Hardnutのブログ -57ページ目

朝日ナイロビ特派員のボヤキ

週刊東洋経済が今年新年早々「アフリカの衝撃 - 地球上最後の新興市場」という、南アW杯年を意識してか充実した大型特集を組んだ。これは、昨年末に発行の平野克己著「アフリカの衝撃」(日経プレミア新書)を下敷きにした特集のようで、東洋経済の特集に朝日新聞ナイロビ特派員が寄せたコラムがあり、「アフリカには読者の関心は低く各紙ともアフリカ報道は手薄」ということを書いていた。彼が言うには中国新華社はアフリカ各地にかなりの数の記者を配置しているが、サハラ以南に常駐する日本のメディアの記者は彼を含めて4人だけとボヤキ、W杯を契機に関心度が高まればと結んでいた。


今朝の朝日新聞をパラパラとめくって笑ってしまった。

1面と2面に「ゾウと人 共存の試練」という、ナイロビ-モンバサ街道途中の両側に広がるツァボ国立公園の特集があり、2面の「ひと」というコラムでは、ナイロビにある「ユニセフ・ソマリア支援センター」というところで働く日本人-エジプト混血のスタッフを取り上げていた。ゾウの記事もユニセフの記事も、ナイロビ常駐記者とは別の記者・カメラマン計3名による記事だった。

皇室のアフリカ訪問随行遊軍記者なのか、「なにかアフリカものを記事にして上げよ」と云う指示があったのかも知れないけれど、朝日新聞さん、読者の関心を高めたいと云う意図は理解するけど、 「ゾウ」と「ソマリ難民」ではちょっとベタで安直すぎませんか?と言いたい。


朝日新聞とは全く関係ないけれど、今回の皇太子殿下のガーナ訪問では、皇太子殿下が「野口英世記念館」のようなところを訪問して、野口英世の使っていた顕微鏡を覗き込むと言う映像がニュースで流れていた。

野口英世とは同郷だから彼は郷土の誇りだけれど、彼の業績と実態は亡くなった後に再評価されていて、彼が研究をしていた時代には、光学顕微鏡しかなく、黄熱病のウィルスの確認は電子顕微鏡の出現を待たなければならなかったということで、日本では千円札にもなっている偉人も海外ではそうではないらしい。

分子生物学者・福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」の冒頭にそんな記述があった。

野口英世は、ガーナではどういう評価なのか気になった。





God bless Africa !

木曜日の晩に、アフリカ由来産品で起業した30代と、アフリカ絡みのビジネスを計画中の別の30代の二人と酒を飲み交わす機会があり、彼らのひたむきさと情熱に感銘を受けた。

「アドボカシーは人命を救えるか」などど崇高な理念を掲げてアフリカにかかわるNGO/NPO関連の人たちなどもいて、それはそれで結構なことで、別にたわけたことでもないのだろうが、このお二人のようなストレートにビジネスに根ざしてアフリカと関わるとというのは見ていて爽快で、こちらも出来得る限り支援したいという気持ちにさせる。


今月はじめに幕張で開催されたFoodex Japanの中の催しで、アフリカの食品ビジネスについて話をする機会があり、その後そう云うのに興味を持つ人たちと話をすることができたが、ビジネス・マインドをもってアフリカに関わって行こうとする元気で優秀そうな人が多くいるのを知ると、こちらもなんとなくたのもしくなる。


南アフリカ黒人初代大統領マンデラは、演説の最後はいつも「God bless Africa!(アフリカに神の御加護を!)」で締めくくっていたが、これはアフリカのいろいろな国・地域でそれぞれの言葉で言われているが、冒頭の起業家氏は、そのものズバリの「God bless Africa」のスワヒリ語版をそのまま彼のメルアドにしていた。

なかなかやるじゃないですか。

これにあてられたか、ちょっと飲みすぎて昨日は二日酔いだった。


マウントケニア・サファリ・クラブ

ケニア山山頂から見て北西の裾野にNanyuki(ナニュキ)という町があり、そこからケニア山へ少し登ったところにMt.Kenya Safari Club(マウントケニア・サファリ・クラブ)という5星の宿泊施設がある。


静謐の中にたたずむ壮麗な施設は、なにもせずぼんやりと時間をすごすには最高の場所だ。

パー3が9ホールのミニゴルフ場も施設内にあるが、とにかに何もしないでウィスキーなんか飲んでいるのが一番だと思う。

と、ここまで書いてグーグル・アースを覗いてみたら懐かしい写真があった。


それで思い出した。

このNanyukiには2本の赤道が走っている。

もともとは赤道と思われる場所に看板が立てられていて、観光客が止まってそこで写真を撮るから自然発生的にお土産屋が出来てどんどん増えていった。既に店を持って商売をしている人たちは既得権を手放すことはなく、後からそこでの商売に参入を試みた人たちには割り込むことができなかった。それで、遅れてきた青年たちはもともとの赤道の看板のあった場所から200メートルほど離れて場所に、みんなでお金を出し合って立派な「EQUATOR」という看板を立てて商売を始めた。

政府が立てたオリジナルの看板はアフリカ大陸の図柄の真ん中を横に赤い帯が走り、そこにEquatorとかいてあったが、二番煎じはケニアの国土の黒い図柄の真ん中に赤い帯だった。

グーグル・アースにいろいろに写真が載っているが、二番煎じの看板が見当たらない。たぶん撤去されたのだろう。


Nanyukiから北へ25kmほど行くとTimauという小さな集落があり、そこからケニア山へ向かって3kmのラフ・ロードを登ると「Kentrout」という虹鱒の養殖場があり、お昼には鱒に香草をつけた塩焼きが食べられる。もったりとした田舎風野菜スープと自家製のパンも絶品だった。あそこまで行って、あの空気の中で食べれば、何を食っても絶品になるにきまっている。

だれか、皇太子殿下に教えてやればいいのに。