「エイリアン、故郷に帰る」の巻(31) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。


「エイリアン、故郷に帰る」の巻(30)





ICUに入ったら、
まず師匠の顔を覗き込む。


その際、これでもかというくらい
顔を近づける。



悪いか...?



ナースもドクターも
他の患者さんも、そのご家族も。

別に見世物じゃないけど、
見たけりゃどうぞ。




師匠の呼吸と気を、できるだけ
近い距離で確かめたい。



それに。
少なくても。

これまでのところ、







「私は、このおっさんの愛人だ。」







こう名乗り出て、面会を
求めてきた人はいない。





だから。







「ええい! このくたばり損ないが!
死ぬほど心配させた挙句がこれか!?

この腐れ外道め! 病気だったら
何でも許されると思うなよ!

さんざん苦労させやがって!
そのチューブ引きちぎったろか!」








などという。

少しでも早く良くなって
欲しいと思う反面、

思わず






「今すぐ首絞めて、あの世に送ったろか!」






などと悪態つきたくなるような
葛藤に煩悶することもなく、

ただ純粋に、ひたすら師匠の
回復を願うことができる。



まあ。
あくまで。

これまでのところは、だが。







「先生、おはようございます。」






こう話しかけつつ、前回の面会時に比べて、
何か変わった様子がないかを観察する。

その後、ベッドの傍らにあるモニターで、
バイタルサインをチェックする。


ナースやドクターがすぐ傍にいたら、
何か変わったことがなかったか、

バイタルサインが危険な状態に
ならなかったかを訊いてみる。


もし近くに誰もいなかったら、
捕まえて訊く。


遠慮している場合ではないのだ。


師匠の体は、
膨れ上がってしまっている。

どんな些細な変化も
見逃すわけにはいかない。




その後、ホテルで煎じてきた
漢方の瓶を取り出し、
スポイトに適量を取って、

様子を見ながら、師匠の体へと
繋がっているチューブへと流す。


この時、強く祈らずにはいられない。


先生の体に、
ちゃんと吸収されますように。

絶対に効果がありますように。





この病院も転院前の病院と同じく、
ICUの面会時間は、
午前11時と午後7時だった。

同系列の病院だから、
別に不思議はない。

ただ、この頃になると、
私は規定の面会時間以外にも
ICUへの入室を許可してもらっていた。


普通、ICUの面会時間は
20分程度なのだが、
私はいつも居座る。


おまけに。

やれ薬を持って来ただの何だのと言って、
面会時間以外にも、のこのこやって来ては
ICU前のインターフォンを押すからだろう。







「いつでも好きな時間に面会に来ていいですよ。
許可を出しておきます。
ここのスタッフにも、そう伝えておきますから。」








まだ30代前半くらいだろうか。

もしかしたら、もっと
若かったのかもしれない。

少なくても、絶対に私よりは
若いであろうICUの看護師長さんが、
こう言ってくれた。







「本当ですか!? ありがとうございます!」







この彼女の申し出に、
私はどれだけ救われたか
分からない。


有難さが、本当に身に沁みた。


私だって、一応。

最低限の社会性は
持ち合わせているつもりですよ。

ええ。

面会時間でもないのに、
ICUのインターフォンを
押して名乗る度に、







「....................。」







こんな無言の間が何秒もある
理由は、察しがついた。


ICUの患者さんは、普通の病棟にいる
患者さんとは違って、特別なケアが必要だ。


ICUのスタッフさんは、
24時間体制で看護している。


毎日毎秒、ク○がつくほど忙しい上に、
気も抜けないはずだ。


にもかかわらず。


面会時間外に、ちょくちょくやって来ては
患者の家族だから入れて欲しいと
インターフォン越しに頼む女がいる。


たまたまインターフォンの近くにいて、
それに応えたスタッフは、
仕事の手を止められた挙句、

入室を許可していいかのどうかを
上に訊かなければならないという
面倒までかけられるわけだ。


おまけに。


ICUに入れたら入れたで、
今度は居座る。





我ながら、なんて迷惑な女だろう。




私にしても自覚はあった。


でも。

今振り返ってみても
やっぱり。

あの時の私は、ああするより
他になかったと思うのだ。


ICUのスタッフの皆さんには
申し訳ないことをしたが、

もし今、あの時と同じ状況に置かれたら、
きっと私は、また同じようなことを
してしまうだろうと思う。


たとえ誰にどう思われても。

どんなにご迷惑を
おかけしてしまっても。







「こいつは、いつ来るか分からない。いつ来ても不思議じゃない。
