「エイリアン、故郷に帰る」の巻(21) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

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【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。


「エイリアン、故郷に帰る」の巻(20)





あれは、お百度参りをした
次の日の夜じゃなかっただろうか。


もしかしたら
当日の夜だったかもしれない。


どちらだったか記憶が定かではないのだが、
その日、私は面会に来ていたファンツンと
早い時間に夕食を済ませた。


その後、9時半前後だっただろうか。


病院の地下のセブンイレブンで
ヘーゼルナッツラテを買い、ICUフロアに戻って、
待合室の窓際に座って外を眺めながら飲んだ。



思えば、これが良くなかった。



次の日の朝、起きてみると胸が苦しい。
心がざわざわして落ち着かない。


この感覚は、前に一度
経験したことがある。


状況もあの時と同じだ。


睡眠不足。
溜まっている疲労。

そこへ持ってきて、
すきっ腹でカフェインの摂取。



私の体は、とうとう悲鳴を上げた。



その日は日曜日で、仕事がお休みの
義弟ファンツンが、奥さんのバオメイと一緒に、
午前の面会時間に来てくれた。


面会の後、3人で病院近くの食堂で
ランチに炒飯を食べたのだが、
ご飯がなかなか喉を通っていかない。


それでも何とか食べ切ったのは、
そんな自分の状況に負けたくなかったからだ。






ご飯が食べられないなんて
ことがあってたまるか。

私がここでくたばるわけにはいかない。






それでも、つい弱音を吐いた。








「けさから、体がしんどいの。」







バオメイにこう告げると、別れ際に、








「少し昼寝しなさい。何かあったら電話して。」






こう言ってくれた。





部屋に戻って、バオメイに言われた通り、
昼寝をしようと横たわり、目を閉じるのだが、

ランチの後でお腹は一杯なのに、
どんなに頑張ってみても
一向に眠気らしいものを感じない。


それどころか、逆に
目がどんどん冴えてくる。


おまけに心臓の辺りで
何かが活発に蠢いているような
気味の悪い感覚を覚え、
これが理由のない不安を駆り立てる。


自分で自分を保っていられないような、
そんな怖さを感じた。







もうダメだ。








「バオメイ? 眠れないの。」






迷惑をかけるのが申し訳なく、
また情けないとも思ったが、電話した。






「分かった。今そっちに行くから。」






バオメイは事情も訊かず、私に説明も求めず、
ただそう言ってくれた。


一度こちらに来て帰宅した後に、また来てもらうなんて
本当に申し訳ないと思ったが、もうどうしようもなかった。


その後、一時間前後経っただろうか。


バオメイが来てくれた。

嫌な顔ひとつ見せず、それどころか、
笑顔でこっちに向かって歩いてきてくれる。



この時のバオメイに、
私はどれだけ救われただろう。



後で訊いたら、私から電話があった時、
バオメイは昼寝中だったという。


重ね重ね申し訳なく思ったが、面会時間以外は
ほとんど人が来ることのないICUで、
不安な気持ちを抱えたまま、
ポツンとひとりきりで過ごすことを、

その時の私は、とても心もとなく感じていたから、
バオメイの親切が本当に有難かったし、助かった。







「どうしたの?」


「私が寝ている部屋は、クーラーが効きすぎてて眠れない。
もう、ここにはいたくない。」








先生のそばにはいたい。
その気持ちに変わりはない。

でも、心と体がもう限界にきていた。







「それじゃ、どうする?」


「ここから出て、ホテルに泊まりたい。」








こう告げると、バオメイは私と一緒に、
病院の付近にホテルがないか探してくれた。


でも、台北駅と西門町という
観光地に近いエリアだからだろう。

通りに面したホテルは、どこも高い。



また悪いことに。

今回は、慌てふためいて台湾に来たものだから、
パソコンを持ってくるのをうっかり忘れてしまい、
安い宿をネットで検索することもできなかった。


結局、病院付近でホテルを探すのは諦めた。


ひとりでいるのが心細くもあった私は、
ファンツンの自宅近くでホテルを探したいと
バオメイに伝えた。






バスに揺られて数十分。
松山というところに着いた。

ふたりの自宅は、亡くなった義父と
一緒に住んでいたアパートで、
私が初めて台湾に来たとき、
先生と一緒に結婚の挨拶に訪れた場所だ。


饒河街夜市の程近くにあり、
アパートの前の通りは、夜になると、
道の両側にズラッと色んなお店が並ぶ。


野菜、果物、肉、魚、惣菜、
各種ドリンクはもちろん。

衣服、靴、雑貨まで、日用品が何でもそろう
路上の市場が、随分と長い距離に渡って続いている。


一見、お祭りのように賑やかな
このストリートマーケット。


驚いたのは、毎晩こうだと
聞かされたときだ。


夜市とは異なり、観光地ではなく
地元の人向けの市場だからだろう。

値札があまり見当たらないし、
ましてや日本語表記はまったくなかった。






「ここはね。台北で一番物価安いよ。」






初めて来たとき、師匠にこう教わった。

地方から、野菜や果物、肉などを
持ち寄った人たちが、それぞれ競争するのだろう。


私は、この界隈がとても好きだ。


台北に住むのならここがいいと、
いつも思っていた。


台北の中心部に近く、どこに行くにも便利で、
おしゃれなエリアもあるかと思えば、
少し行けば山があって、ハイキングもできる。


ちっとも気取ったところがなく、
