米ソの対立が深まり、冷戦構造が成立したことが一因であるが、それだけではない。連合軍は、日本人を怖れていたのである。それが、望月の言った「負け方の意味」である。日本人は、最後まで戦って、戦って、戦い尽くした。零戦を敵空母に特攻させ、日本海軍最大の戦艦大和に、片道だけの燃料を搭載して、沖縄に向かわせた。日本は、敗北するその日まで、死力を尽くして戦い抜いたのだ。そのため、米国は、ヒロシマ・ナガサキに、原爆を投下せざるをえなくなったのである。

 筆者には、天皇に開戦の責任があるかどうかはわからない。しかし、終戦の功績と戦後の復興は、ひとえに天皇の英断にこそあると思っている。1945年8月15日、天皇は、玉音放送において、「耐え難きを耐え、しのび難きをしのび」無条件降伏を宣言した。その瞬間、本土・外地を含めた、ほぼすべての日本人が、命令に背くことなく、武器を捨てて降伏した。この時の日本人ほど、ある一つの民族が、整然と全面的に降伏した例は、世界史上稀有であろう。

 もし、この時、天皇が徹底抗戦を唱え、本土決戦が行われていたら、日本の国土の荒廃と、連合軍の消耗は、ヴェトナム・アフガニスタン・イラクの比ではない。日本の国土は山岳地帯が多く、ゲリラ活動には最適な地勢であり、欧米列強と肩を並べるレベルの人口と国力があった。戦争は長期化し、連合軍が疲弊して撤退するか、日本中に原爆が投下され、日本全土が死の国と化すか、二つに一つの選択しかなかったはずである。また、特攻隊の例を見れば、自爆テロが頻発したであろうことは、想像に難くない。

 連合軍は、特攻隊を怖れていた。どれほどの艦砲射撃を行っても、弾幕を張っても、真っ直ぐに自艦に突っ込んでくる零戦を止めるすべはなかった。「クレイジー!」としか、言いようがなかったのであろう。彼等の死は、無駄ではなかったのである。負けの意味を変えることに、大きく貢献したのである。だからこそ、日本は、戦後「敗北を抱きしめて」奇跡の復興を遂げることができたのだ。

 現代の平和な時代を生きる我々日本人は、「特攻」で短い生命を散らした若者達に、感謝こそすれ、決して、「馬鹿にしたり」「忘れたり」してはならないのである。

 最後に、自己犠牲の尊さについて述べる。「特攻」は、若者達の尊い生命を散らした、正に、自己犠牲の精神であった。自己犠牲の精神は、何も、日本人だけがもつ価値観ではない。「殉教」の言葉通り、キリスト教世界においては、イエスを筆頭とする教父達が、自己犠牲によって死に赴き、最前線の勇者達は、自軍を勝利に導くため、戦場において自分の生命を犠牲に捧げている。

 古くは、テルモピュライの戦いで、レオニダス大王率いるスパルタ軍は、ペルシア帝国の数百万の大軍を、わずか三百人で食い止め、全員が生命を散らした。カール大帝の騎士、ローランは、軍勢を無事にフランスに帰還させるため、わずか十二人の勇者と共に殿軍を務め、追撃するイスラム教徒の軍勢との戦いの中、生命を散らしている。
 
 映画の「アルマゲドン」では、地球を救うため、最後に、自ら隕石に残って自爆しているし、「インディペンデンス・デイ」では、米国空軍のパイロットが、宇宙船に特攻して後続の活路を開いた。

 自己犠牲の精神は、人類に普遍的な価値である。それは、決して日本人特有の価値観ではなく、ましてや、「特攻」の隊員だけの狂気ではない。人間には、自分の生命よりも大切なものがあることを、そのために、若者達が「特攻」に赴いたことを、決して忘れてはならないのである。