ひだまり 日常生活 -13ページ目

ひだまり 日常生活

日記を書くことで考えを整理したり、気づいたことを記しています

                

その通りだと思いました。

亡くなられた著名人の病気や詳細について報道したり、情報を拡散するのはどうかと。
自分が・・・ならば、、、
相手の立場に立つことを忘れないようにしたい。


神々の 思ひ思ひに 描くそら
消えゆく雲に 湧き出でる雲




※天は唯、神々の住むところという意味を込めて。
思えば父が亡くなってから人生が一気に動き出した。というよりも、今まで潜在化していたことが父の死をきっかけに表面に出現したといった方がよいだろう。今まで目を閉じてきたこと、先延ばしにしてきたことが、嫌でも目を開けて避けては通れない状況になったまでのことである。

その日の朝、不忍池には大きな蓮の花が咲いていた。花だけ見ていると、この世の光景とは思えない。上野恩賜公園。そこは私が想像していたよりも俗っぽかった。木陰に人が寝そべっているのを見ると、何か昭和と変わらない気さえした。一方、街のコンビニやホテルのフロントでは外国人就労者が目につき、彼らの流暢な日本語や接客レベルの高さに接すると、もう日本人の働く場がないようにさえ思えて、妙に焦りを感じた。

焼けつくような歩道橋を渡っていると、マルイの温度計は40.0℃を表示していた。もう、どこへも行く気力がなくなり、涼しさを求めて東京国立博物館に入った。その日特別展では縄文時代の土器や土偶が展示されていた。薄暗い照明に古代の人々の息づかいが聴こえるようであった。緻密な土器の模様をみると、どう考えても「私」のために作った物ではない、自分を越えた何かのために作ったとしか考えられない、そんな気がした。

あゝ、それに比べて、今の私は何て「私」にとらわれていることだろう。我欲というか、我執というか。

それを自覚しなければならない出来事が起きた。私は人を不愉快にさせてしまった。暑さで判断力が鈍っていたとか、タイミングが悪かったとかいうことは問題を表面に押し出したきっかけに過ぎない。その本質、根底に横たわるのは、私の、まぁ、いいだろう、これくらい大丈夫だろうという、人を軽んじた気持ちがあったからだ。

本心というものは、いくら隠そうと思っても、いつか表面に出てしまう。

心と行為と言葉は一致したものだというが、全くその通りだと思った。いくら言葉を飾っても、行動を誤魔化しても、本当の心は何かの拍子に顕れてしまう。

私は露呈した本心を取り繕う暇もなかった。
もう、取り繕ったところで、どうにかなるものでもなかった。
東京行きは新幹線でもよかったのだが、何故か私は夜行バスで行きたくて仕方なかった。

都合よく、あべの橋から上野で停車する近鉄バスをみつけたのも理由のひとつかもしれない。

その日は、とにかく遅れないように無事にバスに乗ることだけを考えていた。

すっかり陽が暮れた夜道を歩いて駅に着くと駅員さんがお客さんに、

「次の電車は9時・・・」と答えているところであった。

とっさに私が

「次は8時半じゃないですか」と言うと

「あっ、8時半です、勘違いしてました、すみません」と照れくさそうに笑った。

私はほっとした。次の電車が9時過ぎなら夜行バスに乗り遅れる。私はバスに乗ることで頭がいっぱいだった。

難波行きの電車は予想通り空いていた。

通勤帰りの電車とすれ違ったとき、会社勤めをしていた二十代の頃を思い出した。私もこうして疲れて帰路に着いていた頃があった。あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。

今の私はというと2ヶ月前に廃業し、唯の私、素の私になってしまった。その唯の素の私は、車窓から世間というものを眺めていた。以前より距離をおいて。


その日、私は茶色い革のリュックを背負い、花柄の鞄を抱えながら、奈良駅で都路快速を降りて大阪方面行きの電車に乗り込んだ。

少しほっとして、この旅の余韻に浸っていた。すると、前の席に年輩の女性が座り、携帯電話で知り合いと何やら話を始めた。「高田」という地名が何度も耳につく。そうかと思うと、隣の会社員らしき男性も「高田」のことをしきりに話す。私はつい不安になって女性に尋ねた。

「この電車は高田行きですか」

「いえ、大阪行きですよ、環状線通って大阪へ行きます」

女性はにこやかに笑ってこたえてくれた。

それがきっかけで世間話が始まった。

商店街が閑散としていること、活性化の為にホールが出来ても、人の動きは簡単には変わらない、時代の移り変わりは私たちにはどうすることも出来ない、そんな会話をしているうちに、乗り換えの駅に着いた。私たちは共に降りて、階段を昇り降りして別の路線に乗り換えようとした。ところが乗り換え時間が短く、私は先に行って扉の開くボタンを押して女性を待った。

「ありがとう、ありがとう」

女性はそう言いながら席に座った。

電車が動き始めると私は中年男性に肩を軽く叩かれた。席を譲ってくれるらしい。わずか一駅だが、せっかくなので気持ちよく座らせてもらった。

こうして、私の短い旅は終着駅に着いた。単線の小さな駅では東京からの乗車券が入らず駅員さんに手渡した。その駅員さんは私がこの旅の始まりに電車の出発時刻を確認した駅員さんであった。

私はそのとき、まさにこの瞬間に、この旅の意味を悟った。

つい今しがたの出来事に、この旅の意味が凝縮されているような気がした。

私は旅すべくして旅したのだ。

この旅は私の精神の世界の顕現という実感、いや、それは限りなく確信に近いものである。