自らの暗黒史を忘れて「日本人が黒人差別の元凶だ!」と言う米国民主党系の白人が、日本で要職に就いてデカい顔しているようです。

 「人権派」による差別意識の異常性によって、「ダッコちゃん」や「カルピスの黒人キャラ(マーク)」が黒人差別として叩かれました。

 「白人の人権意識は高い」と思ったかどうかは分りませんが、日本で「黒人差別をなくす会(当初は家族3人)」が発足し、その代表(当時12歳)が「黒人マークは”典型的差別”である」と抗議文を提出したことで「黒人マーク」の使用中止(1990年)が決まったようです。

 

 

 


 これは、白人による「黒人差別(当時のアメリカは、黒人はヒトの範疇にはなかったので”人種差別”と言えるかどうかは微妙)」を反省し「顔の黒塗り」などが否定され、「白人の人権意識が高まった」からだと言われています。

 黒人ではない人が「顔の黒塗り」をした場合に人種差別と言うのなら、黒人ではないオバマ大統領を「黒人初の米国大統領」と吹聴したり、同じくカマラハリスを「初の黒人副大統領」と言うのも人種差別と言えます。

 

 


 白人やそのシンパ(この場合は、白人以外の白人優越主義者)にとっては、「人種平等・民族自決の理念を世界で最初に訴えた日本」を貶めるには都合が良いのかも知れませんが、何故か主張が一貫しません。

 「黒人のデフォルメ」や「顔の黒塗り」が黒人差別なら、白人以外が顔を白くするのは「白人差別」ですし、褐色に日焼けするのも「有色人差別」です。当然、漫画などで女性や男性をデフォルメすることも、更に言うと、「男性の女装」や「女性の男装」は確実に「異性差別」になる筈です。

 批判される側に「差別意識」が無くても、「それは差別だ!」と思う人がいると差別になるのは、寧ろ批判する側に差別意識が根付いているからだと思います。

 ヒトの性別や肌の色などは「遺伝子情報」で基本的な外見が(確率的に)決定されるので、差別には意味が無いのは明らかです。但し、ヒトは「ホモサピエンス・サピエンス」の単一種で有るとは言っても、遺伝子情報の違いで体質が違うので、医学的な区別は必要です。

 「自分の思い」によって、薬物を利用したり手術などで、自分の遺伝子情報と違う外見に見せかけるのは、それは「意にそぐわない自分」を否定することになるので、それ自体が「差別」と言えるような気もしますーー当人は元の自分を差別しているーー。

 最近では、本来の外見ではなく「自分が認識する性別」が正しいとする思想が流行りだし、外見を変えることなく性別を変更し、女子トイレや女湯にオスの形状で悪びれることなく侵入する人もいるようです。ーー司法もこれを容認する傾向にあるーー。

 「女子トイレを利用するおじさん」は当然として「男子トイレを利用するおばさん」も、私には犯罪に見えるのですが、若しかすると性別や肌の色の違いを差別しない「シン・博愛主義者」なのかもしれないので、これ以上何も申しますまいww