私は上級クラスも教えていたが、初級クラスも教えていた。
ひらがな・カタカナを教えるクラスで、
「です・ます」を習う前の段階。
私は夜間クラスを受け持っていた。
私自身、夜間の専門学校に3年間通っていたから、
仕事や学校が終わった後に、
さらに何かを学ぼうという人の気持ちは痛いほどわかる。
仕事帰りに、ネクタイを緩めて一杯飲む時間。
きつい靴やパンプスを脱いで、ホッとする時間。
家族や友人と一緒にご飯を食べて、テレビを観る時間。
みんなみんな、そういう時間を犠牲にして来ている。
だから、実践的なクラスにしたかった。
その日習ったことは、クラスを一歩出たらすぐ使える、という風な。
多少銭? ⇒ いくら?
西瓜 ⇒ すいか
全家便利商店 ⇒ ファミリーマート ⇒ ファミマ
麺包超人 ⇒ アンパンマン
などなど...
文法を習う前でも、実用的な日本語はすごくたくさんあると思う。
私が教えていたクラスの生徒さんは、一番若くても高校生。
たまには、いいかな...?
みのもん子が頭をもたげてくる。
こう訊いてみた。
「キス、すき?」
これなら「です・ます」を知らない人にも、質問できるじゃない?
「はい

即答したのは、20代の彼女。
若干はにかみながらも、きっぱり答えた。
なんて正直ないい女だろう。
私はあなたのような人が心底好きです。
この初級クラス。
ある日、教室に入ろうと思ったら、クラスの前に人だかりとザワザワが。
何ごと...?
一歩入ってわかった。
松山千春が座っていた。
スキンヘッドに黒いスーツ。
やっぱり、その筋の人なのか...?
でも、生徒さんは生徒さんだ。
黒いスーツの海坊主も、キスが好きな彼女も。
日本語を学びたいという気持ちはみんな同じ。
そういえば、上級クラスでも同じような
人だかりとザワザワがあったことが。
このクラスには海坊主も河童もいなかったから
きっとあれが原因だろう。
何の話だったか。
いつの間にかホワイトボードに、こう書いていた。
新宿 歌舞伎町
ぼったくりバー
「みなさん!気をつけなきゃダメですよ!」
なんでいつもこうなるんだろう。
この辺りから、ガラス張りの外がザワザワ。
一体、何の授業だ...?
みんな、こう思っていたに違いない。
ま、自分でもそう思うんだから仕方ないわねー。
わはははははははははは。
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