「俺たちが明日出撃することは、無駄じゃあないんですよね?俺たち、後から馬鹿にされないですよね。」本文の冒頭の言葉は、軍人とは思えないほどの肥満体で、隊の足をひっぱってばかりの高松が、出撃前夜、隊長の望月に、明るく問いかける台詞である。

 最初に断っておくが、筆者は、右翼でも国粋主義者でもない。戦争は断じて行うべきではないと考えているし、中国に対する侵略戦争は間違っていたと認識している。しかし、「特攻」で散った若者達を、狂人・強制扱いすることは、問題の本質を余りにも矮小化する行為に他ならない。

 戦後の日本は、侵略戦争を繰り返した帝国主義への自省から、自虐的史観に陥り、「特攻」で散った若者達を、狂人扱いすることで、歴史的現実から目を背けようとした。曰く、「狂信的な天皇崇拝によって」「神風の狂気に取り憑かれ、敗北の現実を受け入れられずに」「軍部によって手を操縦桿に縛りつけられ、強制的に出撃させられて」。
 
 しかし、「特攻」を単なる狂気として扱うことは、「彼等は、なぜ、なんのために死んでいったのか?」という問いに対する、真の回答を封印しすることで、忘却の彼方に追いやろうとする行為に他ならない。人間は、歴史上における行為の真の理由を追及しなければ、再び同じ過ちを繰り返すことになる。

 当時の日本人の誰もが、日本の勝利を信じて疑わなかったというのは、事実ではない。特に、戦闘機のパイロットに選抜されるような知識人や、学徒出陣兵は、米国と日本の国力の差を冷静に見極め、日本が敗北することを間違いなく理解していた。それでも、彼等は「特攻」のために出撃したのである。

 では「彼等は、なぜ、なんのために死んでいったのか?」

 「この戦争、日本は負ける。しかし、我々の死によって、負けの意味が違ってくる」
 
 出撃前夜、特攻の、そして自分たちの死の意味を問われた、望月の答えである。1945年7月には、連合軍が沖縄に上陸し、空襲によって首都東京は焼け野原になって、本土決戦は間近に迫っていた。若者達が、特攻のために飛び立ったのは、国家という抽象的な概念を守るためでも、天皇という現人神を崇拝していたためでもない。彼等は、自分の父を、母を、姉妹を、愛する妻と子を、そして、自分を育ててくれた故郷と仲間たちを守るために、敵が本土に上陸するのを少しでも遅らせるために、自らの生命を賭して、敵艦に特攻したのである。

 勝てる見込みのない戦争のために、自らの若い生命を散らすことは、愚かなことであろうか?それならば、勝てるから戦争を行うのであろうか?勝てるから、人を殺しても良いのであろうか?日本が勝てるから、自分は殺されても良いのであろうか?決して、そうではあるまい。

 戦後、日本に進駐した連合軍は、東京裁判を除けば、占領下の日本人に対して、殺戮・略奪を行わず、寧ろ、復興を手助けしてくれた。だからこそ、現代から振り返ると、日本はもっと早い段階に降伏すべきだったと考えることができる。しかし、敗戦前の日本人は、そうは考えていなかった。

 欧米の帝国主義は、アフリカ・中東・インド・東南アジアを植民地化して冨を収奪し、中国にアヘンを蔓延させて、占領・分割してしまった。日本人は、戦争に敗北すれば、他の植民地諸国と同様の苦しみを味わうことになると、信じて疑わなかった。当時の世界情勢を見れば、そのことは、自明の理であって、日本人を批難する権利は、誰にもない。

 しかし、戦後、日本を占領した連合軍は、日本を植民地化せずに、復興と自立の手助けをした。それは何故か?