「エイリアン、故郷に帰る」の巻(28) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

「エイリアン、故郷に帰る」の巻(27)




すぐさま、煎じ終えたばかりの
薬草を容器に入れ、
義姉とホテルの階段を駆け下りた。


ホテルから病院は、歩いても10分程度の距離だが、
70歳を超えた師匠よりも年上の義姉が一緒では、
全力で走って行くわけにもいかない。






「姐姐、早く早く!」







高齢の義姉を急かすのは申し訳ないと思ったが、
一刻も早く病院に着きたい気持ちを抑えられない。


幸い、私が滞在していたホテルは
台北駅から近く、大通りのすぐそばだったから、
タクシーは簡単につかまった。







一体、先生に何があったんだろう...
これ以上、まだ何が起こるんだろう...







バオメイからの電話では、
具体的な内容までは分からなかった。





先生が入院してからというもの、







「すぐ来てほしい」






こう連絡がある度に、
それがいい知らせだった試しはない。

その度ごとに、胸を抉られてきた。
決して慣れることなどない。



心臓の鼓動が早くなる。
早く先生の顔が見たい。



病院に着いてタクシーを降り、
義姉を促しながらICUに急ぐと、
師匠のベッドの周りが慌ただしい。


ドクターやナースが
忙しなく動き回っている。








もしかして、バイタルサインが
危険な数値なのだろうか...?








「一体、どうしたんですかー!?」







大声で訊いてみる。
が、返事がない。



なるほど。
そうですか。


皆さん。
お返事をくれる暇がないほど
お忙しいわけですね。



その様子は、
私にもよく見て取れます。

これはこれは。
大変失礼致しました。





でもな。
私は、このおっさんの女房だ。




夫の身に何が起こっているのかを
少しでも早く知る権利がある。


それより何より。


師匠の身に何が起こっているのかを、
とにかく知りたい。

だから。

殺気立つほど忙しない状況だということは百も承知だし、
ICUの他の患者さんに申し訳ないとも思うが、
ここは、構わず食い下がることにした。







「一体、どうしたんですかぁー!?」







更に大きな声を張り上げてみる。







「旦那さんを、転院させることにしました。」






担当のドクターが近付いてきて、こう言った。

それは有難い。

お願いしていた通りに
してもらえるらしい。







「それは、ありがとうございます。で、どこの病院ですか?」


「うちと同系列の病院です。」


「は...? それじゃ、お願いしていた病院と違うじゃないですか。」


「それは、そうなんですが。」


「お願いしていた病院に、転院させてほしいんですけど。」


「それは無理なんです。」








もし私が中国語を流暢に話せたら、
転院を希望している病院に
直接かけあったかもしれない。


でも、私は中国語を話せない。


今から思えば、義妹に頼んで、
希望先の病院に電話してみてもらえないかと
頼んでみる方法もあったのだろうが、
その時は気持ちが動転していたのだろう。


今から思えば非常に残念だが、
その時は、そこまでは考えが及ばなかった。








「...................。」








これ以上押すことは、無理なのだと思った。

恐らく埒があかない。
堂々巡りで、平行線を辿り続けるだろう。


とにかく、転院することはできる。


敗血症に罹ってしまった師匠の容態は重篤だ。
一刻も早く何とかしたい。






「分かりました。」






嘘だった。

私はちっとも分かっちゃいなかった。
これっぽっちも納得していなかった。


でも。同時に。
仕方がないとも思った。





この転院が、師匠にとって吉と出るのか。
凶と出るのか。

または、どちらでもないのか。


私には見当もつかない。


ただ、今この瞬間、これが最善なのでは
ないだろうかと思うことをする以外になかった。








「ねえ、先生。先生はどうしたいですか?」







もし師匠に意識があって、話をすることができたら、
たとえどんなに具合が悪くても、きっとこう答える。








「うちに帰るよ。」







先生自身の体のことなのに、先生の意思を訊いて
尊重するどころか、恐らく本人の希望とは
逆の方へ方へと、どんどん状況が展開していく。


師匠に対する申し訳なさと、
先を全く見通せない心細さが、
一緒になって襲いかかってくる。







先生。ごめんなさい。

今の私が何よりも大切にしたいのは、
あなたの意思よりも、あなたの命です。






師匠が回復したら、
絶対にこっぴどく叱られる。






どうして放射線を使ってるのを知ってて、
レントゲンを許したの?

どうして脊髄穿刺に同意したの?
どうして人工透析をさせたの?

私を殺す気なの!? 
私が死んでも構わないの!?






