なんかさ。

イヤな気分になるって嫌じゃない?

 

だから

無意識レベルで避けてたよね。

 

 

 

気分悪くなる事言われて

一瞬ムッとしても

 

「悪気なかったかもしれない」

「今日は機嫌悪いのかも」

思ってイヤな気分になることから逃げる。

 

 

そんなことを

無意識にやってたことに

今日急に気づいて。

 

 

ならば、と

 

積極的にイヤな気分になってみました、笑。

 

 

具体的にイヤな事があった訳ではないけど

日々

イヤな気分になりそうになった瞬間

するりと交わしているイヤな事のネタはいろいろある訳で。

 

それらを肴にしてイヤな気分を味わう。

 

 

 

 

思う存分味わったあとは

なんかスッキリ。

 

モンモンとしてたのは

湧いた自分の感情にフタをして感じないようにしていたから、なのかも。

 

 

 

味わいたくない感情を味わうことは

(人によって)勇気がいりますが

 

積極的に味わってみると

意外といいです、笑。

 

 

ということで

 

私はこれからしばらく

積極的にイヤな気分を味わうことにします♪

 

 

 

 

昨日

ある人が

「ダメな自分をどれだけ愛せるか

どれだけ認められるかにつきる」

みたいな話をしてて

 

それ聞いて

ふと

「良いお母さんを手放そう」って思いました。

 

ずっと

良いお母さんという

見えない理想に脅迫されて

 

良いお母さんでいなければ

ちゃんとしたお母さんでいなければ

周りから褒められるよう無意識レベルで

ずっとがんばってきて。

 

 

でも

もういいや、って。

 

私は

できの悪いおかあさんなんだ

私はよいお母さんじゃない

諦めた。

 

 

 

泣いた。

 

 

 

情けなくて

悲しくて

それ以外にも

言葉にできないなんとも言えない想いがいろいろ湧いて来て

それに

やっぱり認める事、諦める事に抵抗が出て。

 

 

あー、わたしってダメなお母さんだったんだ。

 

 

子どもとうまく行かないのは

子どもが悪いと思ってたけど

 

ダメなおかあさんのくせに

それを隠していろいろ言うから。。

 

子どもにばれてたんだなぁ。。

 

 

あーあ。

 

長年それを目指してがんばってきたものを手ばなすって

しんどいね。

 

 

でも。

 

諦めたら

 

 

なんかちょっとスッキリしたわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の存在を誰かが
輝かせてくれるって?
 
 
 
 
残念
 
 
 
 
そんなシンデレラストーリーは
起きないんだ
 
 
 
 
 
 
自分の存在に光を当てるのは
 
 
 
自分の闇をも包み 
光に変えることができるのは
 
 
 
 
 
自分自身しかいない
 
 
 
 
 
 
 
 
スポットライトを当ててもらうのを待ってるなんて
この時代にはナンセンス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スポットライトは自分で当てろ。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
*****
 
 
 
 
 
 
 
 
幼いころ画面に映る芸能人に憧れた
 
 
 
安室ちゃんに
スピードに
松田聖子に
宝塚に
 
 
 
 
彼女たちを見てときめいて
自分もそうなりたいと願った
 
 
 
 
 
でもいつからか
年齢を重ねたら
 
 
 
 
そんな夢物語を夢見るのは
ばかばかしいと記憶の隅に追いやった
 
 
 
 
"やってみたい"
 
 
その気持ちは置き去りにされたまま
 
 
 
 
 
 
 
画面を通じて憧れを抱いたのはきっと
 
 
 
 
 
 
彼女たちになりたかった訳じゃない
 
 
 
 
 
 
自分の存在を思いっきり使って表現している姿に
魂が呼応したんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その記憶の蓋を開けて
一歩を踏み出した人たちが
軒並みステージに上がる
 
 
 
 
"やってみたかった"を実現する場所。
 
 
 
 
 
 
 
こないだのええじゃないか文化祭でこんな話をした。
「演者もオーディエンスも境目のない、全員演者全員オーディエンスの世界になる」
 

私ね

 

昔から嫉妬深くて。

 

 

他人様がうらやましくてうらやましくて

仕方ない人だったんです。

 

で。

 

嫉妬という感情は良くない

と思っていたので

 

嫉妬している事を隠して

嫉妬している事をなかったことにして

 

表面上は

良かったねー

なんて言っていました。

 

 

 

エイブラハムの引き寄せの考え方に出会って

 

「周りにそれが現れるとき

それは近づいているとき」

 

ということが分かって

 

それからは

ぐーんと減りました。

 

つまり、

他人に幸せなことが起きたとき

それは

自分にも近づいていますよ、ということ。

 

 

 

 

それでも

人に対して嫉妬心というのが消えないときがあって。

 

 

なんでかなぁ

と心のどこかで疑問に思っていたんですが

 

 

気がつきました!

 

 

それは

「がまんしているとき」

「あきらめているとき」

 

 

私がこんなに我慢しているのに

私には無理と諦めているのに

 

 

なんで

あなたは我慢しないでできちゃうの?

 

って

いう。。。

 

 

だから

最近は

 

嫉妬心がでたときは

 

「あ、わたし、何か我慢してるのかもしれない」

 

と思うようになりました。

 

 

たいてい、すぐ見つかります。

 

 

私も食べたい。

私も行きたい。

わたしもそうしたい。

 

自分に禁じていることをされたとき

心が反応するのからね。

 

 

我慢している「それ」に気づいたら

あとはそれを実行するだけ。

 

 

いろいろあって実行できないときでも

本当はそうしたいという自分の本音にフタせず

ちゃんと聞いて上げる。

 

それだけでも全然ちがいますよ。

 

 

わたしは私に話を聞いてもらいたい

わたしは私に認めてもらいたい、ので。

 

 

 

嫉妬という感情がでるとき、

 

それは

なにかやりたいことを我慢している時

なのかもしれません。

 

 

 

 

Mayumi

 

 

 

 

 

子どもや女子は

 

無意識レベルで

 

「嫌われてはいけない」

「好かれないといけない」

 

とモーレツに思っている人って多いと思っていて。

 

なぜなら、生存に関わる(いのちに関わる)ことだから。

 

子どもや

専業主婦など、稼ぎがない女性は

 

親や夫から嫌われることは

いのちの危険があるから、と

私は解釈してて。

 

 

 

 

 

私は

できるだけ嫌いな人は創りたくないし

みんなと仲良くしたいと思っているにも関わらず

キライな人って出てくる。

 

 

なんでだろう?

ってずっと疑問だった。

 

 

で!

 

もしかしてこれ?

と思ったことがあるので仮説として書いてみるね。

 

 

鏡よ鏡よ鏡さん

私が嫌いな人ってどんな人?

 

それはね

うらやましい人だよ。

そんなことをしてはいけない

そうなれないと思っている事をされたとき嫉妬する。

そして

嫉妬の感情を押し殺すとき

その人のことをキライって思うんだよ。

 

 

私が誰かをキライって思うときは

実はその人に嫉妬してるとき。

 

 

ということは

 

私が誰かから嫌われるとき、

 

それは嫉妬されてるとき!?

 

 

 

もちろん、それだけじゃないと思うけど

 

 

これ、けっこうあるんじゃないかなぁ?