今日、

Happyちゃんことさちまるちゃんの

祭 THE ONE

を見終わって

ふと思った事は

 

 

「自分が輝く場は自分で創る」

ってことでした。

 

さちまるちゃんは

踊りたいと思ったら踊りを習いにL.A.(ロス)

まで行ってしまう人。

 

歌を歌いたいと思ったら

曲を作って欲しいとダメ元でお願いし

(もちろんお金は払う)

 

その曲で踊りたければ

振り付けを依頼し、

みんなで一緒に踊ろうよ、と誘う。

 

声がかかるのを待ってない。

 

したい事があれば

自ら動く。

 

 

すごいなーって思うよね。

(わたしは思う)

 

 

でもでも。

 

ここまでのことはしなくても

小さな事では私達もやってる。

 

アイスが食べたいと思えば

アイスが食べたいと言ったり

自分で買いにいったりするよね。

 

そこにあんまり躊躇する人はいないし

「アイス」を

「食べたい」「食べたい」と

ずっとずっと待ってる人もあんまりいない。

 

そんなに待ってるくらいなら

さっさと買いにいっちゃうよね。

 

そのほうがてっとり早いからね。

 

なんで

「アイス」は自ら動くことができて

「夢」になると尻込みするんだろう?

 

アイス食べたい

人前で踊りたい(ここはあなたの夢を入れてね)。

 

宇宙レベルで考えれば

願い事に差はないのに

 

自分の夢となると怖くて動けないのはどうしてだろう?

 

 

 

 

さちまるちゃんが

自分の夢の現実化が早いのは

さっさと動くからだよね。

 

すごーい!

つい思うけど

 

そんなこと思ってるくらいなら

 

さっさとうごけーーー!

(自分に言ってます)

 

 

やりたいことやれー!

 

待ってる場合かー!

 

自分から動けー!

 

 

人に居場所や自分の輝く場を作ってもらおうなんてせずに

自分でさっさと創ればいいよね。

 

 

人に幸せにしてもらおうなんてせずに

自分でさっさと幸せになればいいよね。

 

 

反省。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は満月だということを

いろいろあってすっかり忘れていて

 

そんなすてきな満月の日に

私が気づいたことは

 

悩んでいられるのは余裕があるから。

だから

悩みは贅沢で豊かな証拠。

 

それと同時に

悩んでいるということは

いまこの瞬間にいない証拠でもある。

 

ということ。

 

 

やぎさやちゃんのいう

一人一宇宙。

 

わたしの現実はわたしだけの現実。

 

私の現実はわたしだけがみている夢であり、まぼろしである。

 

 

宇宙の中心はわたしであり

すべての責任はわたしにある。

 

 

自分ビジネス。

頑張ろ。


 

 

 

これは感覚の話で

 

自己中であることを言いたいわけではないのですが。

 

 

「宇宙の中心はわたしである」

 

の真意は

 

「全ての責任はわたしにある」

 

という意味と同意語だと思って読んでいただけると嬉しい。

 

 

 

 

 

今日、

ちょっとした会社の行事ごとがあって

(ぷち発表会)

 

こういう場って

緊張するやん。

 

落ち着かないやん。

 

そわそわするやん。

 

 

で、

 

最近さちまるちゃんがインスタライブで言っていた

 

「主役意識」

 

っていうのを実験してみた。

 

 

たとえ役柄がサポート役だとしても

ちょい役だとしても

存在は主役として在る

 

ってやつ。

 

(うーん、言葉にすると難しいね)

 

 

別の言葉でいうと

 

わたしそのものとして存在する。

 

(あ、もっと意味不明か)

 

 

 

で、

呼吸する。

 

 

呼吸は

わたしそのものとの融合

わたしそのものとつながる行為

だから

 

呼吸を主役意識でやると

 

 

 

めっちゃ落ち着く!

めっちゃ気持ちいい!

 

宇宙とひとつにとろけた感覚がして

自分の内側がなんとも言えない気持ちよさ。

 

 

やべぇ。。

 

 

 

発表する番になれば

そりゃ緊張するけどさ

 

でも

結果にフォーカスしていないから

堂々としていられることに

自分で驚いて

 

(堂々としててもエラそうではない)

 

 

やべー!これ!

 

めっちゃいい!

 

って思った。

 

 

なんか落ち着かない

なんかもやもやする

どうしていいか分からない

 

なんて時は

 

 

「主役意識で呼吸する」

 

をやってみたらいいんじゃないかなー。

 

 

 

もしよろしければ☆

 

 

 

 

Mayumi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


去年?おととし?

 

天の河伝説のミュージカルのことを知ったとき

 

行きたい!

って思った。

 

でも、

チケットがあっという間に売り切れてしまって

 

本当に本当に

あ!

っと言う間に売り切れてしまって

 

すごく残念だった私は

今回の再演の事を知って

 

絶対行く!

って決めた。

 

チケットの発売がいつか分からなくて

ずっとしーちゃんとハッピーちゃんを見張ってて、笑

 

5月?くらいにサイトができてるって聞いたから

ソッコー検索かけてS席をゲット。

 

もう嬉しくて嬉しくて

楽しみで楽しみでしかたなくて当日を迎えたんだ。

 

 

 

初日を観劇して

なんどもウルっとして

なんどもジーンとして

 

帰り道も

あぁよかったなぁ

と感動を味わいながら帰ったんだけど

 

ちょっと期待しすぎてた感もあってね。

 

前から2列目というめっちゃいい席(しかも真ん中より)

で見たからなのか

 

「1回観たからもうみなくてもいいか」

 

とか思ってた。

 

 

 

あれから1週間経つんだけど

 

あたまのどこかで

ずっと天の河伝説のことを考えてて

 

ふと思っては検索かけてる自分に

 

あれ?

