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ひだまり 日常生活

日記を書くことで考えを整理したり、気づいたことを記しています

                

谷崎潤一郎『新々訳源氏物語 序』より

「…先般、中央公論社が「日本の文学」の第一回として私の作品集を出版するに当り、枉(ま)げて仮名遣いを新仮名にすることを承諾してくれと言われて、ついに私は節を屈することになった。それが今回源氏の新々訳を思い立つに至った事の起りである。……今さら新々訳でもあるまいといわれそうだが、翻訳者の身になってみればそうでもない。私以外の翻訳者の訳文は皆新仮名遣いになっているのに、私のものだけが旧訳も新訳も旧仮名になっている。すでに私の創作集の一部が「日本の文学」の一冊として新仮名に改められて発行され、やがてはその続刊も発行されようとしているのに、谷崎源氏が依然として旧態を墨守し、そのために若い読者層から疎んぜられているとすれば、翻訳者の私はやはり寂しい。私とすれば一人でも多くの人に谷崎源氏を読んでもらいたいのが本心である。それでなければせっかくの仕事の意義がない。」

昭和三十九年十月 湯河原湘碧山房において 潤一郎しるす とあります。『源氏物語』の膨大な文章を三度目に訳し終えた時は七十八才という高齢でした。

その後谷崎潤一郎は一年経たずしてこの世を去ります。

読んでもらいたい気持ちと本意ではない新仮名遣い。その葛藤は如何ばかりだったでしょうか。

先日、私は自分の考えを伝えようと敢えて話し言葉でブログを書きました。その時なんとも言えない違和感ともどかしさを感じました。谷崎潤一郎はじめ明治大正、昭和初期の作家の新仮名遣いに感じた感覚はどれほどのもどかしさと違和感があったのでしょう。そのようなことに想いを馳せると、節を屈してまで読んでもらいたかった気持ちがひしひしと伝わってきます。


むらさきのゆかりの色にもえいでし
   花のえにしの忘られなくに
          
        谷崎潤一郎
体育の日がスポーツの日になるって、知らんかった。

そもそも、なんで、カタカナやねん。
なんで日本語ちゃうねん。

体育という言葉が教育的な意味合いを思わせて、
スポーツは自発的で楽しむような印象、らしいけど、

(果たして、) そうかなあ……

「育」という字は「はぐくむ」とも訓(よ)むから体を育むで、おかしくないやん。
運動の日でもおかしくないし。

私は個人的にやけど、スポーツっていう言葉は何か興行的な印象があるなあ。

自分(自国)が有利になるようにルールまで変えてしまうような……


それから、近年の運動会で思い出すのが、
かけっこして順番つけないこととか、組体操の問題。

よういドンって競争してるのに、競争じゃないって虚言。
組体操にしても限度あるやん。

どんなに言葉でイメージ戦略しても
言葉で「競技」とかいうても、競争は競争、争いやねん。

「楽しんでます」っていうても、ほんまは、しんどいねん。(たぶん)


ところで…
英語に詳しくないから調べてみてん。

“sports”は“sport”の複数形で、

単数の“sport”にはいろいろな意味があんねんなあ。

運動競技の他に、気晴らし、娯楽、
文語では、善意の意味でからかい、冗談、または、悪意ある嘲り、冷笑…
会話の言葉で、はしゃぐ、遊ぶ、(人と)ふざける、冗談を言う…

やって。

スポーツの日が「冷笑の日」にならんように祈るしかないか。


今日は秋の「社日(しゃにち)」だそうです。
春分、秋分に一番近い戊の日で、春は豊作を祈念し秋は収穫を感謝し、産土神(うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ)をお祀りする日とのこと。
神社にお参りしたら参道が綺麗に掃き清められていて、鳥居の際の萩が美しく咲いていました。






「麹町の屋敷から抱車(かかえぐるま)で通勤したその当時、毎日目にした銀座通と、震災後も日に日に変って行く今日の光景とを比較すると、唯夢のようだというより外ない。……西洋文明を模倣した都市の光景もここに至れば驚異の極、何となく一種の悲哀を催さしめる。この悲哀は街衢(がいく)のさまよりもむしろここに生活する女給の境遇について、更に痛切に感じられる。……これを要するに時代の空気からだと思えば時勢の変遷ほど驚くべきものはない。」 p.101・102

銀座の女給の生活を描いた小説『つゆのあとさき』は昭和初期(六年頃)の作品です。そこには当時の日本社会に対する文明批評が垣間見えます。それが顕著に現れていると思われる箇所、著者永井荷風が読者に伝えたかったのではないか、そう私が感じとったところを抜き書していきます。とりわけ此処のくだりは西洋文明を模倣した日本の哀しさ空虚さ、忌憚なくいえば薄っぺらさ、街衢(がいく)もさることながら人間の生活態度や内面の虚しさが切実に伝わってきます。


