本来の「経済」は、経世済民(世を経め民を済う=社会を通して国民を救う)であり「生きる為の経済」です。また、「科学」は、「間違いを対象にする学問」なので、「経済学=経済科学」となると、経済の間違いを対象に科学する事となり、「現に救われている人」は間違いの結果として救われたと言えます。なので、「経済科学」は受益者の変更を目的とした学問と言え、その代表が「資本論」です。その目的は、「資本家」から「労働者の先導者(労働者自身は含まれない)」への受益者移行ですω.ω
「完全な自由貿易(関税0%で非関税障壁も無し)」は、既に学問でも無く「科学」の範疇からは外れます。単に便益を得る為の経済(エコノミー:経世済民ではない)として最も有益な手法ですが、自由貿易を主張する国は既に国家ではなく、単なる国際経済主体(グローバリスト)の一員と言え、これを「グローバル(独裁)主義」と言います。
「科学」で最も成功した理論としては、上位互換を考慮すると、
ニュートン力学<特殊相対性理論<一般相対性理論<(超時空理論?)
の順に、常に「過去の理論を矛盾なく包含した新理論」が成立しています。
ここで、「経済科学」が有るとして、
・貨幣 :そのモノ自体に価値が有ると共通認識される通貨。日本の法律では「硬貨」のみで、時代・政治体制によっては金塊や玄米・絹なども含まれる。
・通貨 :そのモノ自体に価値が無いが、「信用が有ると共通認識される組織」が発行する証書など。紙幣やクーポン・ポイントなど。
・超通貨:そのモノや発行組織に価値が無くとも、「発行理論に価値が有る」と共通認識される価値。今のところはビットコイン(レガシー通貨を代替するデジタル価値)やトークン(目的を持ったデジタル価値)などで、将来は「量子通貨」になる(予定)。
物々交換<貨幣理論<通貨理論<(超通貨理論?)
は、決済手段の便益性では上位互換性を保持している事から「科学」と言えますが、これは「経済学」ではなく、単なる「モノの交換手段」を説明しているに過ぎません。つまり、価値が大きい順に並べると、
物>貨幣>通貨>超通貨
となり、実際の価値は理論と逆転(下位互換?)していて、経済を歪める事に成ります。
例えば、離れた場所にいる人に会うには「徒歩」「自動車」「列車」「飛行機」「スマホ画面」などがあり、これは「交通科学」ではなく、単なる手段・利便性の違いで、苦労して実際に会いに行った方が価値が有りますω.ω
「経済」が「科学」の対象には成り得ないのは、「資本主義経済(資本に支配される)」「共産主義経済(政府に支配される)」「自由主義経済(国家から統制されない)」など、互いに(上位)互換性は無く、更には互いに「排他的に間違い」であるとしているからです。
若しも「経済」が「科学」ならば、科学者は「資本主義は間違いではないか?」の問いから始まるため、共産主義者に粛清されて、科学することが出来なくなりますω.ω
「ニュートン力学」を絶対真(神)と信じている人は、既に信者であり、それは「科学の対象外」になります。同様に「財政均衡論」を絶対真と信じている人も、愚かな信者であり、それも「科学の対象外」です。
但し、「ノーベル経済学賞」受賞者のマイロン・ショールズとロバート・マートンの二人を、その金融理論を実践するために「LTCM(Long-Term Capital Management)」が役員として雇い入れましたが、ノーベル賞受賞後1年足らずでロシア経済危機(1998年)を読み違えて破綻しました。なので、「間違いである経済理論を実践してしまった」ことから、「ノーベル経済賞は科学的」と言えなくも有りませんω.ω
「科学は間違いを対象にする」ので、宗教学や政治学などを科学として扱うのは妥当ですが、「経済学」を科学として扱うのは間違いであり危険思想と言えます。「経世済民」に理論がある筈もなく、必要なのは「人の心」です。唯物論で成立する「共産主義」や「グローバル主義」にはカネメは有っても「経世済民」はありません。但し、「共産主義=科学的社会主義」なので、社会主義の間違った部分を研究するという意味では正しいと言えなくも有りませんω.ω
現在「経済学」として発表されている理論は、結果が間違いでも許される「政治学」の範疇です。あくまでも「科学」が扱うのは、「間違い」が対象物であり、その結果が正しさを保証する訳ではありません。
誰かが「科学に従え!」と言った場合、その「誰かの言う事を疑え」と同義語となりますω.ω
