「エイリアン、故郷に帰る」の巻(21)
ホテル滞在が始まった
次の日の朝。
朝起きて、テレビをつける。
私が泊まっていたホテルでは
ケーブルテレビが観られ、
チャンネルは70ほどもあった。
そのひとつにNHKがあって、
リアルタイムで観ることができた。
バスルームへ行って、顔を洗う。
部屋に戻って、連続テレビ小説を
眺めながら着替える。
部屋にはポットとミネラルウォーターが
備え付けられていて、傍らには、
ジャスミンのティーパックが添えられている。
お湯を沸かして、
ジャスミンティーを淹れる。
これがとても美味しい。
観るともなしに、
NHKのニュースに目をやる。
日本語が聞けて、日本の風景が見られて、
何となくホッとする。
9時半前後に、
バオメイが訪ねて来てくれる。
手には朝ごはんと飲み物。
有難いことに、
私の分も買ってきてくれる。
テレビを観ながら、二人で食べる。
言ってみれば、何でもない朝だ。
バオメイにご馳走に
なっていること以外は。
起床。洗顔。着替え。テレビ。
誰かと一緒に食べる朝ごはん。
取り立てて書くほどの
ことでもない日常の風景。
でも、私はこんな朝が
あることを忘れていた。
ホテルに移動したからといって、
ぐっすり眠れるようになったわけじゃなかったし、
ベッドに横たわれば、相変わらず、
天井が回っているような、地震で部屋が
揺れているような感覚があった。
何をしていても、いつも頭のどこかに
先生のことがあって、絶えず緊張していたけれど、
それでも、普段の生活環境に近い状況に
身を置くことで、病院で目覚めるのとは
違う安らぎを感じた。
朝ごはんを終え、身支度を整えると、
バオメイと連れ立ってホテルを出る。
ホテルの前の大通りを反対側へ渡ると、
台北駅行きのバスに乗り込む。
もうすっかり夏本番の日差しだ。
朝から強くて眩しい。
バスの窓から外を眺める時も、
目を細めなければならない。
台北駅に着いたら、今度は病院行きのバスに乗り換え、
11時の面会に間に合うように到着する。
面会を終えると、バオメイと連れ立って、
台北駅の中や周辺でランチを食べる。
その後、朝来たのと同じルートのバスに乗り、
バオメイは自宅へ、私はホテルへと戻る。
夕方4時半頃になると、
今度はファンツンが来てくれる。
朝と同じようにふたりでバスに乗り、
7時の面会に間に合うよう病院へと向かう。
そしてまた同じようにバスで戻り、
それぞれの場所へと帰って行く。
ホテルに移ったのは、確か2週間の滞在予定の
半分くらいを過ぎた頃だったと思う。
滞在最後の日まで
毎日をこんな風に過ごした。
ある朝。
午前の面会に行ったときのこと。
患者の家族用の部屋に、義姉がいた。
義姉は、台北から地下鉄で1時間くらいの
竹圍というところに、部屋を所有していた。
先生が台北にいる際、
滞在させてもらっている場所だ。
義姉はそこから面会に来ることもあれば、
家族用の部屋で寝泊まりすることもあった。
「姐姐、你好。」
こう挨拶した数秒後、私は凍り付いた。
「あのね。亡くなったらこの服を着せるのよ。
靴も履かせるし。それから....」
どうも義姉は、台湾の
風習の話をしているらしい。
台湾では、誰かが亡くなると、
その人が普段身につけていた服や靴を
身に着けさせて見送ると言っているみたいだ。
義姉が手に取って話している
服と靴には見覚えがある。
あれは先生のものだ。
体中の血の気が引いていく。
慌てて義姉の言葉を強く遮った。
「先生に何かあったの...?」
もしかして、私が病院にいない間に、
先生の容態が急変したんだろうか。
でも、それならそれで、
連絡があるはずじゃないのか...!?
「ううん。違う。」
何だと...?
「じゃあ、何でそんなこと言うの!!!!」
叫ばずにいられなかった。
「だって、もう危ないじゃない。」
この......
クソババアァァァァァァァァァ!!!
あたしに喧嘩売ってんのか?
え?
あんたはそれでも実の姉か。
血なんか関係ない。
あたしの方が
よっぽど先生と繋がっとるわ。
「もう危ない」とはなんだ。
「もう危ない」とは。
死ぬほどびっくりさせやがって。
その年じゃなかったら、
思い切り蹴り入れとるわ。
おお。
それこそ力一杯な。
人の気持ちも、場の空気も、
これっぽっちも読めんのか。
一体いつから葬儀屋になったんだ。
とっとと田舎に帰っちまえぇぇぇぇぇぇぇ!
私が中国語が話せなくて良かった
唯一のケースが、この時だ。
もし流暢に話せていたら、
絶対にこんなようなことを叫んでいただろう。
再度。
義姉の名誉のために言わせてもらうと、
この人はとても良い人だ。
ただ単に。
壊滅的に、絶望的に無神経なだけで。
たった、それだけのことですよ。
ええ。
そうですとも。
どうもこの人は。
どんな時でも、それがどんな内容であっても、
その時に心に浮かんだことを
近くにいる人間に、わざわざ口に出して
話さないではいられないらしい。
いやー。
その年で、幼稚園児以上に
純真無垢で天真爛漫だなんて。
いっぺん、どついたろか。
いっそ博物館にでも行って、剥製にしてもらって
珍種として展示してもらったらどうなんだ。
もし。
どうしても先生の一家から
誰かが天に召されなければ
ならないとしたら。
先生じゃなくて、この人が
逝ってくれないだろうか...
義姉には申し訳ないが、
この時、私は心底こう思った。
確かに、先生の容態は
良くなってきているようには見えなかった。
バイタルサインや血圧は、
投薬によって保たれていたが、
人工透析が続くにつれ、
顔色はどんどん悪くなっていったし、
体も痩せて弱っているように見えた。
だから。
義姉がもう危ないと
考えたのも仕方がない。
でもな。
世の中には、言って良いことと
悪いことがあるのを知らんのか。
一体、今年でいくつになるんだ。
もういっぺん、保育園から
人生やり直して来い。
今この瞬間、
先生はちゃんと生きている。
ちゃんと生きているのだ。
それが分からんのか。
その事実に、藁にも縋るような
気持ちで希望を託し、
先生の回復を呪わんばかりに望み、
祈っている家族がいる。
そう。
あんたの目の前に。
それが本当に分からんと言うのか。
この状況下で。
師匠が死んだらこうするだの、ああするだのと、
よりによって、私に面と向かって説明を始めるなんて、
まともな神経をした人がすることとは、とても思えない。
まるでテロリズムだ。
ピンを抜いた手榴弾をこっちに向かって
投げられたようなもので、投げた本人は無傷だが、
喰らった人間はひとたまりもない。
デリカシーの欠如は
別に犯罪ではない。
警察の厄介になるわけでもない。
でも、私はいつもこう思う。
コンビニでチロルチョコをひとつ万引きするよりも、
人の心を傷つける方が、よっぽど罪深いんじゃないだろうか。
逮捕されるようなことじゃなければ、
何をやっても、何を言ってもいいってもんじゃない。
時間は最高の医者だという。
今となっては、あの時の
義姉に対する怒りはもうない。
私たち家族のために、これまで色々世話を焼き、
面倒を見てくれた人だ。
とても感謝している。
時間の経過とは
本当に有難いものだと思う。
私にとっては、
師匠と双璧をなすぐらい立派な医者だ。

