谷崎潤一郎『源氏物語』を三度訳した思い | ひだまり 日常生活

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谷崎潤一郎『新々訳源氏物語 序』より

「…先般、中央公論社が「日本の文学」の第一回として私の作品集を出版するに当り、枉(ま)げて仮名遣いを新仮名にすることを承諾してくれと言われて、ついに私は節を屈することになった。それが今回源氏の新々訳を思い立つに至った事の起りである。……今さら新々訳でもあるまいといわれそうだが、翻訳者の身になってみればそうでもない。私以外の翻訳者の訳文は皆新仮名遣いになっているのに、私のものだけが旧訳も新訳も旧仮名になっている。すでに私の創作集の一部が「日本の文学」の一冊として新仮名に改められて発行され、やがてはその続刊も発行されようとしているのに、谷崎源氏が依然として旧態を墨守し、そのために若い読者層から疎んぜられているとすれば、翻訳者の私はやはり寂しい。私とすれば一人でも多くの人に谷崎源氏を読んでもらいたいのが本心である。それでなければせっかくの仕事の意義がない。」

昭和三十九年十月 湯河原湘碧山房において 潤一郎しるす とあります。『源氏物語』の膨大な文章を三度目に訳し終えた時は七十八才という高齢でした。

その後谷崎潤一郎は一年経たずしてこの世を去ります。

読んでもらいたい気持ちと本意ではない新仮名遣い。その葛藤は如何ばかりだったでしょうか。

先日、私は自分の考えを伝えようと敢えて話し言葉でブログを書きました。その時なんとも言えない違和感ともどかしさを感じました。谷崎潤一郎はじめ明治大正、昭和初期の作家の新仮名遣いに感じた感覚はどれほどのもどかしさと違和感があったのでしょう。そのようなことに想いを馳せると、節を屈してまで読んでもらいたかった気持ちがひしひしと伝わってきます。


むらさきのゆかりの色にもえいでし
   花のえにしの忘られなくに
          
        谷崎潤一郎