「エイリアン、故郷に帰る」の巻(30) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

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【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

「エイリアン、故郷に帰る」の巻(29)




もう、誰にも任せ切りに
することはできない。


師匠の口から胃へと下された管から
送り込まれる栄養剤は、

先生の命をこの世に留めることはできても、
病状の回復に役立っていないことが
よく分かった。



愚図愚図してはいられない。



私は自分のホテルのある街に戻った。

先生が入院している病院まで、
徒歩10分程度だという理由で選んだホテルだが、
ここは漢方薬の問屋街からも近い。

徒歩圏内だ。

師匠がこの世で一番信用している薬が、
山のように売っている街。

ここで、今の先生の状況に
一番合った薬を探すのだ。




行き先は決まっている。

店主が日本語を話せるお店だ。

以前、師匠に飲ませる漢方を
探しに立ち寄った時のこと。

お店の人が、






「老闆(ラオパン)が日本語を話せるから。」






と、引き合わせてくれた。


李さんという名前の社長さん。

この人に出会えたことは僥倖だった。

日本語での会話、読み書きがとても達者で、
師匠の状況を日本語でこと細かく説明しても、
きちんと理解してくれた。


もちろん漢方の知識も豊富で、
何でも相談できる。


私も、自分なりに調べた漢方薬の名前を
出しながら、師匠に何を飲ませたらいいのかを
この老闆に相談にした。


李さんと相談して決めた、
今の師匠の腎臓に効くはずの漢方。


煎じ方。服用の方法と間隔。
一回に飲ませる量。


店先でしっかりメモを取る。






勘違いや思い違い、ついうっかり
なんぞがあってたまるか。





その後、ホテルに戻って漢方薬を置いたら、
今度は、これもまた徒歩圏内の
ある商店街へ向かう。


その界隈は、業務用から家庭用まで、
様々な種類の容器を扱うお店が
連なっている一帯だ。


以前、台北に住んでいた時に、
師匠に連れてきてもらったことがあった。

ここで、煎じた漢方を入れる
容器を買うのだ。

プラスティックはいけない。
ガラスに限る。





熱い食べ物や飲み物を、プラスティック容器に
入れてはいけない。




そうでしたね。先生。

たとえ目には見えなくても、容器の形が変形しなくても、
プラスティック容器に熱いものを入れると、
プラスティックの成分がその中に溶け出してしまう。




それを飲食して、
体に摂り込んではいけない。




師匠はよくこう言っていた。


だから、ガラス容器のみを
いくつか買った。

漏斗もガラス製にした。
スポイトも買った。


今の先生は、自分の力で
薬を嚥下することはできない。

だから、スポイトを使って、チューブから
漢方を送り込む以外に方法はない。


これで必要なものはすべて揃った。





ホテルに戻り、共同で使えるキッチンで、
李さんに教わった通りに漢方を煎じた。


このホテルのキッチンは、滞在者が自炊できるように、
電子レンジはもちろん、大小の鍋、フライパン、
お皿やカップ、カトラリー類も、すべて完備されていた。





煎じた漢方を容器に詰め、
バッグに入れてホテルを出る。

容器はまだ熱い。

ガラス瓶だから、割らないように
気を付けなければ。


病院に着く頃には、先生に飲んでもらうのに、
ちょうどいい温度になっているだろう。





ホテルのすぐそばには、台北駅に続く
地下コンコースへの入口があった。

長い階段を下へ下へと降り、しばらく歩いて
台北駅に着いたら今度は外へ。

台北駅正面にある大通りの向かい側へと、
大きな横断歩道を渡る。



こちら側とあちら側で、数え切れないほどの人が、
辛抱強く青信号を待っている。


でも、待ちわびてやっと渡れても、
青信号はいつまでも続かない。


残された時間が短いことを知り、
寸秒を惜しんで向こう側へと急ぐ。


遅れないように。
引かれないように。
次の瞬間も無事でいるために。


この風景に、つい人生を重ねてしまうのは、
私が置かれている状況のせいだろうか。


きっと、そうなんだろう。







師匠が転院するのは、予想外のことだった。


病院まで歩いて通えるホテルを探し、
予め一週間分予約してあった。

料金は前払いで、宿泊しなくても
返金はされない。


ホテルから転院先まで、通うことにした。


地下鉄も利用してみたが、結局、台北駅前から
バスに乗るのが一番便利で、且つ早く病院に
着けることが分かった。


師匠が入院している病院の、最寄りの
停留所を通るバスを調べてメモする。





言葉が通じないのだから、くれぐれも
乗り間違えないようにしないと。




最寄りのバス停は、台北市内でも
一二を争う繁華街にあった。

いくつものバスがそこで停まるし、
本数も多くて有難い。


ただ。

いつ来ても賑やかな街並みが、
私にはとても切ない。



何でもない時だったら、
どんなに心が弾む光景だろう。



贅沢な買い物ができなくても、
豪華な食事ができなくても、
先生と子供たちと一緒に歩けるだけで、
どれだけ楽しいだろう。


きっと、子供たちは
大はしゃぎする。


あんなお店がある。
こんなおもちゃが売っている。

美味しそうなドリンクやスイーツ、
点心を食べられるお店がたくさんあると
