映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』
※ ネタバレあります。
日本統治時代。
台湾・嘉義市の嘉義農林学校、
通称・嘉農(かのう)の野球部の物語。
猛練習の末、台湾代表になり
甲子園に行ったチームだ。
選手たちは船で日本へ渡り、
初出場にも関わらず
甲子園の舞台で試合に勝ち続け、
準優勝を飾ったのだ。
この映画。
最大の見せ場は、
もちろん。
終盤、優勝を賭けて
両チームの選手たちが
試合に挑むシーンなのだろうし、
私にしても、選手たちが
懸命にプレイする姿に
引き込まれながら
最後まで鑑賞したのだが。
実は。
私がこの映画で一番共感したのは、
メインテーマとは違う場面だった。
作品中には、野球部に
まつわる話の他に、
嘉南大圳が完成した際の
様子が描かれている。
嘉南大圳とは。
1930年(昭和5年)に竣工した
台湾で最大規模の農水施設で、
日本統治時代の最重要な
水利工事の一つである。
以上、ウィキペディアから
お借りしました。
早い話が。
ダムが建設され、
各地の用水路へと
水が流れるようになり、
田んぼのすぐ傍まで、
水を引くことが
できるようになったのだ。
半ば呆然としながらも、
水が流れ始めた用水路の脇を
その水と連れ添うように歩く
水汲みの桶を持った
農夫らしきおじさん。
「水が来たぞ!
もう運ばなくてもいいぞ!」
振り返ると、走ってきた
同じく農夫らしき若い男が
こう叫ぶ。
「水だ!水だ!早く!」
走り去る男を尻目に、
おじさんは、膝をつき
用水路を流れる水を
掌ですくう。
この記事を書くために、
そのシーンを見直したのだが。
観るのは
二度目にも関わらず、
鳥肌が立つほど
心を揺さぶられてしまった。
ちょっと
泣きそうなくらい。
自分でも、びっくり。
きっと。
当時の農家さんたちにとって、
田んぼのすぐ脇を
水が流れるということは、
今、各々の家庭に水道が通り、
蛇口を捻れば水が出るのと
同じくらいの意味が
あったんじゃないだろうか。
ちょっとだけ。
想像してみて
もらえませんか。
朝起きて、トイレで
用を足した後、流す水。
その後、
手を洗う水。
洗面所で
顔を洗う水。
米を洗う水。
ご飯を炊く水。
野菜、フライパンや
鍋を洗う水。
魚を焼いたら、
グリルを洗う水。
納豆でべたべたに
なったお茶碗も。
歯磨きの後の
うがいの水。
ヘアオイルやワックスを
つけた後、手を洗う水。
髭剃りの後、
剃刀を洗う水。
花にあげる水。
朝出かけて、
夜の帰宅後。
手を洗う水。
トイレを流す水。
夕飯の準備や
後片付けに必要な水。
風呂の水。
洗濯の水。
化粧を落とす
ための水。
こういった水をすべて
一滴残らず、どこからか汲んで
こなければならないとしたら。
それも、
家族全員分。
人体にも、生活にも
決して欠かすことのできない
この水という存在。
何が厄介って。
重いのよ。
ものすごく。
もう何年になるだろう。
我が家では、湧水を汲んで来て
飲料水にしている。
そのために用意した
20リットル入りの
給水タンクが
いくつもあるのだが。
あまりに
重いからだろう。
そのうち、肘に違和感や
痛みを覚え始めたので、
使うのをやめた。
今では、5リットル入りの
給水タンクをたくさん持って
水を汲みに行っている。
その後。
20リットルの給水タンクは
物置に放置されていたのだが。
断水時、大いに
活躍してくれた。
地震後、給水のシステムが
まだ整っていない頃。
うちの前の坂を
少し下ったところの、
道路がぱっくり割れた箇所から
噴き出していた地下水を
このタンクで汲みに行っていた。
もちろん。
飲料水にはできないので、
生活用水として使っていた。
この水をバケツで汲んでいる
ご近所さんにも遭遇したっけ。
その後。
「長男次男・兄弟情報網」が
近所で水が湧いている場所を
発見してくれた。
ここには、テレビも
取材に来ていたらしく、
ニュースで流れていた。
どなたか、有志の方が
ゴムプールを設置して
くださったようで、
夏ならば、中に入って
遊べるくらいの
水が溜まっていた。
お陰様で、
並んで待つことなく、
たくさんの人が同時に
水を汲むことができた。
町内には、もう一か所、山から
水が湧き出ている場所があって、
そこにも、よく通わせてもらった。
今になって思えば、
車があることが
本当に有難かった。
我が家の車は、
私たち家族にとって
戦友みたいなものだ。
よくぞ、あの日々。
これでもかというくらい
どこもかしこも道の悪い中、
重たい水を
たくさん積んでも
へこたれず、
パンクも故障もせず、
私たちをあちこちへと
無事に運んでくれました。
本当にどうもありがとう!
それにしても、
やはり。
20リットル入りのタンクは、
ずっしりと重い。
私の代わりに、
長男や次男が運んでくれた。
ふたりとも、その節は
大変お世話になりました。
どうもありがとう
ございました。
正月休みが終わり、
長男が金沢に戻った後、
水汲みは、私と次男の
仕事になったのだが。
「なんで、こんなことせな駄目ねんて」
次男。
愚痴る。
その気持ちは
よくわかる。
1月。
真冬の寒い中の
ことでもある。
トイレを流すには、
結構な量の水が必要だ。
増してや、
家族3人分。
20リットルのタンクが
5~6個あっても、
数日しか持たない。
鍋も茶碗も洗えないから、
料理はしない。
顔も洗わず、
ウェットティッシュで拭いた。
手も洗わず、
消毒で済ませる。
それでも、
水はすぐに無くなった。
「水が来たぞ!
もう運ばなくてもいいぞ!」
こう叫んだおにいさんの、
歓喜に浮き立つ
その気持ち。
私には、涙が出るほど
分かる気がしたのだ。