だんな 「お前まるで カルト教団にはまったみたいな。そんなにhideがいいか?ならもう出てけよ」


息子その2 「お母さんまるで浮気してるのと同じだよね。心がお父さんにないんだからさ。四六時中hideなんだからさ」



いやあ、ディスコのチークタイムでお世話になりましたねえ、この曲には。
ネペンタ、フーフー、ギゼあたり・・。
誰と踊ったのかなんてさっぱり思い出せませんが・・。


だ~~い好きな曲♪

一度でいいから私と踊ってくれませんか

私をパートナーに選んでくれませんか

亡くなる直前の4月からhideちゃんはオールナイトニッポン2部のDJを始めました。

「ほんとはやりたくないけど、曲掛けてもらえるし、これからは一人なんでプロモーションとかも自分でやらないといけないし。もうYOSHIKIいないから。でも一人でしゃべり続ける意味がなんかよくわからない」

なんてことを言っていました。


当時LAに居たhideちゃんは4日間かけて4週分の収録を一気に行ったんですね。スタッフがLAに行って。

その全収録分が文章になって収められている本です。

実際は4月初めのしゃべりですが、最後の放送は亡くなる数時間前5月1日午前5時に終了しています。なんか、ねえ・・。


フジテレビの「ロケットパンチ」とリンクしていて、そちらはほんとに5月1日に収録。放送は死後でした。

そっちももう私は見れないんですけど、悲しくて。こちらも突っ込んだ話が多くてやっぱり泣けましたです、はい。


インディーズからX加入、今していること、これからして行きたいこと、考えていること、日常の出来事・・一生懸命伝えようとしている姿にきっと嘘はなかったんだろうけれど・・・。

重箱の隅つつくように読めば「やや!!これは」というような事を言ってなくもないんだけど、大筋はやる気にみちているように感じられるんだけどなあ。

ただこの人実はとっても気が弱くて小さい人なんじゃいかという気はしました。酒さえ飲まなければ。

YOSHIKIも「わたしはあきらめない」でそんなこと言ってたなあ。うん、あなたはあきらめないよねえ。


2ndアルバムを出したあたりから増えだしたという泥酔しては「死んでやる」「殺してくれ」という言動。酔いが醒めればけろっと忘れていたらしいけれども。

きっと誰もが持っているであろうストレスとかプレッシャーとか苛立ち腹立ち不安なんてものがあの日あの時あの瞬間一気に噴き出して地雷ふんじゃったんだろうなあ。


でもでも死んじゃいかんです。死ぬ死ぬ言ったって、今にも死にそうだってもっと破滅的な人だって結局なんだかんだ生きてんじゃん。


ファン仲間の子から「夜中に一人でDVD見てたら泣けてきた。こんなに素晴らしいのに、なんで・・」とメールが来ました。

hideファンが一生背負っていかなきゃならない宿命だね~なんて話をお互いしたんだけれども。


「Xファンを路頭に迷わせないように今年はやるよ」と言っていたはずなのに10年以上も迷わせてるじゃない。

いつかあの世に行って会えたら説教してやろう。


清志郎ファンの友達が「告別式何時間も並んで行ってきたよ、泣けた~。」と報告をくれたんだけれども、彼女はなにか晴々として見える。と私には感じられる。

最後の最後まで生きる姿勢を見せつけファンにきちんとメッセージを送り続けていた清志郎さん。あなたはかっこよかったよ。


同じ「死」でもその最後の形でこんなにも違うものなのかとつくづく考えさせられました。


hideちゃんはこれから一部のファンの心には生き続けるにしても世間的には時間の流れの片隅にもっともっとおいやられていくんだろうな。仕方ないよね。自分でそうしちゃったんだから。


「スターバックスコーヒーっていうの?あれ今すごいあちこちに出来てて・・。日本にもできたらしいですね」


「スターバックスコーヒー」なんて今誰も言わないよ。スタバだよ、ス・タ・バ!