大喜びするに違いない。







「どれもこれも全部は買ってあげられんから、どれかひとつ選びなさい。」






こう言うと、きっと子供たちは
辺りを見回し、欲しいものを真剣に選ぶ。


私には、その姿が
ありありと目に浮かぶ。


これにした、あれに決めたと、選んだ理由まで
嬉々として話してくれるだろう。





バス停に到着すると、お城みたいに大きくて、
夜も昼みたいに明るいデパートや、
色とりどりの鮮やかなネオンで飾られた
ビル群に背を向けて、病院へと向かって歩く。


目的地に向かうにつれ、お店の数が徐々に減っていき、
大通りの華やかさは、ものの3分も歩けば消えてしまう。





一体どうしてなんだろう。

自分の人生なのに、
次の瞬間のことすら分からない。


人は、自ら望んで
この世に生まれてくるという。

でも。

そうであったとしても、
望んだ時の記憶がない。


どうして自分が生まれてくることに
なったのか、その理由も分からない。


だから、往々にして
生きることに迷うし、挫ける。

人生は理不尽で、心細いこと
この上ないと、戦いたりもする。



でも。
寄り添う人がいれば暖かい。



先のことが何ひとつ分からなくても。
泣きたくなるようなことがあっても。

実際に、泣き崩れてしまっても。




寄り添う人の温もりや、その記憶があれば、
きっと何とかやっていける。


きっと強く生きられる。


美しい月や風景を見たときの。
繋いだ手が暖かったときの。

一緒に散歩した道で見た海が
キラキラしていたときの。

一緒に食べたご飯が
美味しかったときの。

飛び上がるほど
嬉しいことがあったときの。

その感動を伝えたときの。
一緒に分かち合ったときの。


その思い出さえ、心にあれば。






師匠と同じ道に進もうと受験した
鍼灸の専門学校に合格したとき、
私は真っ先に電話で師匠に報告した。






「おめでとう。」






こう言ってくれた師匠。

電話を切ったすぐ後に、
師匠から電話がかかってきた。







「あのね。喜びすぎて、交通事故に遭わないように気をつけてね。」







この言葉を聞いた瞬間、私は思わず笑ってしまったが、
受話器から伝わってくる師匠の口調は、いたって真剣だ。

おまけに、繰り返して言う。






「ほんとよ。ほんとに気をつけてよ。」






その後、師匠の治療院に行った際、
この時の話をしたら、







「あのね。病気だったら、私が何とかできるよ。
でもね。もし交通事故で内臓破裂しちゃったら、私じゃ治せないよ。
だから心配したよ。喜びすぎて浮かれちゃって、事故に遭ったら大変だから。」








やっぱり、真面目な面持ちで
こう言うのだった。


私たちは、この時、
まだ結婚していなかった。

そんな気持ちや予定はおろか、
言葉すら浮かばない頃のことだ。

その当時の私は、
ただの弟子に過ぎなかった。





笑っちゃいけませんでしたね。先生。
どうもすみませんでした。

あの時は、心配してくれて、
本当にありがとうございました。

あんな風に私のことを心配してくれるのは、
きっと世界であなただけです。




そして師匠は、お祝いだと言って、
3万円の入ったご祝儀袋を
私に手渡してくれたのだった。






こんな思い出が。

今日までに積み重なってきた
こんな温もりの記憶の数々が、
きっと私を強くしてくれる。






先生の手は、いつも暖かい。






「私の “気” は強いから。だから、私の体は暖かいよー。」






そうでしたね。先生。





自宅の居間に座っている時の
師匠の背中。

小柄な人だけど、
とても大きく見えた。





この人がそばにいてくれるだけで、
どれだけ心強いだろう。

蔵が建つほどのお金があるよりも、
この人がいてくれる方がホッとする。





いつもこう思っていたし、大喧嘩した時ですら、
その気持ちは変わらなかったけれど、
口に出して先生に伝えたことはなかった。


気恥ずかしくて、そんなことは言えないと
固く思い込んでいた。







なんて馬鹿だったんだろう。

そう思っているのなら、思ったままを
素直に伝えればよかった。


一体、誰に何の遠慮がいるだろう。


ICUに着いたら、すぐに先生に伝えよう。

あなたの暖かい背中が恋しいと。
それは子供たちも同じだと。






いつまでも病院に着かなければいいのにと、
心のどこかが思っている。

今の先生の手が、いつもみたいに
暖かくないことを認めたくない。





一体どうしてなんだろう。

どうして、わざわざ台北まで来て
今、一番夫に伝えたいことが






「あなたの背中が恋しい。」






でなくちゃならないんだろう。



そばに行って手を伸ばせば
すぐ触れられる距離にいるのに。



先生の暖かさは、もう私には
手の届かない贅沢なんだろうか...?

どうやら。

お金で買えるものではないらしい
ことだけは分かる。






今、自分が晒されている現実が、どんなに
気に入らなくて、目を背けたいものであっても、

やっぱり病院へと向かう歩幅は
自然と大きくなるし、体は前へ前へとつんのめる。







早く先生に漢方を飲ませたい。






裏通り。

たった今、私が歩いているのは、
紛れもない裏通りだ。

煌びやかなものは何もない。

子供たちが欲しがりそうなものも、
どこにも見当たらない。











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