Hardnutのブログ -49ページ目

30年後のジンバブエ

たしか、今日4月20日はジンバブエの独立記念日ではなかっただろうか。

30年前の1980年4月20日が独立記念式典のあった日で、その時、ナイロビに到着して一週間ほど経過したばかりのアフリカ初心者には、英国国旗が静かに降ろされ新生ジンバブエの国旗が掲げられる式典が、なんともまぶしく見えた。


ムガベ政権になってもしばらくは、ジンバブエはアフリカのフード・バスケットと呼ばれ豊かな農業生産国であり続け、1988年だったかに初めて訪れたときには、同じアフリカの国でもなんと豊かな国なんだろうと感心した記憶がある。

その頃、80年代後半から90年代前半にかけて、ケニアでも園芸作物を欧州へ向けて毎日のように空輸できる体制が整いつつあったが、欧州の航空会社の便で南ア・ジンバブエを出発、または経由してナイロビに来る便の貨物スペースはすでにジンバブエにどの切花・生鮮野菜などでいっぱいで、ナイロビからカーゴ・スペースを予約するのはかなり大変なことだった。


そのジンバブエも劣化の一途を辿り、ついに2000年に白人農場主の土地を摂取する運動が始まり、その後、土地収用の法律が成立するにいたって全てがガタガタになってしまった。

それをケニアの輸出用園芸作物生産者はチャンスととらえ、ケニアの切花・野菜の輸出量が増加していった。


今回のアイスランドの火山噴火の影響で欧州西部のほとんどの空港が閉鎖されたことで、ケニアばかりではなく、アフリカ各国の園芸業者などは大打撃を受けているが、たぶん、もう輸出産業などは存続していないジンバブエには関係ない話かも知れない。




桜を追って

2年前、トルコ政府とトルコの業界団体が各国の同業者を招待して業界の国際会議を主催し、往復の航空賃は自前だけれど、国際会議開催地イスタンブールでのアゴ・足・マクラは面倒を見てくれるというので喜び勇んで参加した。

会議と言っても予定がギッシリという訳でもなく、三日の予定の最後の日は市内観光などを予定してくれて、トプカプ宮殿・アヤソフィア博物館・ブルーモスクなど目玉スポットを案内してもらった。さすがに日本人に人気の観光地だけに、訪れていた日本人の観光客の数はハンパではなかった。

その凄い数の日本人観光客を見て、一緒の行動をともにしていたインドからの参加者が「日本人は、どうしてオバサンばかりなのか」と聞いてきて、「おっ、スルドイところを突いてくるな」と感心した。海外で見かける日本人観光客は圧倒的に年配の女性が多く、かつてベトナムで観察していた人たちも、15人のツアーだと12人の年配の女性に、2-3人の男性がいてその12人のだれかのダンナさんという構成が多いのかと見ていたけれど、本当にオバサンは元気がよく積極的に外へ出ていくものだど感心していた。


それで、そのインド人の質問への回答として、「日本の著しい経済成長は周知のことと思うけれど、それを担った男性達は定年退職の歳になり、家でぼろぼろの擦り切れた身体をケアしているのだよ」と説明したら、「Oh, I see !」などと感心されてしまった。


土曜日の朝に所用で東北新幹線で北上した。ふつう、土曜の午前の新幹線はそんなに混まないのに、その時はオバサンで車内はいっぱいで、何事かと思っていら、旅行会社の添乗員が車内を行ったり来たりしていて、那須塩原、新白河などに着くたびにどやどやと降車してホームで旅行会社の旗を掲げる添乗員のところで点呼とっていた。

元気なオバサンたちは、東北のお花見ツアーの参加者たちで、みなさん、とても元気だった。


宇都宮を過ぎて、那須塩原あたりの雪原にポツリポツリと見られる桜はちょうど満開だった。


『日本は世界5位の農業大国』

「出版記念パーティ」などというものは、おそらく一生関わり合うことがないものだろうと思っていたら、ある縁で、『日本は世界5位の農業大国-大嘘だらけの食料自給率』 浅川芳裕著、講談社新書と云う本の出版記念パーティを覗く機会を得た。

へぇー、なるほどね。というのが感想かな。


それよりも、今日は、あるラオスのNPOプロジェクトに関わっている元大臣の夫人のとりとめのないインドシナの話が面白かった。


Have a nice weekend !