浮間~赤塚を歩く! | ちゃちょのブログ

ちゃちょのブログ

実践している健康のことや近況

東北以北を除いて、全国的に熱帯夜・猛暑日の連続が6月下旬に

続いてヤマを迎えています。太平洋高気圧と西から蒸した空気が

入るからだね。

でも、あすは関東も久しぶりに雨っていうから、炎天下、

行ってまいりました。やはり猛暑日でした。朝、出ちゃうと

後は、徐々に体が慣れていくから、大丈夫でした!

前回、7月29日の「三ノ輪~王子を歩く!」では

北区の王子で終わったから、今回は、もっと荒川沿いの北区

からスタートし、電車を4路線またいで北から南へ。

 

埼京線の浮間舟渡(うきまふなど)という埼玉県と荒川を

はさんだ東京の北のはずれの工業地帯から、住宅街へ

攻めていきます。充実した公園や施設がいっぱいあったよ。

 

位置的には、北区は、こんなところだね。

 

浮間舟渡(うきまふなど)は、北区の中でも、「浮間」

という荒川と、新河岸川(6月5日の「小江戸・川越を歩く!」で登場)

の間です。すぐ隣の板橋区へ歩きます。

 

東京23区のうち、青い「城北エリア」に、北区も板橋区もちゃちょの練馬区も

入ります。どれも豊島区の池袋ターミナルから放射線状に電車が出ていて一塊な地域。

 

浮間舟渡へは、池袋からJR埼京線で5つ目12分です。

 

電車は、こんな風に池袋から出ています。一番上の白黒線のJR埼京線、

下側の南へ順に、都営三田線、東武東上線、メトロ副都心・有楽町線、

それに地図に出てないけど、この下に西武池袋線です。

 

これは、コース図だけど長いから北が右側になってるけど、

赤い線が歩いたコース。ただ今回は、コース図のように、

練馬区の北の光が丘まで歩けず、手前のメトロ副都心線・有楽町線まで。

 

それでも、あちこちの施設で説明聞いたり、目標が住宅地の

奥にあってなかなか見つからなかったから、2万9千歩弱行ったよ!

ちゃちょが、この地域をこうして歩いたのは、初めてです。発見もいっぱい。

 

交通の便が悪い路線の間の住宅地だから、開発が遅れ、自然が残った

とも言えます。コロナ禍を考えると、地元の人にとってはラッキーな

文化財が身近に豊富なのが、北区と板橋区でした。

 

但し、上に書いたように観光地として、北区・板橋区が自覚してなく、

案内図が不足していました。しかも住宅地や工場に埋もれているから、

探して歩くのに骨が折れました。スマホのグーグルマップもフル稼働。

 

台東区「浅草を歩く!」4月23日とか、世田谷区「三軒茶屋・豪徳寺を歩く!」

7月22日などは、観光区として自覚してるから、迷いそうなところに必ず案内図が

ありました。文京区「小石川を歩く!」5月15日、文京区・台東区「谷中・根津・千駄木

を歩く!」3月12日も、案内図が必ずT字路や二又にあったね。

 

さて、今回は、コロナが第7波を迎えているから、

通常医療に移行中とはいえ、乗車時間21分です。

まず9:29石神井公園発急行で途中止まらず池袋9:38着。

 

相互乗り入れ用の途中駅ではなく、池袋直進は、一旦、

地下通路を5分ほど歩いて、JR改札を入ります。

埼京線9:44発に乗ります。

 

池袋から浮間舟渡(うきまふなど)まで、12分。

石神井公園~池袋9分で計21分。しかも濃厚接触者と

ならない15分以内の2本。今回はやったね。北部エリア勝負。

 

浮間舟渡駅は、北へ行く新幹線と並行しているから駅も立派。

 

目の前に4haの都立浮間公園があります。

これを下の浮間駅出口から、上側の北の荒川沿いまで500m越えていきます。

 

かつては、荒川が流れていましたが、河川改修で1967年に

池を造成しました。荒川に生えていたアシやマコモがを保護し、

水浄化しています。ヘラブナやコイの無料釣り人多し。よく釣れてた。

 

都立公園らしく花壇もあったけど、小さすぎる。

これは、ケイトウみたいな長い花とデージーかな?

