私は4年前に

生き方を変えようと決めて

 

私なりに試行錯誤しながら今日まで来ました。

 

この

「生き方を変えるってどういう事?」

 

ってことですが。

 

 

以前の私は

人の役にたつことが素晴らしい事

=人の役に立たない自分は価値がない

 

と思い込んでいたので

 

とにかく

 

人様のお役に立たなければ。

 

(今思えば)脅迫観念にかられていました。

 

とくに仕事となると

しんどくても

頼まれたらやる

 

みたいなスタンスで生きていたので

どんどん仕事がキツくなりました。

 

お役に立てている実感はあったし

実際、重宝がられていて喜んでもらっていたと思います。

 

でも

それとは裏腹に

体はどんどんしんどくなり

心は疲弊し、疲れていきました。

 

それでも

「がんばりが足りない」

と自分にムチを打ち

歯を食いしばってばんばっているうちに

 

疑問がわいてきたんです。

 

 

「なんかおかしい」

 

 

こんなにがんばっているのに

どうして私は

こんなにしんどく

こんなにツライのだろう?

 

 

そのうち

周りにイライラするようになりました。

 

あなたがもっとがんばれば

私は楽になるのに、

とか

 

私がこんなにツライのに

助けてくれないばかりか

どんどん仕事をさせるって

いったいどういうつもり?

とか

 

 

本当は

 

もうできません

もうやりたくありません

休みたいです

誰か他のひとに頼んでください

 

と言いたいのに言えずに

創った笑顔で引き受ける。

 

 

自分の本当の気持ちにウソをつき

自分の本当の気持ちにフタをして

 

 

わたしなりに

 

がんばって

がんばって

がんばった結果は

 

毎日がしんどくてツライ毎日でした。

 

 

周りの人に喜んでもらうことは

もちろん嬉しかったし

認めてもらえることも

喜びではありました。

 

 

でも。。

 

私は

自分のホントの気持ちにウソをつき続けた結果

仕事以外は

全てを失うような人生になってしまっていたのです。

 

 

「わたしは(馬車馬のように)働く為にうまれてきた訳じゃない!」

 

それは

わたしの心の叫びだったと思います。

 

 

 

タイミングを見計らって

私はその会社をやめました。

 

会社をやめて

1年間ひたすら自分と向き合う毎日をすごして

分かったことは

 

私がしんどかったのは

私の人生がつらいものになっていたのは

 

決してその会社のせいではなく

私自身の考え方や、価値観のせいだったと言う事でした。

 

 

自分の気持ちにウソをつくと

人生はつらくしんどいモノになるし

うまくいかなくなるなぁ

 

ということを実感として味わっています。

 

 

でね。

この「自分のホントの気持ち」って

なぜ分からないかというと

 

ひとつには

「それを認めてしまうと

今のままではいられなくなる」

ということを本能で分かっているからだと思います。

 

自分の本当の気持ちに気づいてしまったら

もう

今のままではいられない

今までごまかして来たことをすべて認める事になり

それは

けっこうこわいことなんですよね。

 

 

でも、

 

その怖さを覚悟して

自分の本当の気持ちを見つめ、イエスをだすと

自分がゆるみ、ホッとしてリラックスでき

安心感につつまれることも大いにあるんです。

 

ただ、

認めてしまうと

今までの生き方ができなくなる

というのはあります。

 

結果、

人生が今までとは変わってしまう可能性も大いにあります。

 

それが怖くて

人は自分の本当の気持ちを観たくない

自分の本当の気持ちに気づきたくない

のかもしれません。

 

これは

私自身の事ですけど。

 

 

自分の本当の気持ちにウソをつくと人生がしんどくなる

なら

自分の本当の気持ちに正直に生きれば人生は楽しくなる

わけで。

 

これは

実験する価値がありそうだと思いません?