この女は天災だ。予測不能だ。どうやら追い払うのも無理らしい。」








看護師長がそう考えたとしても、
全く無理も不思議もない。


天災の被害が拡大して
取り返しがつかなくなる前に、

何とか食い止めようと考えるのは、
ごくごく自然の理だろう。


ただ。

こう申し出てくれた時の
彼女の表情と口調には、

ひとりの人としての思いやりの心が、
確かに見て取れたように思う。

それから共感。


もしかしたら。
同情だったのかもしれないが。


どちらにしても。

それが哀れみからではなく、
彼女の暖かさと励ましから
くるものだということが、
私には分かった。







「人と人はね。結局は心と心。そうじゃないですか?」







ある晴れた秋の日の夜。

あれは、まだ師匠に弟子入りして
間もない頃だった。

師匠の治療院の前の道路を、
二人で風に吹かれながら
歩いていた時のこと。


ある患者さんの話をしていた師匠が、
真面目な顔でこう言った。



この言葉を聞いた時、








「ああ。この人で良かったんだ。私は幸運だった。」







心からこう思った。



治療家の中には、腕は抜群に良くても、
根性がひねくれた人もいる。

まあ。そこのところは。

きっと、治療家じゃなくても、
どこの世界も同じなのだろうが。




腕をメキメキと上げてきた
自分の弟子に嫉妬して、
あるいは脅威を感じて、

その弟子を殺そうとした
師匠の話を聞いたことがある。






「治療してやるから。」






ある日。
師匠は弟子にこう言った。

弟子は何度も辞退したが、
何せ相手は師匠だ。

断り切れなかった。







「おい○○、死ぬなよ。」







治療を終えて帰途に就く弟子に、
師匠はこう言ったという。




心臓に持病があったそのお弟子さんは、
帰りの電車の中で激しい胸苦しさを覚えて、
病院へ駆け込んだ。


その人自身、すでにかなりの
腕の持ち主だったこともあって、
自分でも治療したりして、
何とか助かった。


その師匠は鍼灸師ではなく、
主に手技で治療する人だったから、
その気になれば道具すらいらない。


もし、そのお弟子さんが亡くなっても、
恐らく発作という扱いになっただろう。


その後、そのお弟子さんは、
二度と師匠の元を
訪れることはなかったという。



そりゃそうだろう。

殺されると分かっていて行けるか。



世の中には、そんな師弟関係も
実際にあるのだ。







あの看護師長さんのことは、
今でもよく思い出す。

そして、その度に
感謝の気持ちで一杯になる。

もし、また彼女に会うことができたら、
あの時のお礼をもう一度言いたいと、
心から思う。


実を言うと。

師匠の入院中。

他の誰よりも何よりも。
どんな言葉よりも。

私を一番励ましてくれたのは、
時間にしてほんの数秒の、
あの時の彼女の言葉と表情だった。



確か、李さんという
お名前じゃなかっただろうか。



今となっては、彼女の名前も
ちゃんと覚えていないし、
お顔すらよく思い出せない。


どこかですれ違っても、
私は彼女に気が付かないだろう。


それなのに、どうして今でも
こう思うのか、
実は自分でも不思議だ。


それでも。

やっぱり彼女は、
私の生涯の恩人だ。


それまでの人生で一番辛かった時に、
世界中の誰よりも私を励ましてくれた。



家族や身内と呼ばれる人間関係が、
いつでも至上だとは限らない。



この時に覚えた感情は、
かけがえのない経験として、
今でも私の心に深く刻み込まれている。





そういえば。

長男に自転車の乗り方を
教えてくれたのは、
長男の同級生だった。

その子は、自分の自転車を
長男に貸してくれ、
乗り方を教えてくれたという。


次男が生まれたばかりで
毎日が忙しなく、私があまり長男に
かまってあげられなかった時のことだ。







「母ちゃん! 俺、自転車に乗れるようになったよ!」







当時小2だった長男は、
とても誇らしげで嬉しそうだった。




家族がしてあげられることは、
確かにたくさんある。

でも、ただ単にそうだという
だけなんじゃないだろうか。

もしかすると。実は。

家族ができることなんて、
限られているんじゃないだろうか...




この時、こう思った。




血は水よりも濃いというが、
濃すぎればドロドロになって
滞ることもある。

その点。

水は淡い分、さらさらと流れて
跡を残さない。




きっと。
血も水も。

人生には、状況に応じて、
どちらも必要なんじゃないだろうか。









「人と人はね。結局は心と心。そうじゃないですか?」


「はい。そうだと思います。」








あの時の師匠の問いに、
確か私はこう答えた。





その答えは、今でも変わらない。











にほんブログ村 家族ブログ 国際結婚夫婦(台湾・香港・中国人)へ