明日からスロヴェニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴヴィナ
書きたいことはたくさんあるのだけれど、時間がなかったりということを理由にサボリまくっていたかと思うと、突然、『かつては「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、ひとつの国家」と言われた旧ユーゴスラビアへ、明日から旅行することにした』などと書いてみる。
1980年にチトーが亡くなった後、旧ユーゴがどのように崩れて行ったかを読んでいたら話がだんだん膨らんで、その時のソ連や東欧との絡み合いから、1989年6月の天安門事件、11月のベルリンの壁崩壊、90年2月マンデラ解放とその後のアフリカ民主化のうねり、スロヴェニア・クロアチアの独立宣言から紛争突入、さらにアフリカ各地での紛争と1992年の米国のソマリアでの敗北。介入したアフガン・クウェート・ソマリに対し、介入しなかったルワンダで1994年に大虐殺事件とその後のコンゴ内戦、ダルフール、、、と思いが広がっていった。
きのうの北日本は雪に見舞われたようだけれど、やはり10月末にドイツで雪に降られたことがあった。
欧州北部では紅葉の季節は数週間前に終わっていて、今はスロヴェニアやクロアチアあたりが紅葉が見ごろなんじゃないかとも思ったから、「そうだクロアチアへ行こう」。
10月20日 ケニヤッタ・デー
昨日、仕事のことでケニアへメールを送ったら、「今日は祝日だから明日あらためて返事をします」という返信があり、「あぁ、そうか今日はケニヤッタ・デーか」と思い出した。
10月20日は、かつて英国植民地時代、ケニヤッタが独立運動を指導したために逮捕されツルカナの方に幽閉されていたのから解放された日を記念して祝日としている。
先週、来年正月の箱根駅伝の出場校を決める予選会があったが、それに合わせてナイロビのS氏が現在一時帰国中で、今晩会食の予定。
「ケニア!彼らはなぜ速いのか」という本や、「アフリカから学ぶ」という本の中にも「ケニアのマラソン選手の強さ飲む秘密」というコラムがあり、どちらも同じような論調だけれど、どちらもなぜ彼らは速いのかという理由の核心はついていないようだ。
かつて足の速いケニア人といえば、西部のカレンジン族だったけれど、ここのところずっと中部のキクユ族が圧倒的に多くなっており、なぜキクユなのかという理由が分かるとなぜ彼らは速いのかということがストンと腑に落ちる。
そういえば、今年のノーベル文学賞はケニアのグギ・ワ・シオンゴと思っていたので残念だった。
グギは、植民者の言語での表現を拒否し続けキクユ語で書き続け「アフリカ人はこう考える」を発信続けている。
今晩はキクユの話でも聞こう。
明日からオーストラリア
書店でたまたま手にした『隣のアボリジニ』上橋菜穂子著(ちくま文庫)という本が面白かった。
「アボリジニ」と聞いて一般に想像するステレオタイプの、あの「異邦人の意図を察してアボリジニらしく振る舞う」アボリジニでなく、オーストラリアの都市部でふつうに暮らす人たちとして、でもちょっと豪州白人とは違い、もちろん日本人などとは違う異郷の人たちの話。
異郷に住む異文化の人たちのイメージを、よくメディアで紹介される様なありふれた上辺だけのステレオタイプで固めてしまうと、多様で幅広く奥行きの深い異文化をきちんと理解できなくなってしまうのではないでしょうかということを著者は提起する。
アボリジニに限らず、アフリカや南米、北極圏などの多様な人たちを、それぞれのステレオタイプで理解したつもりになっていることも思い知らされる。
明日から一週間の予定でオーストラリアへ出張の予定。
前回の豪州訪問は2006年だったので、4年ぶりということになり、今回の到着・出発はブリスベン空港ではなくゴールドコースト空港となった。ブリスベン空港を利用している既存の航空会社は、ケアンズやゴールドコースト空港をベースにする新興格安航空会社に押されて便数を減らしているということらしい。
到着してすぐレンタカーでブリスベンの北200kmほどのところへ駆け上がり、その後、南のニューサウスウェルズへ南下して2泊という予定。
北の方は、今がジャカランダの満開の時期で、今週はブリスベンあたりでも咲き始め、来週にはニューサウスウェルズでも咲くとの開花予想らしい。
ほぼ赤道直下のケニアでは、ジャカランダの開花時期はそれぞれの木によって9月から12月までてんでんバラバラだけれど、緯度が上がって南回帰線を越えれば桜前線ならぬジャカランダ前線が見られるという訳だ。