 

 

 

2019年も半分を過ぎましたが

私は

できるだけ

自分にウソをつかず

自分に正直に生きていこうと思います。

 

 

 

このブログは

私の声明文として記録として書いています。

 

 

 

私の意宣り(いのり)を読んでくれてありがとう♪

 

 

絶賛体調不良中のMayumiです。

 

夏至は

1年の中でエネルギーが一番変わるポイントだと

思っていて

 

毎年6月にはいると

なんとなく警戒体勢にはいっています。

 

今年は7月の終わりからすこぶる体調が悪く

今日のライオンズゲートあたりまでは

治りきらないかもなーなどと思っておりました。

 

 

私は

4年前に生き方を変えることを決め

すこしずつすこしずつ

方向性を変えてきました。

 

今の私は

「宇宙」を信頼しているので

 

起こる事はきっといいこと

おきている事はおきた方が良いから起きている

ということを前提として生きています。

 

なので

今の体調不良も必要があって起きている

体調不良になったほうがいいからそれが起きている

と思っています。

 

体調不良はもちろん

ツライし、不安だし

イヤです。

 

でも、どこかで

これは私が良くなる為に起きてるんだろうなとも思ってるんですね。

 

例えば

水分もっととった方が良いのかもしれない。

生活習慣を見直した方がいいのかもしれない。

それより

少し仕事がハードです、と会社に相談するなど

もう少し体が楽になるような行動をしたほうがいいのかもしれない。

など。

 

 

体が悲鳴をあげないと

変えようとしないのは

ある意味

「おせーよ」

なのかもしれないですが

 

体が悲鳴を上げる事で

周りの人に言いやすくなるというメリットもあるので

 

我慢や遠慮しがちな人は

チャンスと思って

思いきって

今まで我慢してきたことや遠慮してきたことを言うといいのかなと

思います。

 

 

 

同じように

周りにイヤな人がいるとき。

 

その人は

私が今より良くなるために存在しているのかもしれないのです。

 

なにを持って「良くなる」というのかは分かりませんが

なにかに制限や抵抗やブロックがあるから

その人のことを「イヤな人」って思ってる可能性があって

 

「それに気づくチャンスをその人が作ってくれている」と考えると

自分の成長や枠広げや視野が広がるなどにつながるかもしれません。

 

 

イヤな人は口に苦いお薬のような存在。

自分がよくなる為にそこにいる。

 

そう思うと

ただイヤだ、とおもうよりいい気がします。

 

この人は

私をどう良くしてくれようとしているんだろう?

 

そう思うと

ちょっとは苦手なあの人のことが

ただ「イヤな人」ではない見方ができます。

 

そうはいっても

イヤな人はイヤな人だし

苦手な人は苦手な人ですけど、笑。

 

それでも

ちょっとだけ違う方向から

その人を観ていると

なにかに気づけるのかなーと思っています。

 

 

言いたい事伝わった?

思ってる事がうまく文書化できなくて

もどかしいよー。

 

 

何をいいたいかというと

 

イヤな事もイヤな出来事も

悪いものじゃないよ、

ってこと。

 

それらは

必要があって起きている、私がよくなるために、

ってことです。

 

 

 

今日も読んでくれてありがとう☆

 

 

Mayumi

 

 

 

 

 

 


つづきです。


 

遅刻してくるって人としてダメでしょ。

 

Mちゃんは言いました。

 

 

まー、常識的にはそうだよね。

 

と思いつつ

 

 

またその手の話?

 

と思った私が口にした言葉は

 

 

「別に良くない?」

 

でした。

 

 

Mちゃんは

目をカッと開いて

 

良くないわよ!

人に迷惑かけてんのよ!?

 

良いわけないでしょ!

 

 

とけっこうな剣幕。

 

 

まーそうだよね

 

と思いつつも

 

 

つい私もけんか腰に。

 

 

 

「私は別に遅刻してもいいと思ってんのよ」

「遅刻した結果の後始末はそのひとがとるんだから」

 

 

遅刻をすれば

 

例えば

その分お給料が減る

怒られる

信用をなくす

 

などの不利益が起きる可能性がありますが

 

それは遅刻した人が自分の責任として取るもので

周りがそのフォローをしなくていいと思ってるんです。

 

 

遅刻したらその分お給料へらしますよ。

遅刻したらそのメニューは受けられませんよ。

遅刻してもだれもフォローしませんよ。

 

ということを説明して

それを実際にやればいいんじゃない?

