血液型占いをどう考えるべきか? | 西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA(メンサ)会員/IQ149(WAIS-Ⅲ)、日本抗加齢医学会指導士、実用イタリア語検定3級。趣味は読書、芸術鑑賞、小説執筆(2019年神戸新聞文芸年間賞受賞)、スイーツめぐり、香水づくり。

きょうは

血液型占い

について。

少し古い話ですが、「朝日新聞」のサイトから(2011年7月12日22時39分の記事)。

「失敗を血液型のせいに」 前復興相弁明に欧州驚き 

松本龍・前復興担当相が辞任前に「私はちょっとB型で短絡的なところがある」と、血液型に触れて釈明したことが、海外で関心を呼んでいる。 
血液型による性格判断になじみがない欧州メディアは「失敗を血液型のせいにできるのか」と驚きを隠さない。 

アイルランドの日曜紙は10日、釈明について「被災者は(怒りで)血が煮えたぎったはずだ」と評した。 
自国の前首相がラジオであやふやな応答をした際に「鼻づまり」と弁明したことについても「松本氏に比べれば信頼できる」。 
南アフリカの経済紙は「これから閣僚にはA型の人物を任命すべきだ」と提案。 
英紙ガーディアンは血液型別の性格を例示し「わが国の政治家はどれ」と問うた。 

これは極端な例かもしれません。
しかし、日本において血液型占いは大変隆盛です。

「きょうの血液型占い」「血液型相性占い」といったサイトはいくらでも見つかりますし
「B型自分の説明書」などの「x型自分の説明書」シリーズはベストセラーになりました。

そもそも血液型は、

1901年、オーストリア・ハンガリーのユダヤ人の医学者カール・ラントシュタイナーが発表した分類法で
赤血球の表面の糖タンパク質(抗原)の種類をもとに

「自分の血液型をA型と名付け、
残りの血液型をそれぞれB型、C型と名付け」

ました。
初め、血液型は3種類しかなかったのです。

1902年、アルフレッド・フォン・デカステロとアドリアノ・シュテュルリによって第4の型が追加発表され

1910年、エミール・フォン・デュンゲルンとルドヴィク・ヒルシュフェルトにより、
第4の型にAB型という名称が与えられ、C型の名称はO型に変更された


という経緯があります。

(C型をO型に変更した理由は、数字の「0」(ゼロ)ではなく、
ドイツ語の「ohne」((A/B抗原が)「 - ない」の意味)の頭文字であるという説があります)

したものですが、

赤血球表面のタンパク質がヒトの性格に影響を与えるという
医学的・生物学的根拠は皆無です。

ところで、どうして、たとえばA型は几帳面で神経質、O型は大らかで親分肌といった性格になったのか?

以前、言語学者の金田一秀穂先生が雑誌「VOW」のコラムに書かれていた面白い説を紹介します。

血液型性格占いには、文字のかたちの影響がある。

文字が 2 つ重なっている AB  → 二重人格

丸い O →おおらか

鋭角的な A→ 神経質

左右非対称な B →マイペース


といった性格が連想されている、というものです。

・・・真偽はともかく、血液型占いに振り回されないように、
まして前掲の失言した政治家のように、自分の失敗やいたらなさを血液型のせいにするなどということがないように、
気をつけたいものですね。

ちなみにわたしはA型です。


【後記】
ナチス・ドイツのヒトラーは「ドイツ人にはA型が多く、ユダヤ人にはB型が多い」ことに着目し、自身がA型だったことから「B型のユダヤ人は排除されるべきである。B型はA型より劣るからである」と考え、ホロコースト(大量虐殺)に至ったという話があるそうです。
ヒトラーは大変な血液型類型信者で、側近のナチス親衛隊の血液型は全員A型だったほどでした。

戦時中の日本でも、優れた兵士を集めた戦闘機訓練をする際などに血液型グループの理論を適用していたといわれています。
ナチス・ドイツから影響を受けたのでしょう。

また防空頭巾や身の回りの物には、氏名と血液型を必ず書かせていました。
今でも、幼稚園や工場などで同じようなことをさせているところがあります。

空襲などで負傷した際の輸血の手間とリスクを軽減させるため・・・だったそうですが、
実際に役立ったという話は聞きません。


いずれにせよ、安易に類型化(グループ分け)するひとたちは、ロクなことをしないようです。
差別しているわけですからね。