ビルが建ち並ぶ大通りを少し脇に入ると、

あちらこちらで道端市場が所狭しと展開していて、
活気と熱気とエネルギーに満ち満ちている。


モダンとレトロとローカルとが
何の違和感もなく見事に融合していて、
この辺りに来る度に、台北の縮図を垣間見る気がする。




初めて来たときは、お腹が大きくなってきた
私が転んでは大変だと、先生が私の手を取って、
あちこちを案内してくれた。


私にとっては、忘れられない
思い出の町でもある。






とりあえず、一旦ファンツンとバオメイの
お宅にお邪魔すると、出産を終えて間もない
ファンツンの娘が、赤ちゃんと夫と共に
同居していることが分かった。


ファンツンは、身の安全と節約のため
ここに滞在しなさいと、しきりに勧めてくれたが、
そのアパートは、リビングの他に二部屋のみだ。


ファンツン夫婦と娘夫婦と赤ちゃんで一杯だし、
たとえもう一部屋あったとしても、
やっぱり迷惑だろうと思った。







「ホテルに泊まりたい。」






こう言う私に、ファンツンは、
日本語が話せる親戚に電話をかけて
私を説得してもらおうと試みた。


一応その人と話もしたし、
ファンツンの気持ちはとても有難かった。


それに、ひとりでいるよりも、
誰かが周りにいてくれた方が
気が紛れて良かったのかもしれないが、

その時の私の体の状態を考えたら、
やっぱり、ひとりでゆっくりできる部屋に
滞在した方がいいだろうと思った。




みんなで夕飯を済ませた後、
バオメイは私と一緒に
ホテル探しに出かけてくれた。

やっぱりこの辺りも、繁華街の大通りに
面したホテルは、小奇麗な分、お高い。



そのまま町をぶらぶらしていると、
饒河街夜市に沿った通りに出た。






ここは見覚えがある。






こう思って歩いていると、
やっぱりあった。


初めて台湾に来たときに、
先生と滞在したホテルが。








「私、このホテル知ってる。」







大きなビルの7階と8階が
ホテルになっている。

バオメイを促し、エレベータに乗った。



ここも、私にはとても懐かしい場所だ。



フロントのおばさんと話をして、
ここに決めた。

確か、一泊800元くらい
じゃなかっただろうか。


おしゃれなシティホテルとは
とても言い難いが、それで構わない。


簡易式ではない広いベッドも、
シャワーもタオルも、
お風呂の備品もちゃんとある。


何より冷房の調節ができるし、
ここはファンツンとバオメイの自宅に近くて、
たとえ何かがあっても心強い。







やっと落ち着ける場所が見つかった...







この時の私は、かなり追い詰められた
状態だったのだろう。




日本に電話をかけた際、






「先生には申し訳ないけど、もう日本に帰りたいって思ってしまう。」







母に、こう言ったことを覚えている。
ホテルに泊まることにしたと告げると、






「分かるわ。病院てのは、どこも悪くない、何ともないような人は
ずっといられないって言うね。それで良かったんじゃない?」 








こう言ってもらって、本当に救われた。
でも、義姉にはこう言われた。







「もったいないじゃない。私たちはそんなにお金があるわけじゃないし。」







お義姉さんの言うことは
もっともだと思ったが。

でも、人間の心や体は、
お金のように節約できるものじゃない。

経済活動さながら、常に合理性だけを
追求して、機能しているわけでもない。

人間は生身だ。

工場で大量生産されるロボットでも、ゼンマイ仕掛けでも、
充電式でもないのだから仕方がない。




ただ。

義姉の名誉のために言わせてもらうと、
この人はとてもいい人だ。







「ここにいると、ご飯とか色々お金かかるでしょ?」






こう言って、病院で私に
1000元札を渡してくれた。


とても面倒見のいい人で、義妹の私にも、
いつも実の家族のように接してくれる。

私も子供たちも、今までどれだけ
お世話になってきたか分からない。


とても愛情深い人なのだ。


事実、今回のことでも、
義姉は「私たち」という言葉を使った。


たとえ自分が費用を負担するわけじゃなくても、
私がホテルに泊まることを、自分の身内のことだと
親身になって考えているからこそ、出た言葉だと思う。




ホテルに滞在することになったおかげで、
何とか心と体調を持ち直し、2週間の滞在予定を
切り上げて帰国することだけは免れた。




たとえ、どんなに大切な人がいて、
どれだけその人のことを思っていても、

自分のことも、その人と同じくらい
大切にしなければいけないと痛感した。




師匠のそばにいたいからと、
ずっと病院に詰めたままでいることが
一体誰のためになるだろう。


きっと、それは愛情とは違うのだ。


自分が暗い心と重たい体のままでいて、
笑顔のひとつも出てこない状態でいながら、
一体どうやって先生を元気づけ、励ませるだろう。



たとえどんな状況であれ、意地でも何でも、
とにかく気持ちを明るい方へ、楽になる方へと
転換することが不可欠だったのだ。



だから、これでよかった。



病院にいれば、どうしても先生の
容態のことを考えて暗い気持ちになる。

私には、病院から離れている時間と空間。

それに、病院が視界に入ってこない
物理的な距離が必要だった。




それにしても。

前回と今回。

同じホテルに滞在するのに、
その理由に天と地ほども差があるのは、
一体どういうわけだろう。


決して運命ではないと思う。
それは違うと思う。


ただ、その理由が何であれ、あるがままを
受け入れる以外にどうしようもないことが、
私にはどうにも悔しい。









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