って思った。

 

1回観て、

もういいかって思ったわりには

ずっと気にしてる私ってなんか変だと思った。

 

 

「余韻。」

 

 

これがすごいんだと思った。

 

 

ずっとずっとじんわり感動しつづけてるの。

ずっと体が細胞がなにかを感じ続けてる。

 

炭火みたいに、笑。

 

 

1週間経った今は、

「今度は前の方じゃなくて

劇場の真ん中とか後ろよりで観たいなぁ」

とか思ってる私がいる、笑。

 

 

 

しーちゃんのブログで

 

初日と千秋楽では

ステージ?次元?

なんか分からんけど、違う舞台になってた

ってうのを読んで

 

 

初日にご縁があった私は

 

まずは天地統合するエネルギーを

細胞レベルであびる必要があったんだろうと思った。

 

 

おとどしの池袋
去年の壱岐では
天地統合
肉体次元の私と
大いなるわたしの意識の統合が
テーマでした。
 
 
 
今回も初日と2日目はそれで
作りました。


私は初日にチケットをとっていて
初日にご縁があったっということは
天地統合
がまず必要だった。



 
私はこの物語を
瀬織津姫と
地上の瀬織津姫の物語
天地統合と
女性性復活と捉えていたのですが
 
 
 
同時に
これは 日の神 ニギハヤヒ
男性性の復活だったのです。


千秋楽は
天地統合
というよりは
陰陽統合(=女性性と男性性の統合)
のエネルギーとなっていたみたい。


天地統合と陰陽統合。

書きながらも
その意味もその違いも分かってないけど

両方見た人には
その違いが分かったみたいでね。


今度は、その陰陽統合のエネルギーを浴びたい!
って思ってしまった。




前回、チケットが全く取れなかったことで
私は
今回は絶対行く!と心のそこから決める事ができた。

前回、あっと言う間にチケットが売り切れてしまったことで
今回は、アンテナを張り巡らせていて
正式な発表前にサイトのことを知ったから
前から2番目というめっちゃいい席で観る事ができた。

おそらく
エネルギを間近で浴びる必要があったからなんじゃないかな?


そう思うとね。

「前回チケットが取れなかった」
という経験が
「今回絶対行く!」という決意につながったことを思うと

おととしチケットが取れなかったことって
無駄じゃなかった
むしろ
今回の行動を起こさせるために起きていたことなんじゃないかと

そんなことを思う。



いろんなことは
後からしか分からない。

後になって初めて気がつく。



ハッピーちゃんは
よくそんなことを言うけど

まさしく!

って今回思ったよ。


なんか気になる

気がついたらそのことを考えてる



それって
魂からのメッセージだと思うから

もし可能なら
行動を起こしてみたらいいと思う。


絶対なにかあるから(^^)



ということで。


再演がもしあったとしたら

また絶対見に行こうと思います♪

(もうないかも、だけど)


天の河伝説、

本当に伝説の舞台でした!




 

 

二極化

と言う言葉が聞かれて久しく

 

そもそも二極化って

いったいなんぞや?

という疑問も湧いて来てまして。

 

 

2012年

2016年

そして2020年。

 

「二つの列車が走っていて

だんだん乗り換えが難しくなりますよ、

本当にのりたい列車に乗って下さいね。」

的なメッセージを言われているのが

この3年。

 

分かるようで分からない二極化。

 

けさ、ふと思ったのは

マインドのことなのかもしれない

ということでした。

 

貧しいマインドか

豊かなマインドか

 

心貧しく生きるのか

心豊かに生きるのか。

 

ということなのかな、と。

 

これは人から見て、ではなく

自分がどう感じているか、ってことで

 

他人様は関係ないと思ってます。

 

 

で、

私にとっての豊かなマインドって?

ってことなんですけど。

 

 

(願いが)叶うとか叶わないとか

 

そういう結果の話ではなく

 

叶うとか叶わないとか

そういう結果にフォーカスしてなくて

 

それよりも

 

今!

 

今、私はどうしたいのか?

今、私はどっちを選ぶのか?

 

そこに焦点をあてて過ごす。

 

結果的にのぞみ通りにならないかもしれない。

 

そもそも

私達は結果には関与できないし、

 

てかさ。

「もし叶わないならやめるの?」って話。

 

それより

今、

やってみたい♪

と魂がうずくならやってみる。

 

そんなスタンスで生きること。

 

 

 

これがわたしにとっての豊かなマインド

 

かなーと思ってます。

 

 

で。

生きるってことって

振り幅だと思ってて。

 

あっちに揺れ、こっちに揺れすることが生きる事。

 

 

だから

豊かなマインドで過ごしてみたり

貧しいマインドで過ごしてみたり

 

それも人生の醍醐味

生きるってことの醍醐味

なのかもしれないということも

逆説的ですが思っています。

 

 

つまり!

 

 

どっちでもいいねん♪

 

 

 

 

せっかくの二極化

 

どっちも味わおーぜ☆

 

せっかく地球に生まれたし☆

 

って感じ〜〜〜、笑。