そうかそんな時代だったんだよね。もう昔の出来事なんだよね。


Xがメジャーデビューしてブレイク、解散、hideの死という89年から98年というのは、私がそろそろ結婚しなきゃといって見合いしまくって、結婚、くそまじめなクラシック好きの夫との慣れない新婚生活、妊娠出産育児またまた妊娠出産育児・・という時期と見事に重なっている。

やっと二人とも幼稚園に入って少し自分の時間ができた、バンザイ!!と挙げた両手が降り切らない時にhideちゃんは亡くなっているのだ。


Xに限らず私の「音楽空白時代」 確か90年代って小室サウンドとかドリカムとかミスチルとかGLAYなんかが超人気だった頃だよね。

それすら私はほとんど聞いてない。


子供たちがいないスキにママ友たちと昼オケなんかよく行ってたけど、みんな似たり寄ったりで

「最近の曲って全然知らない」

って言って、結局ユーミンとかキャンディースなんか歌ってたよなあ・・。

せいぜいSPEEDとか歌うのが精いっぱいで。

あ、SMAP出てきたのもこの頃だ。


そんなにヴィジュアル系って人気だったかしら?やっぱり一部のモノだったような気がするんだけどなあ。

後は別にそうでもないけど、とりあえず押さえとくか程度の方々が多かったような気がする。

もっとも「おかあさんといっしょ」くらいしか音楽番組見てなかったから(爆)。

XってYOSHIKIとTOSHIとその他2~3人という程度しか知らなかった。

hideちゃんが死んで、初めてYOSHIKIとTOSHIとHIDEとその他2~3人になったぐらい。


まあそんなこんなで、hideちゃんを追究するあまり、そのころのヴィジュアル系っつうものの復習もしたりしてる日々なのだが、この本はビジュアル系がお得意だった音楽評論家市川哲史氏の色んなヴィジュアル系アーティストたちとの対談本。

2005年と2006年に発行されたもので、だいぶ現代に近づいてきた。


ど真ん中にいた方々のお話なので、世間一般の認識とは多少のズレはあるかも。でも面白かった。

hideちゃnがらみのお話にやっぱり目はいってしまうのだけれども、特に目を引いたのが小室哲哉との巻。


もしかしたら一般常識なのかもしれないけど、私は知らなかった。二人が一時コラボしていたことを。

そしてその時小室哲哉はこんな感想をYOSHIKIに対して持っているのだ。


「彼はインディーズにいましたよね。要はアーティスト自身が原盤を持つっていう発想を、ちゃんと最初から持っていたわけですよね。

しかも自分たちのだけではなく、Xに従うアーティスト達の原盤も全部持っていたわけでしょ?凄えな~って思いましたね。」

「YOSHIKIから著作権ビジネスの存在を知らされた、と?」

「ですよね。作詞に作曲に原盤、あと出版も持ってたでしょ?権利という権利は全部YOSHIKIが持っていたので、極端に言えば10万枚売れると100万枚分売り上げられるくらいの?

まずはそれくらいのところから、もしかして今の仕組みおかしいかな、と」


彼が著作権詐欺に手を染めてしまった陰にはYOSHIKIアリだったのか!!!!


いや、YOSHIKIが悪いわけではないんだろうけどね。片棒担ぐとかそんなつもり全くないわけだし。


しかし本当にすごい人だ、YOSHIKIって・・・。


TAIJIをホームレスにし、TOSHIを新興宗教に走らせ、HIDEを早死にさせて・・尚且つ小室まで・・。


何度も言うけど、本人にそんなつもりは全くないんだろうけど。別に彼のせいじゃないって言えばそうなんだけど。

まさに嵐を呼ぶドラマーなのね。


そんなYOSHIKIは朝のTVで本が売れてて「とっても幸せでぇす」って微笑んでた。昨日。