キリンさんがお出迎え
予定通りナイロビに到着。
途中乗り継ぎのドバイのビジネスラウンジで、なんとなくキクユ族じゃないかなと思われるアフリカ人のあんちゃんがバーカウンターの中にいたので「Atte Lele, Mamau, He Mai!」と云ったら、そのあんちゃん、一瞬キョトンとして、そして破顔爆笑してしまった。Atte Leleというのはキクユ語で、Be attention to me. まっ、簡単にいえば「ねぇ」「おいっ、ちょっと!」という意味で、Kamau, Njoroge, Mainaなどというのはもっともありふれたキクユ男性の名前。Heは「ヒー」ではなく「へ」という発音でGiveのこと。Maiは水。「アッテレーレッ、カマウ、ヘ マイ」となる。
アフリカ人は現金収入を求めてどこへでも出かけて行き、イラクの米軍の物資輸送を請け負う米国の民間会社に雇われているケニア人などもかなりの数になるらしい。ドバイの空港で見かけるアフリカ人もケニア出身者が大部分のようだ。
アフリカ全体では、家族を残してアフリカ以外の土地へ出稼ぎに行き家族へ送金するケースが多く、アフリカ全体のGDPの何%だかという数字になるらしい。
別にアフリカ以外への出稼ぎに限らず、国内でも職を求めて都市へ行き稼いだ金を家族に送金するケースが多く、この送金手数料もまとまればかなりの額となるので、いま盛んに言われだしたBOP Busineeとして銀行が力をいれている分野とのことだ。
ドバイ空港のバーマンの名前はカマウではなかったけれどやはりキクユ族で、しばし雑談を交わした。
ナイロビは最近までよく雨が降っていたらしく、着陸前の見えた風景は前回の昨年9月のときとはまったく様相が違い、緑がまぶしてきれいなサバンナが広がっていた。
迎えに来てくれていたタクシーに乗り込み空港を出たら、遠くに10数頭のキリンの群れが見られた。
市内へ向かう道はちょっと拍子抜けするほどクルマの流れでスムーズで、ハエレセラシ通りの交差点とケニアッタ通りの交差点の信号機が赤青黄色の電気がちゃんと点灯していて、なんだかこれまでと様子が違う。
日本も今日は暖かくなって東京では梅も咲いたらしいが、ナイロビ空港に着陸する前の機内放送では気温24℃とのことだった。
刷り込み
よく使われる「刷り込み」という言葉は、もともとは動物行動学だかなんだかの学術用語で、たとえば、卵から孵化したヒナが最初に見た動く物体を母親と思い込むということなどを云うらしい。
人間でも似たようなことがあると思っていて、たとえば、10代でファッションに目覚めたときにパンタロンやマキシー・コートなどが流行っていたときにファッションに目覚めた団塊世代のオバサンが今でもパンタロンスーツで決めていたり、VAN Jacketのアイビールックから抜け出せない団塊オジサンも見かけると、あぁ、刷り込まれているなぁと思って見てしまう。
思春期に何かを見聞きして影響を受け、次第にある方向に傾向していったり、特定の人の影響を受けたりというのも一種の刷り込みなのだろう。
週末、南アフリカに関するものを読んでいて、かなり立派な内容なのだけれど、その筆者は南アが最初に関わったアフリカのようで南アから視界が他のアフリカ諸国へ及んで行ってサブ・アフリカと関わるようになった人のようで、この人のアフリカ感と、ケニアに最初に関わりその後、東部と南部アフリカに関わるようになって当方のアフリカ感とビミョウに違う部分があるような気がして、何となく面白いと思った。
それぞれ別の個人だから全く同じ認識というものはないけれど、それでも最初に関わったアフリカがケニアかタンザニアか、はたまたマリか南アフリカかで、たぶん、アフリカ感、アフリカ人に対する見方も違う。もちろん関わる度合も大きな因子になるだろうけど、、。
今晩のエミレーツ、関空・ドバイ経由でナイロビへ向かう。
昨日、ナイロビでいつも使うタクシー・ドライバーに電話をして、火曜日午後の便で到着するから空港で待っているようにということを電話で伝えてある。そしたら電話を切る間際に「日本からなんでもいいから土産を持って来てください」と。まだアフリカに出発もしていないのに、もう「ダメもと(駄目でもともと覚悟のオネダリ)」が来た。
あのときの記憶
米国同時多発テロ9.11のような重大ニュースを最初に見聞きしたときの記憶というのは強烈に残るもので、どこに居てどんなことをしていたときにそのニュースを聞いたかという、そのときの自分のことを鮮明に思い出す。
今日は阪神大震災から丸15年とのことだが、あの時、ケニアである大きなプロジェクトの最終段階に入っていたときに日本から新聞号外のコピーがファックスで送られてきて、新幹線の高架が崩れ落ちている写真を見て間違いなく巨大地震であることを確信した。
新幹線構造物というのは一般の土木構造物より格段に厳しい安全基準にもとづいて設計されるので、常識的にはかなりの大地震でも崩落しない。それが崩れ落ちたのだから、ただ事ではない状況であることがすぐ分かった。
いま、震災から15年というニュースを見ると、あの時のケニアでの埃っぽい状況を思い出す。