ここにいるよ | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

先日。

明け方のこと。

 

目を覚ます直前まで

見ていた夢に、

夫が出てきた。

 

 

 

今年で8回忌を迎える夫が

夢に出てくることは

今までに幾度もあったから、

特段珍しいことではない。

 

 

 

 

この日は会話も、

これといった物語性もなく、

 

言ってみれば

他愛もない夢だった。

 

 

 

が。

この日は。

 

夫が夢に出てきたことに

意味があると私は思った。

 

 

 

 

その日は、娘の

卒業式だったから。

 

 

 

 

 

きっと。

あのおっさんは。

 

娘が小学校を

無事卒業することが、

嬉しかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

そう。

無事に。

 

 

 

 

 

 

娘は2年生の時、

同級生と、その子の

手下的な子たちに

いじめられていた。

 

 

1学期の頃は、

よく泣きながら

帰って来た。

 

 

 

わが子のそんな姿を

目の当たりにするのが、

 

親にとって

どれほど辛いことか。

 

 

 

 

別の保育園に通っていたから

娘も私も知らなかったのだが。

 

 

娘をいじめていた大元の子は、

保育園の頃から、すでに

「常習」だったらしく。

 

 

その後も色々あったのだが、

2学期も終りに近づいた頃、

ついに許し難いことが起こり、

 

その際の学校の対応に

到底納得がいかず、

 

娘と話し合った結果、

非登校を選んだ。

 

 

 

不登校ではない。

非登校だ。

 

 

 

つまり。

 

学校に行けなくなった

というのではなく、

 

学校に行かないことに

したということだ。

 

 

 

校長には登校を促されたし、

うちまで車で迎えに来ると

言われたが、断った。

 

 

 

 

 

詳細は、今書いている

 

「エイリアン、故郷に帰る」

 

の後に書こうと思っているので、

ここでは割愛するが。

 

 

 

 

とにかく。

 

娘は2年生の3学期を

ほぼ丸々登校せず、

自宅で過ごした。

 

 

 

転校やフリースクールも

視野に入れていたのだが。

 

 

 

ある人のご尽力のお陰で、

3年時の1学期から、

 

娘はもう一度同じ学校に

通うことになった。

 

 

 

 

 

きっと。

 

夫は、その経緯を

全部見ていたのだろう。

 

 

そして。

 

心を痛め、やきもき

していたんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

そんな娘が。

 

卒業式の日を

迎えることができた。

 

 

 

 

 

そりゃ、

嬉しいわよね。

 

 

 

 

 

 

思い出す。

 

夫が、まだ幼かった娘を

見るときの眼差しや表情。

 

 

とろけそうだった。

 

 

師匠のあんな顔は

初めて見たわ。

 

 

68歳の時に

生まれた娘。

 

孫娘と言った方が

しっくりくるほどの

年の差。

 

 

 

 

 

そりゃ、

可愛いわよね。

 

 

 

 

 

卒業式の数日前に

もらった学級通信。

 

卒業証書授与の順番が

書いてあったのだが。

 

 

娘の順番は、師匠の

月命日と同じ数字だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ。

先生だ。

 

 

 

 

 

 

 

こう思った。

 

 

 

こんな数字の偶然は、

今回が初めてでは

なかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨年の冬。

 

金沢にいる長男と

一緒に食事をしようと、

 

次男と娘を連れて

ブッフェスタイルの

レストランに行った時。

 

 

 

 

100以上ある中から

私たちが案内されたのは、

 

師匠の月命日と同じ数字の

プレートが貼られた

テーブルだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。こりゃ、パパやわ。

一緒に来とるんやわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ。

 

ただの偶然でも

構わない。

 

とても嬉しくなって、

子供たちにこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにいるよ」

 

 

 

 

 

 

 

私には、夫がこう言っている

ような気がした。

 

 

 

 

 

ブッフェからの帰り。

 

車の中で、パパは何を食べたの

だろうと、話は盛り上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのパパのことやし。

醤油スープと豚骨スープ

合わせて、パスタ食べそう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

うん。

 

あのおっさんの

ことだ。

 

それくらいのことは、

十分にあり得る。

 

 

見ている方が、思わず

味を想像してしまい、

 

挙句に胸が悪くなりそうな

気味の悪い組み合わせでもって、

 

張り切ってあれこれと

食べていたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

この日以外にも。

 

ある時期。

 

やたらと、その数字を

日常生活のあちこちで

目にすることが続いた。

 

 

 

 

 

 

 

一体何だろう...

 

 

 

 

 

 

こう思っていると。

 

 

 

 

父の病気が判明した。

 

 

 

 

私の母は既に

他界しているし、

 

一人いる姉は、

遠方で暮らしている。

 

だから。

 

必要なことは、

私が対応した。

 

 

 

 

 

 

幸い。

お陰様で。

 

手術後、父は無事に退院し、

入院前と変わらない生活を

送ることができている。

 

 

 

 

 

 

 

「君はひとりじゃないよ」

 

 

 

 

 

 

きっと。

 

師匠は、この時。

 

父の身に起こっている

ことを知っていて、

 

しばらくは、私の身の回りも

慌ただしく、精神的にも

辛くなることを見越して、

 

こう伝えようとして

くれたんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「私はここにいるよ」

 

 

 

 

 

 

 

こんなメッセージと

共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、先日。

娘の卒業式。

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒にお祝いしてるよ」

 

 

 

 

 

 

 

あの人は。

 

こう伝えに来てくれたん

じゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにいるよ」

 

 

 

 

 

 

 

あの数字で、

そばにいることを

教えてくれつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます」

 

 

 

 

 

 

 

仏壇にある先生の

写真に挨拶しても、

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう」

 

 

 

 

 

 

 

先生の声が、こう返して

くれたことはない。

 

 

いや。

もしかしたら。

 

返してくれているの

かもしれないが。

 

残念ながら、私の耳に

届いたことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも。

どうやら。

 

私はひとりでは、

ないらしい。

 

もちろん。

子供たちも。

 

 

 

 

 

 

 

 

先生。

 

いつもありがとう

ございます。

 

お陰様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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