みねやまみちひとりごち (峰山道独言)

 みねやまみちひとりごち (峰山道独言)

   みねやまみちは 石ごろごろ  坂道 よこ道 けもの道 いのちの道  
  めぐりくる 日々を しばしとどめて つむごう

   峰山鍼療所 (みねやまはりいやしどころ) のひとりごとです ♪

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 4日間の “みたからの集い” が終わった。


 「みくさのみたから」 とはなんなのか、説明はできないので、興味が湧いたら、出会ってみてほしい。


 私が最初に知ったのは、友人が紹介してくれた、子供を学校にやらずに自給自足している家族のブログだった。

 ブログぬしの女性が、自給自足の暮らしの中で、「“みくさのみたから” があるから、だいじょうぶ」 と書いてあるのを読んで、興味が湧いたのだった。


 今はね、みずからたやすくすこやかにはれやかに生きる術(すべ)だということ、すごいということはよ~くわかるんだ。

(代掻きと田植えでもそんなに疲れなかったのは、凝りを感じるたび踊っていたからかも知れない)


 さて、ついに明日に迫った 「アンネの日記 朗読カフェ」。

 昨日から、稽古している。

 読みながら録音し、聞き直し、何度も再生を繰り返しながら職場の準備や片づけをし、気づくところを直してゆく。


 録音した声は、どう聞いてもおばさんだ。

 アンネは13、14くらい。


 アンネならどう語る?

 この言葉はちゃんと生きているか。

 アタマが聞き取れない。

 語尾がわからない。

 大仰にしゃべるな。

 ヘンなくせは要らない。

 アクセントに注意。


 ああー。

 やってもやっても、気づくところが出てくる。


 だけど、この過程が好きだ。

 苦しいけど、楽しい。


 明日は最高に楽しもう。

 アンネの誕生日(の前夜祭)なのだから。




 (7日のリハーサルにて)

 田植えが終わったので、ようやく、11日の 「アンネの日記 朗読カフェ」 の稽古ができる。


 とは言うものの、正直、明日からの 「みくさのみたから 東海4日間の集い」 に氣を奪われている。

 3日間は友人に乗せて行ってもらうが、 明日の晩はひとりで行って帰って来なければならない。


 掛川と言ったら、田んぼで通う藤枝のちょっと先だけれど、運転が得意ではない私にとって、ひとりで、夜に、慣れない道を、トラックに紛れて、ワークショップの後にも、運転しなければならないというのが大変なプレッシャーなのだ。

 いつか、夜にひとりで行って帰ってきた時は、かちんこちんに緊張していたらしく、3日くらい体中が痛かった。

 なんでこんなにからだがエライのか、最初はわからなかった。

 指が攣るほどハンドルを握りしめて、首を固めて前を凝視して、無事帰還の祈りを絶え間なく唱えながら、車を動かしていたのだ。


 今回は3日くらい前から気合いを入れている。


 余分な力を抜いて、だいじょうぶ、だいじょうぶ、きっと気持ちよく言って帰って来られる、と思い描いて。

 