 

とか

 

遅刻常習犯のお客様の予約は

「すみませんが、よく遅刻されたりキャンセルされるので

前金でお願いしてもいいでしょうか?」

と言ってみるとかして

遅刻しても自分が不利益にならない工夫をしてみたらどうか?

 

とか

具体的なアドバイスをしてみても

 

 

聞く耳を持たないMちゃんは

 

私の言う事が全く理解できないようで

だんだんエスカレート、笑。

 

 

この人、

ぜんぜん自分の意見変える気ないなぁ

と思ったので

 

 

あれ?

もしかして

アドバイスが欲しい訳じゃなくて

ただ聞いて欲しいだけ?

 

と思ったから

 

 

もしかして

アドバイスが欲しいわけじゃなくて

ただグチきいて欲しいだけなの?

それなら

ただ聞くよ?

 

というと

 

困惑してました。

 

 

わたしは占いやるので

Mちゃんの性質を知っているので

(かまってちゃん、聞いて欲しい人)

 

そうなのかな?

 

と思ったんですよね。

 

 

そしたら

アドバイスが欲しいのか

ただ聞いて欲しいだけのか

 

自分でもよく分かっていないようでした。滝汗

 

 

 

 

 

なんかしらんけど

Mちゃんと二人になると

 

よくグチ(相談?)になり、

よく言い合いになるんです。

 

お互いオトナなので

ケンカにまではなりませんが

けっこういいたいことをズバズバいい合う。

 

 

今回もいいあいっこして

私はひとつステージをクリアした気がしました。

 

 

そのステージとは

 

「ポジティブがよくてネガティブが悪い」という2元のステージ

 

 

どっちでもいいじゃん。

 

Mちゃんと何度か言いあいっこして思ったんです。

 

 

遅刻を悪いと思っても良い。

遅刻してもいい。

 

遅刻されるのがイヤなら

 

遅刻はイヤという

とか

そんな人とつき合うのやめる

とか

 

相手を変えるんじゃなくて

自分のスタンス、意見、考え方、見方を変える。

 

 

 

いろんな人がいるのが地球。

いろんな価値観があるのが地球。

 

正解は一つではなく人の数だけある。

 

どちらかがよいと思っていると

その価値観の偏りが自分を苦しめる。

 

ということが

腑に落ちたんです。

 

いままで知識として理解していましたが

 

目の前に

自分の価値観のせいでそれでイヤな想いをしているMちゃんを

まのあたりにして

 

自分を振り返る事ができました。

 

 

わたしの悩みも

わたしの偏った価値観が原因なのだ、と。

 

 

 

これからは

 

どっちでもいい

 

を座右の銘として

生きていこうと思ったのでした。

 

 

あ、

別に価値観の偏りが悪いわけではないですよ。

 

それがあるから個性だし

その人らしさがでて魅力的だと思うし。

 

でも

自分の価値観で他人を計るとしんどくなるよね、

って話です。

 

 

 

 

 

よんでくれてありがとう♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月の終わりに

 

友達と遊んでて

(仮にMちゃんとする)

 

その子とカフェでお茶しながら

グチ?相談を聞いてました。

 

「ネガティブな事しか言わない子にイライラする」

 

というものでした。

 

今の私は

ネガティブは悪いものでも

ダメなものでもないので

 

ふーんと言うかんじですが 

 

以前の私は

たしかにポジティヴが良くてネガティブが悪い

と思っていたので

 

グチや否定的な発言や後ろ向きな言葉などが

異常にキライでした。

 

もっと前向きになりなさいよ

もっと肯定的にとりなさいよ

やればできるから!