「熙(あきら)は…老免せられるまで凡三十年漢文の講座を担任していたのであるが、深く時勢に感ずる所があったと見えて、平素学生に向っては、今の世の中に漢文学の如き死文字を学ぶほど愚な事はない。唯骨董としてこれを好むものが弄んでいればよいものだと称して、人に意見をきかれても笑って答えず、……」p.69

街並や人間と共に学問の世界でも急速に進む西洋化を当時の知識人たちはどう見ていたのでしょうか。時勢にのる人もいれば、旧態依然とする人もいたのかもしれません。また、本心は旧態依然としながら、世渡りせんが為にやむを得ず表面上時勢にのった人もいたことでしょう。変化の著しい時代は器用に立ち回る方が生きやすいのかもしれません。ただし、それは何か大きな問題を放り投げているからこそ為せる生き方ではないかと私は思うのです。


「…源氏の講義を聞きに行った国学者の先生が、いつも口癖のように今の文士にくらべると江戸時代の作者がどれだけ優れているか知れないと…」p.74

これは著者自身言いたかったことだろうと思います。そして、これに対比するような登場人物の描写があります。

「五年前の進は勉学の志を擲(なげう)たない真率(しんそつ)な無名の文学者であったが、今日の進は何といってよいやら。思想上の煩悶などは少しもないらしい様子で、その代り絶えず神経を鋭くして世間の流行に目を着け、営利にのみ汲々(きゅうきゅう)としているところは先(まず)相場師と興行師とを兼業したとでも言ったらよいかも知れない。新聞に連載しているその小説を見れば、今まで世にありふれた講談や伝奇を現代の口語に書替えたまでの事で、……これでは殆(ほとんど)読むには堪えまいと思われるくらいのものである。」p.74

小説では相場師と興行師を兼業しているようなこの作家が人気作家として世間にもてはやされているのです。当時もこのような世相だったのでしょうか。著者永井荷風はどのような気持ちで文壇を眺めていたのでしょう。



某省の高等官であったが世間の耳目を聳動(しょうどう)させた疑獄事件に連坐して刑罰を受けた松崎博士の回想場面。

「一時はあれほど喧(かしま)しく世の噂に上ったこの親爺(おやじ)が、今日泰然として銀座街頭のカッフェーに飲んでいても、誰一人これを知って怪しみ咎めるものもない。歳月は功罪ともにこれを忘却の中に葬り去ってしまう。これこそ誠に夢のようだと言わなければなるまい。……そして人間の世は過去も将来もなく唯その日その日の苦楽が存するばかりで、毀誉(きよ)も褒貶(ほうへん)も共に深く意とするには及ばないような気がしてくる。」p.102・103


-人間の世は過去も将来もなく唯その日その日の苦楽が存するばかりで、毀誉(きよ)も褒貶(ほうへん)も共に深く意とするには及ばないような気がしてくる-

このような心持ちは老年に達しなければ得られないのでしょうか。功罪、苦楽、毀誉、褒貶…。人間の世をこのように少し遠くから眺める視点、この人生態度は諦めでもなく、則天去私でもなく、「もののあはれ」に似た感慨を催すのは私だけでしょうか。
前回私は利己的な考えが無意識の領域で広がっていると述べました。その要因は便利さだけではありません。利己的でなければやっていけない厳しい世の中であることも事実です。そして心は意識と無意識の両面で、事あるごとに葛藤しているように思います。対抗しているのは良心でしょうか、道徳心でしょうか、それとも儒学的精神でしょうか。

「人間の価値は彼がどれだけ完全に公的な役割を果し得るかということで決まるという儒学の世界観で育った漱石は、単に私的な、孤独な衝動にすぎないエゴイズムを容認できなかった。」

『夏目漱石』江藤淳 p.268


公費留学していた漱石だからこのように捉えられる、そう言ってしまえばそれまでですが、「どれだけ完全に公的な役割を果し得るか」という儒学の世界観は現在はどうなっているのでしょう。人びとの役に立ちたいと思う気持ちはあっても、公的な役割を果すことで人間の価値が決まるというそこまでの考えは私の中にはありません。それはいつ頃まで私たちの中の共通認識として存在していて、いつ頃から衰退していったのでしょう。それはもう呼び戻すことが出来ない過去になってしまったのでしょうか。

漱石が来るべき未来の人びとに先んじてエゴイズムと葛藤していたとすれば、私たちはその葛藤の続きをしているはずです。言い換えれば、私たちは漱石の苦しみを背負っているはずです。けれども私たちは「単に私的な、孤独な衝動にすぎないエゴイズムを容認」している、それどころか此処彼処で、「単に私的な、孤独な衝動にすぎないエゴイズム」の衝突が火花を散らしているのが現在の状況ではないかと思います。