 6月1日・2日は田植え。


 まずは、苗取り。



 これに時間がかかる。

 去年は苗が育たなくて、買ったものを植えたんだった。

 田植え機用に育てられた苗は、根が板のようにつながっていて、それをちぎっては植えていた。

 ばらばらじゃないから、楽と言えば、らく。

 当たり前に苗取りできることも、有り難し。

 苗端会議に花が咲く。



 しろかきの時から来ていたカラス、今度は家族を連れてやってきた。

 子どもにエサをやってるみたい。




 多い時には20人近く(?)ずらりと並んだものだけれど、今年はこれでおよそフルメンバー。



 それでも、こつこつ、苗を取ったり、植えたり。


 恒例のおしり品評会。



 昼のシェアごはんが、なんと言っても、最高。



 最後の1枚、こっちむいて~♪、足上げて~ ♪



 2日間で終わった。


 苗取りもあったけど、うまく進んだものだ。

 要領を心得てきたのかな。



 苗が夕風に揺れている。

 ありがとさん。

 きのうまで、堂々三連休で、田んぼ。


 5月29日に田に水が入ると連絡があり、家人がその日に出かけて、代掻き(しろかき)に手を(足を)つけてくれた。

 まわりの田んぼに水が入る日が決まっているので、自分たちの都合でできないのが悲しい。 ‥‥とかなんとか言ってられない、怒涛の数日間になる。

 まわりの方々は週末に機械植えするから、水入れは直前でもよかろう。

 私たちは水が入る前に田起こし、草刈り、水が入ったら大急ぎで代掻きをせねばならない。

 私はそうそう仕事を休んでもいられないから、代掻きは1日と決めている。 31日は “けっせんの金曜日” なのだ。


 仲間とやっている稲作は、有り難いことに、もう20年余も続いている。

 メンバーも高齢化してきた。

 上に書いたような水のまわりとか、仕事とか、親の介護とか、孫の世話とか、もろもろで、共同作業日に出て来られなかったり、田起こしや代掻きが間に合わないのではないかという懸念のために、近年は機械で土を起こして代掻きをやらないメンバーが増えた。

 今や、11軒のうち、鍬で起こしているのはウチのほかには2軒だけ、足で代掻きしているのは5軒だけだ。


 もともとは 「新農耕民文化研究会」 とかで、手足を使った稲作をしたいという仲間の集まりだった。

 メンバーが出たり入ったりもしたけれど、やがておおっぴらに、耕運機を借りるだの、脱穀機を借りるだの、そういう話が出るようになった。

 もともとのメンバーは何も言わない。

 もともとのメンバーの気持ちをわかっているだろうに、よくも機械化の話ができるものだと、出たり入ったりで続けている私は正直苦々しく感じたりもする。


 「続けることに意味がある」 と思っているのだろうか。

 「無農薬」 を勲章にしたいのだろうか。

 自分で作った米をヒトにあげて喜びたいのだろうか。


 動機はどうであれ、無農薬で稲作したい者の集まり、でいいのだろうか。


 サティシュ・クマール氏の映画 「今、ここにある未来」 を観て、「プロセス(過程)こそすべてである」 という言葉が響いた。


 そうだな。

 ほかのひとはモンダイじゃない。

 私が、手と足を使って稲作をしているこの過程が、何ものにもかえ難い、私のアートなのだ。

 自分と世界との掛け替えの無い氣(エネルギー)の交感なのだ。

 私が、手と足を使って稲作ができること、それ自体がなんというしあわせなのだろうか。






 代掻きは、水の入った田の底を踏み固めてゆく作業で、過酷だ。

 硬いところは鍬で崩しながら、ひたすら水と泥の中で足踏みをする。


 過酷だけれど、嫌いではない。

 1日でやる、と決めているから、気合いが入っている。

 汗だくだく、泥が顔にも飛ぶ、虫が寄ってくる、だんだん足があがらなくなってくる。


 田んぼは小さな花たちで豊穣。




 踏みつけてごめんよ。

 田のコヤシになっとくれ。

 


 始まりはこんなん。

 まわりだけぐるりと、前回家人がやってくれてある。



 休憩中。 家人、がむばれ。



 もう少し。



 となりでは、トンボをかけている。

 土の偏っているところを寄せて、ならしてゆく作業。

 これもたいへんで、いつか呼吸困難になったことがあるから、苦手なんだなあ。



 終わった。


 


 トンボでならして、共同の田の代掻きもして。



 燃え尽きた。

 麦わら帽子のアタマの中が汗でかぶれたみたい。 かゆくてたまらん。


 田植えについては、また明日。

 鍼療所から歩いてゆける郵便局に、今年もツバメが孵った。


 毎年、やって来てくれるのだが、年々巣が劣化(?)してきて、小さすぎるのではないかと思っていたら、いつの間にやら増築していた。

 前の道を通りながら目をやると、いつも親鳥が巣の上に見えて、卵を温めているようだった。

 今日、友達に新茶を送ろうと郵便局に行ったらば、私がいつも気にしているのを知っている局員さんが 「孵りましたよ~」 と話しかけてくれた。

 仰いで見れば、‥‥ 頭が4つ見えた。



 親鳥がぴぴっと鳴いて、あたりを飛んでいるので、のんびりカメラを構えてもいられない。

 ツバメはほんとに、人の暮らしに近いところに巣を営むので、撤去されるものもあるだろう。

 けど、敢えて、多少の汚れとか不便とか、厭わないで共存する風景は、うれしうなっちゃうんだよなあ。

 きっと、多くの人がそうなんだと思うよ。




 ああ、今は、ほんとに、山がきれいだ。


 



