泊施設を好まないであろうことは明らかです。

 

 

そのような人々は、ちゃんとした宿泊施設である「ホテル」を選ぶわけですが、これもどちらかというと、今日のようなホテルよりは、「下宿」に近いイメージ。

 

 

ミラリー・フェリル女史も「ボーディングハウス」(boardinghouse)という言葉を使っていますが、これは19世紀の下宿を指す言葉です。

 

 

以下の過去記事では、都市部のボーディングハウスをイメージしたディズニーランドパリのレストランをご紹介しました。

 

 

 

この記事の中で、都市部では良家の夫人が副業として所有する邸宅を下宿として貸与していたことについて書きましたが、西部開拓地でもボーディングハウスの所有・経営者は女性であることが多かったようです。

 

 

したがって、イライアス・ホテルをアグネス・マザーズ夫人が所有・経営しているのは、こうした歴史上の事実を踏まえた設定だと考えられます。

 

 

では、家を持たない開拓者たちがお手頃価格で利用できるという西部開拓地のホテル、宿泊費用はいったいどれくらいだったのでしょうかはてなマーク

 

 

ミラリー・フェリル女史の記事によると、西部で最初に都市化が進んだサンフランシスコで1泊35セント、現代で8ドルほどだったようですから、1泊約1,000円ビックリマーク

 

 

1か月連泊しても3万円…ディズニー・アンバサダーホテルのスタンダードルーム1泊よりも安いおーっ!

 

 

1泊1,000円で泊まることができるんだったら、ウエスタンランドのイライアス・ホテルで月単位で泊まりたくなっちゃいますねウシシ