 

そんな感じのスタンスだったので

当時の私は迫力があって

怖かったと思います、笑。

 

 

 

で、その子の話を聞きながら

 

あーー心当たりあるーー

と思いつつも

 

私なりの見解を述べたのですが

 

まー受け入れてもらえない。ニヤニヤ滝汗

 

(気持ち分かる)

 

 

その子にしてみたら

私の言う事は真反対

な意見な訳ですよ。

 

 

私的には

真反対というより

その次元を越えてるという感じなんですけどね。

 

 

 

私自身も

そのことをうまく言語化できないものかしさもあるのですが

 

どういっても

伝わないんです。

 

 

しょうがないので

とりあえずその子の次元に寄り添って

その子の今の気持ちと立場と同じ見方をしてから

話を進めると

すこーし私の言う事を受け入れてもいいかな

と思ってくれたようでした。

 

(あー、よかった)

 

 

 

で、先週。

 

またそのMちゃんと遊んだんですけど

そしたら

今度は

「遅刻してくるあの人が許せない」

という話になりました。

 

 

(長くなったので続く)

 

 

 

数日前に

突然耳が聞こえにくくなりまして。

 

朝起きたら左だけ詰まったようになってて

聞こえない。

 

 

飛行機に乗った時のような

プールで耳に水が入って聞こえにくいときのような

そんな感じ。

 

 

え!??

って思いました。

 

一瞬でパニックです。

 

 

どうじたんだろう?

 

どうしよう?

聞こえん。

 

すぐググってみました。

 

 

「耳詰まる感じ」

 

 

そしたら突発性難聴という言葉が出て来て

早めの受診が大事と書かれていました。

 

お休みの日まであと2日ほどある。。

いつ行く?

 

地元の耳鼻科を調べると

診察時間が仕事と同じで無理。

 

とりあえず、会社に行って

隣の席の人に

「耳鼻科知らない?」

と聞きました。

 

事情を話したら

「すぐ行ったほうがいいよ」

と言うので

 

店長に事情を話して医者に行ってもいいと

言ってもらって行って来ました。

 

 

検査の結果。

「低音の突発性難聴」とのこと。

 

低音が聞こえないようでした。

 

そして。

お薬をもらって飲む事2日。

 

今日はかなり調子がいいです。

(あとでお医者さんにいってきます)

 

ほっとしながらも

「聞こえるって当たり前じゃなかったんだ」と思いました。

 

聞こえることだけじゃなく

見える事

話せる事

歩ける事

 

もっと言えば今日生きてる事も実は奇跡なんだなぁ。。

 

 

私は

生まれてから今日まで

いえ、この瞬間瞬間さえも

 

奇跡の中で生きてきた。

 

 

魂が震えた瞬間でした。

 

 

しかも!

お薬代!

2日間分だったからかもしれないけど

ジェネレリックを選んだから、なのかもしれないけど

 

なんと390円!!

 

やす!

 

390円てファミレスのドリンク代?

って感じ。

 

お薬メーカに感謝!

 

あ、

私3割しか払ってないから

あとの700円くらいは国が払ってくれるのか。

 

国!!ありがとう!

 

 

感謝。。。

 

感謝しかない。

 

 

うまれて初めて

「生かされている」ことに感謝したかも。

 

 

 

でも、

こんなに感動してこんなに感謝しても

 

日がたつと忘れるんですよね。滝汗

(のど元すぎるとなんとやら)

 

なので、備忘録としてブログを書いておこうと思いました。

 

 

今年の夏も暑いです。

 

どうぞ皆様も

お体を大切になさってくださいね。

 

 

体がいっちばん大事ですから。

 

 

 

Mayumi

 

 

 

 

 

 

余談ですが

この突発性難聴は原因がよくわかっておらず

ストレスや体調不良などが原因なことも多いとされています。

 

私が店長に

「耳が聞こえないので医者に行きたい」

と行った時

いつもはいない部長もたまたまその場にいて

 

「ストレスか??」

と言って来ました。

 

もしかしたら、だけど

これでパートさんの採用や仕事の外注の話が

進むかもしれません。

 

先月、残業が多くて

人いれてほしいーーー

って思って軽く部長に相談してたので。