 浜松のハリ仲間が、県立美術館に行ったついでに、注文を受けていたお茶を引き取りに来てくれた。

 販売中止になる、と言って、浜松で作っているチーズ味のスナックの袋を出した。

 ふたりでそれをつまみながら、あれこれと話す。

 仲間が帰ろうとした時、車に赤い気配が映っているので、西の空に誘ってみた。



 ちょっと遅かったかな。



 別世界だ、と仲間が言った。

 いいところでしょう?

 我ながら、いいところに住んでいると思ってるよ。




 我が家の前の住人が植えていったのだろうと思われる、玄関先のオダマキ。

 田んぼ仲間がウチに来た時、この紫すてき、と気に入ってくれて、それから意識するようになったのだけれど。



 年々、ほかの草花に押されて、昨年はコンクリートの隙間から生えていた。



 今年、見当たらなくて、ひょっとして絶滅したのかと思って、ショックだった。



 調べてみると、ミヤマオダマキという種類ではなかろうか。

 珍しいものを、前の住人が植えたのではなかろうか。




 ああ、取り返しのつかないことをしたかも、と嘆かわしく思っていたら。


 出て来てくれた。




 ありがとありがと。


 やっぱ、美しいわ。

 雨上がりは、何もかも。



 夜のみねやまみちに、夜目にも白い花のにしき。



 夜だとうまく撮れないので、陽(ひ)の下(もと)でカメラを構えてみるも、光と同化してしまう。



 ゆくみちに 花が敷かれる うれしさよ



 昨日の午後は数理学講座・後半に参加した。

 ほかのメンバーとの都合が合わず、先生とマンツーマンの講義、ありがたい。

 この数理学は、先生がその師から継承したもので、日本独自のものと言えるだろう。


 数にまつわる術・学はさまざまある。

 私は10年以上前に、街のカルチャー教室で開かれたカラーと数秘の講座に参加したことがある。

 自分の数のカラーの天然石でブレスレッドをつくるという教室で、参加者はもちろん女性ばかり。

 不器用な私、自分でこういうの創るのは初めてだったが、自分でつくると、うれしいものだな。

 それだからかどうかわからないが、そのブレスレッドをつけるようになってから、人生が展開したのだ(と、思っている)。


 数の持つ力、というのはあると思う。

 ただ、自分がその数の性質に当てはまっているかは、よくわからない。


 私は、「あなたは~だ」 と断定されるのが好きではない。

 きっと、こういう数秘や、数秘から派生している個性心理学で分類?査定?してみると、ヒトに指摘されるのが好きではない、とか、しっかり表われていて、分析する人はふむふむと思うのだろうと思うと、またシャクに障る。

 単にプライドが高いのか、自分のことをよくわかっていないのか、‥‥ 両方かな。


 やっぱりなんだかもやもやしての帰り道。

 空がすごい。




 ついつい日没まで、眺めている。




 ああ、シズカン清水、行き損ねたなあ。


 今日は月に一度の地元の施術会。


 人数は少ないのだけれど、少ないとめいっぱいマッサージをやってしまう。

 それはそれでよいのだけれど。


 今日は鍼療所の仕事は休んで、夕方から気功セミナーに出かける予定だったが、鍼療所に向かう途中も、うつらうつら。

 着いたらば、パソコンの前でこっくりこっくり。


 やっぱ、気功の日と施術会を一緒にしないほうがいいなあ。

 貴重な気功セミナーを今月も欠席だ。


 気功に行くのをあきらめたので、劇団静芸の 「マンザナ、わが町」 を観にゆけるのだけれど、3時間の舞台、‥‥ あきらめる。







 通りの向こうの車がメタルピンクに染まっている!!


 あわてて外へ飛び出した。

 

 濁流の川が映している。