Hardnutのブログ -30ページ目

『援助じゃアフリカは発展しない』

かつて長くケニアに住んでいたことがあるので、政府系・民間を問わずいろいろな援助プロジェクト、援助に携わる人たちを多く、間近で見る機会が多々あり、なんと無駄なことやっているのだろうと思ったことが少なからずあった。

そんなこと、日本に住んでいる一般の人たちに云ったところでしょうがないので云ったことはないけれど、ザンビア生まれのダンビサ・モヨ(Dambisa Moyo)という女性が書いた『援助じゃアフリカは発展しない』と云う本でいかに援助がアフリカをスポイルしているかを痛烈に、そしてボコボコにやっつけている。原題は「Dead Aid(無駄な援助)」ということで、単行本の帯には「本書は劇薬である」という刺激的なコピーがついている。


著者は序文から、「援助はこれまでも、これから先も、多くの途上国にとって政治的・経済的・人道的な純然たる災害」といい、「(援助は)良薬のふりをした毒薬」とけちょんけちょんにやっつけている。

内容は、「ん?」と頸をかしげるようなクエスチョン・マークの付く箇所があると思うけれど、彼女の言っていることはよく分かる。


そしたら、本日の新聞に、世銀の総裁が、米国の基準・価値観で構造調整を後進国に押し付ける「ワシントン・コンセンサス」は時代にそぐわないものとしての終焉を宣言したと云う記事が載っていた。

まぁ、当然でしょうね。


海の向こうの話

アフリカ関連のWeb Site でニュースをチェックしていても、なんだか変わり映えしない話題ばかりの中、海運関連のニュースで目が止まった。

何ヵ月か前、日本郵船(NYK)がアフリカ航路への配船を増やすというニュースが日経新聞に載っていたけれど、Financial TimesのWeb版に、世界一の船会社マースク(Maersk)が、南米-アフリカ-アジアを結ぶ南半球航路のコンテナ船の配船を増やすという記事が目に付いた。

「 Maersk charts new path to growth. 」

http://www.ft.com/cms/s/0/02aadffc-c985-11df-b3d6-00144feab49a.html

もし見られなければ

http://www.ft.com/world/africa/ からもアクセス可能。


国際的な大手船会社は、大型コンテナ船を北回帰線あたりの緯度の上をぐるぐるとはしらせ主要港に寄港して航行を続け、中小規模港にはそれら主要港から「フィーダー船」という小ぶりのコンテナ船に積み替えて支線とする船荷を運ぶ。

アフリカ航路は、メイン航路の港のドバイで荷物の積み下ろしをして、そこからフィーダー船がドバイ-モンバサ-タンガ-ベイラ-ダーバンと云うように繋いでいた。 


ところが、リーマンショック以降、船荷の減ってしまった北半球の配船を減らし、船荷の増え続ける南米-アフリカ-アジアの船荷を効率よく回すために、南半球の、たとえばダーバン-香港ほ直接結ぶ航路に大型コンテナ船が配船されるようになった。

これまで、ダーバンから日本まで5週間以上かかっていたものが、ダーバン-香港-日本を結ぶと3週間以内で船荷が届くようになった。

それで、南アのグレープフルーツなどの生鮮果実が恩恵を受けることとなった。


デフレ・尖閣諸島問題・その他諸々で日本中がみんな俯き加減になって消沈しているときに、海の向こうはガンガンと活況を呈しているようだ。みんな、ちょっと目を上に、そして外に向ければいいのに、、。


自殺しないアフリカ人

2年ほど前だろうか、横須賀でタクシー運転手を襲った強盗殺人事件があり、米海兵隊所属のナイジェリア人が逮捕された。これで驚いたのは、米国はグリーンカード(米国永住権)をエサに貧困国の兵士を雇い上げイラク戦争に送り込んでいたという事実が露呈したこと。

もうひとつは、この犯人が逮捕後に動機として発したコメントが「悪霊がわたしの体内に入り込んで悪徳を犯した」と云う旨のことで、これを聞いて「あぁ、やっぱり西アフリカでもそう云うのか」と思った。


かつてケニアで、現地の人たちを相手にガチの丁々発止をやっていたころ、背任・背徳行為をした人を問い詰めて、どうにも言い逃れができなくなったときに、「Shetani aliniingia!」と言って最後の切り札を切る。スワヒリ語で、Shetani=悪魔、aliniingina=わたしの中に入って来た、と云う意味で、要するに私は悪くない、悪いのは私に乗り移った悪魔だと言って逃げ切る訳だ。

また、カソリックの南米人もそう云う云い逃げをするようで、何年かに広島の方で小学女児を殺害したペルー人だったかが、やはり同じようなことを云っていた。


何か非があっても自分の責任であることを認めることがなく、すべて他人にせいにできるような精神構造であれば、ストレスをため込むことはなく、日本人のように他人の責任まで抱え込んで自分を責めてどうしようもなく煮詰まってしまい自殺という選択をしてしまうことはないだろう。

精神風土・思考方法など、そこには大きな相違があるし、もうひとつ大切なポイントは、日本人には宗教がなんらかの逃げ道を準備してくれると云うことがないことも煮詰まってしまう理由かもしれない。


『アフリカから学ぶ』と云う本のなかに、かつて中央アフリカでHIV/エイズ予防にかかわり、現在はある大学の教授をしている人の記述があり、その最後で「日本は豊かなのになぜ自殺者が多いのか」「なぜアフリカ人は自殺する人が少ないか」という提起をしていて、また、この本の執筆代表の方が最後の「おわりに」で、「(アフリカでは)生きるとは何かという真の答えを見いだせる(P.425)」といい、自殺しないアフリカ人は「人間力」があるからだと云い放ってしまうのを見て、なんだか情けなくなってしまう。