アフリカの渓流で鱒釣りをする話
ケニア山付近の位地関係を最初に。
ケニア山山頂を中心に円を描き、それを時計の文字盤に見立ててもらう。
Eastern Province(東部県)の県庁所在地となるEmbuは「5時」の位地。そしてCentral Province(中央県)の県庁があるのがNyeriで「8時」の方向。
Nyeriはケニア山と向き合うアバディア(Aberdare)山地の麓で、そのNyeriの後方のアバディア山地の中に「Fishing Lodge」という宿泊施設がある。
KWS(Kenya Wildlife Service www.kws.go.ke/ )というのは動物保護や国立公園の管理運営をするところだが、宿泊施設を運営しているのはあまり知られていない。山の中のFishing Lodge(www.kws.org/fishing.html )だから当然渓流釣りをする人たちのための施設である。
もう随分と昔の話だが、一度泊まったことがある。施設のなかにあったのはベッドとスポンジのマットレスだけで、食料だけでなく毛布・シーツにタオルまで持参した。飲んで盛り上がった翌朝、外に出してあった缶詰の上に貯まっていた水が凍っていた。
ケニアには「Trout Act(鱒保護法)」と云う法律もちゃんとあって、「フライ以外禁止」「7インチ・リリース(17.5cm以下の魚はリリースする)」ということがきめられている。釣りの鑑札は、かつてはNyeriからNyahururuへ向かって行く途中のMwega Air Strip(滑走路だけの簡易飛行場)にあるKWSの事務所で購入できた。
この前公開された「実写版・釣りキチ三平」の後半に出てくる「夜泣谷の怪物」の、まさにあのシーンのような滝つぼで鱒・ヤマメが釣れる、そんな滝がFising Lodgeの近くにいくつかある。
滝に行くためにクルマをおりるところには「Be aware of Lion!」と云う看板が立っていた。ライオンに注意。
鱒や岩魚が釣れるのはケニアだけではない。タンザニアのキリマンジャロもその東にあるLushotoにも、マラウィのMt.Mulanjeあたりでも釣れる。いずれも絶景! すばらしい景観だ。
Study to b equiet.
西暦1600年は、日本では天下分け目の関が原だが、英国では東インド会社の設立された年でそれから英国の世界進出が加速する。しかし、当時の英国国内は内乱・疫病など混乱が続いていたようだ。
釣聖といわれたIsaak Waltonが『The Complete Angler(釣魚大全)』の初版を出版したのは1653年とのこと。本は釣りの楽しみとともに歌や随想を織り交ぜた味わい深い名著だか、彼自身のことについては触れていない。結婚して6人の子供をもうけるもその子たちの何人かを病気でなくし妻も亡くなる。再婚して生まれた3人の子らの何人かと二度目ら奥さんも亡くなりと、20年で10人近い身内のお葬式を出したいうことだが、この本には外からの苦難、内なる苦悩は全く感じさせず淡々と釣りのことなどを綴っている。
何が書いてあるかということとともに「何が書いてないか」を考えさせられる。結びは「Study to be quiet.(穏やかなることを学べ)」という言葉である。聖書からの引用だという。
イングランドの北、スコットランドに近い田舎に「Isaak Walton Hotel」というのがあるそうだ。インターネットで検索すると米国にも同名のホテルがある。
ケニアには、ケニア山の麓のEmbuにIsaak Walton Innという植民地時代からの古いホテルがある。現在はEmbuの大地主Mugo一族が所有するが、かつては当然英国人が所有していたのだろう。
そして、ケニア山麓、アバディア山中の渓流には岩魚やヤマメに混じってニジマスも棲む。植民地時代、大量の氷を準備して水温を調整しながらスコットランドから運んできたという話を聞いたが、どう云う経緯でIsaak Walton InnがEmbuに出来て、なぜ虹鱒がケニアの高地の渓流にいるのか機会があったらもっと詳しく調べたい。
究極のモッタイナイ?
30年ほど前にケニア・ナイロビの北160kmのところにあるニエリ(Nyeri)という町で民間の製材業近代化事業にかかわったことがある。
ケニアの森林資源は、英国植民地時代に植林された国有林の伐採権を取得し、実際の伐採にあたり木材を切り出すには営林署が木材一本一本を計測して体積を算出、その総量の対価を支払った後で木材の搬出ができるという手続きで、営林署の計測は「Marking」と呼ばれ計測完了の木材にはハンマーで刻印が押される。
主な木材は、Cypress(辞書には糸杉とあるが日本のヒノキと同じ)、Pine(松)でいずれもケニアにとっては外来種で、日本では伐採までに60年程度かかるものがアフリカの高地では半分の30年で根元の直径60cm程度になって伐採可能となる。
英植民地政府の土地利用政策は、その土地土地の気候・雨量・土質その他諸々を考慮して植え付けるものは、概ね低地から高地へ向かってサイザル・コーヒー・紅茶・葉タバコ・木材用樹木を植えて行った。キリマンジャロ山麓もケニア山麓ほぼこのパターンである。
森林資源はもちろんこれらの人口の植林だけではなく、ケニア山麓には手付かずの原生林が残りそこには樹齢200年以上の原生のMeru Oak(メル樫)・Camphor(樟脳の取れる楠)などの銘木もあるがこれらは製材の対象外となっていた。
アフリカ人女性で最初のノーベル賞受賞者となったWangari Maathai氏はそのころ「Green Belt Movement」を開始して砂漠化防止の活動を開始していたが、30年前当時、製材事業も標的になりとてもいやな思いをしたことがある。
彼女はその後も活動を続け2002年以前のモイ大統領終盤の政府関係者などによるナイロビ郊外のKarura Forestの違法取得の糾弾、腐敗批判は評価をするものの、ノーベル賞受賞後日本のメディアにのせられて「日本人のモッタイナイ精神を世界へ広めよう」というような言動・行動、またはその他のスタンド・プレーとも受け取られる行為には違和感を覚える。
ワンガリの活動への評価をしつつも、あのノーベル賞は究極の「モッタイナイ」と思うのだか、、、。