どれもこれも。

普段の師匠なら、絶対に
自分の体には許さないことだ。

絶対に。







「こんなことをされるくらいなら、死んだ方がましだ!」







こう言って、怒り狂うに違いない。

私は、きっと今までに聞いたことのないほどの
大声と剣幕で、さんざん怒鳴られるに違いない。


たとえ、人工透析のお陰で
命が助かって回復したとしてもだ。


私の師匠は、そういう人なのだ。


挙句、破門や離婚を
言い渡されるかもしれない。






人工透析の同意書に
私が署名したことを知った義姉は、







「私たちは、そういうことは嫌いだし、しないのよ。」






苦々しい表情で、こう言った。
義姉は怒っていた。



それを傍らで聞いていた義妹は、






「命を救うのが最優先じゃないの。」






怒ったように、こう言った。


師匠がどう考えているのかを知っていながら、
私が色々な検査や人工透析に同意したのも、
それが理由だった。







「人工透析をしないと死ぬかもしれないんでしょうが、
もし本人に意識があって喋れたら、絶対にやめてくれと言うに違いないので、
同意できません。その結果死ぬんなら、本人もそれが本望だと思います。」








そして、子供たちには
正直にこう伝える。







「もしかして、人工透析しとったらパパは助かったかもしれんけど、
パパは普段からそういう治療は嫌いやって言っとたから、
残念やったけど、パパには尊厳死してもらったわ。

“そんげんし” って、分かる...?

みんなパパが亡くなって辛いやろうけど、それがパパの意思やろうから。
尊重してあげようね。」








てか? 





保育園に通う娘に?
小1の息子に?
中3の息子に?





面と向かってそう言えってか?





言わるわけないだろ。





それとも何か?


もし尊厳死させても、そのことは子供たちに
伏せたまま、私に墓場まで持ってけってか?


たとえ、それがわずかな可能性であったとしても、
回復するかもしれない道を放棄したのに...?








「お医者さんも、できることは全部してくれてんけど。
でも、パパだめやってん。」









こう嘘つけってか?





私の寿命がいつまであるのかは分からないが、
そんな嘘をずっと一人で抱えた込んだまま、
その後の人生を生きていくなんて、絶対にできない。







「私は先生を見殺しにした。」







絶対にこう思い続けて、決して拭うことのできない
罪悪感に苛まれながら生きて行くことになる。


そして、恐らく発狂する。


子供たちがみんな成人して独立した後なら、
尊厳死という選択肢もあるだろう。




でも、子供たちは、今。
たった今、父親が必要な年齢なのだ。




だから。


“本人の意思を尊重して死なせてあげる”


なんて、絶対にできない。







姐姐。
ご高説ごもっとも。

師匠の意思にも合致するのだろう。
でも、私には高邁過ぎてついて行けない。

続きは、志を同じくする人たちの
ところへでも行って、ぶちかましてくれ。




今はどんなことをしても、この人に
生き延びてもらう道を選ぶしかない。


子供たちのために。

そして。
そうだ。

私のために。




たとえ、後から師匠に
何と罵倒されても構わない。



ええ。

どうか私を大声で罵れるほど
元気になってください。



私は、自分がわがままで
手前勝手なのも、よく承知している。

破門も離婚も構わない。
とにかく生きていて欲しい。




このおっさんの代わりは、
どこにもいないのだ。








「ねえ、先生。転院しましょう。違うところで治療してみましょうね。
きっと良くなりますよ。」








私は自分の鼻先を、
先生の鼻先に合わせてみた。


こうすると、鼻先がジーンとするような、
何だかモゾモゾしてくすぐったいような、
そんな感覚を覚える。


幼い頃、それは、相手の気が鼻先を通して
自分に伝わるからだと、聞いたことがあった。

その話には、何の証拠も根拠もないけれど、
それでも構わなかった。


私が、幼い頃に聞いたその話を
ずっと覚えていたのは、きっと
その話を信じたかったからだろう。


目には見えないものを体で感じることが
できるなんて、とても素敵なことだと思った。





師匠の鼻先は冷たかったけれど、
私の鼻先はちゃんとジーンとなって、
モゾモゾとする。






良かった。
先生の気をちゃんと感じる。

今この瞬間を生きている、何よりの証拠だ。






先生の周りでは、ドクターとナースが
慌ただしく動き回っていたが、しばらくすると、
師匠を移動させる準備が整ったらしい。



ドクターやナースに囲まれた師匠のベッドが、
ICUを出てエレベーターへ向かう。


傍らには、一時も外すことのできない
点滴が付き添っている。


エレベーターのドアが閉まるのを見届けると、
急いで一般用のエレベーターで1階でへ向かう。


師匠が救急車に乗って病院を出るのを見送ると、
義姉と一緒にタクシーに乗り込んで、
転院先へと向かった。






結局、この騒ぎのおかげで、義姉が煎じてくれた
薬草を先生に飲ませることは叶わなかった。












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