 

なつかしいね。黄色いカンナが咲いてる。東京のちゃちょの

庭にも親が植えてたけど、アフリカ原産で、寒さに弱く、本来は、

冬場に根茎を掘り出さなくちゃいけないので、消えちゃった。

 

公園は、地図で見るほど大きくはなく、500mで反対側に。

一度間違えて、1周しちゃった。浮間駅に見えるアイ・タワーは、

2002年完成、107m30階建て。板橋区で最高層マンション。

 

荒川の土手を登ります。もっと下流の「寅さんの柴又を歩く!」

6月17日で、隅田川の土手を登ったのを思い出すね。

 

荒川の土手を歩きます。

 

進行方向の西側の上流は、川の水が見えず、ゴルフ場に

なってるね。遠くに工場群。

 

さっき降りた埼京線と、緑の東北・上越新幹線へ、また

向かっていきます。

 

その線路下をくぐります。

 

荒川と、川越から並走して流れる新河岸川沿いに、

小さな舟渡水辺公園があります。

 

本当に、工場に挟まれた小さなスポット。

岸上に木漏れ日のベンチもあって、文庫を読んでる人がいました。

 

両脇が工場地帯の新河岸川沿いを、10分ほど上流へ向かいます。

金属加工場は、空気がなんとなく、シンナー臭い感じ。

明治のお菓子の工場もありました。出荷倉庫も多いです。

 

北区から、板橋区に入りました。

 

まず近くのごみ焼却場の排熱を使った温水プールと、

この板橋区立熱帯環境植物館があります。入場260円、子供半額。

 

ここは、区立としては最大で、1階が温室、2階が蒸気放出の冷室と

マレーハウス、しかも入口にミニ水族館があります。

水族館は、6月30日「サンシャイン水族館に行く!」のミニ版として

十分通用するし、温室は、3月24日「神代植物公園」に遜色ありません。

 

この近所にたまたま住んでいる人は超ラッキー。小学校や中学校も多いです。

150種2500匹の魚や生物が展示されています。

土日祝は、カフェオープンで、熱帯アジア料理も食べられるんだって。

 

オスは成熟すると、頭部にコブができるキフォティラピア

フロントーサかな。メスの口の中で4週間稚魚を守ります。

区立なのか、細かな字で下に名前が並んでいてメモ取れなかった。

 

きれいな熱帯魚が、もっとたくさん、いました。

 

本来、メインの熱帯植物コーナーも、もちろん、あります。

 

カラジウムかな?ディフェンバッキアかな?

全部には、名札がないのが、玉にキズ。

 

沖縄のオオタニワタリだね。若い芽はゆでると、タケノコ

みたいな食感です。沖縄では採り過ぎて絶滅危惧種直前。

首里城崖下の瓢箪池の方には、たくさん、植えてあったな。

 

マンゴーの青い実だね。葉が四方に出てる付け根に

実が見えます。沖縄では、青いまま、もいで、本州の漬物

みたいに醤油に漬けます。若いので、こりこりしてます。

 

食虫植物コーナー。ハエトリグサの小さな鉢は700円で

販売コーナーで、売っていました。親が子に買っていました。

 

熱帯昆虫コーナー。マレーコーナーだったかな。

木に付いているのは、全部、標本です。

 

きれいな翅のの蝶ですね。さすが熱帯。

但し、これも一切、説明なし。標本ケースのみ。

 

熱帯トンボ系統。他にもずいぶん、たくさん、ケースが

あったけど、全部、説明がついてなかったのが、惜しかった。

 

ここで、都営三田線を越えます。本来、地下鉄なんだけど

ここの終点近くは、高架です。

 

高島平団地の人を都心へ運ぶため、1968年に巣鴨との間で開業し、

都心を通り三田・目黒から東急線と乗り入れした2005年から黒字化。

 

その高島平団地です。1972年から入居が始まり、当時は

それまで5階建てだった団地が11~14階建てになり、東洋一と

言われていました。全域が新興団地で、高層群が林立、1万戸。

 

「志村」という、どの路線からも遠い、誰も見向きもしない、

荒川との間の空き地だったので、一気に建てられたんだね。

印象は、鉄腕アトムの未来都市みたいだったらしいよ。

 

老朽化や空き室が懸念されましたが、2013年、無印良品と

UR賃貸住宅が共同でリノベーションし、若い人にも

注目されてきています。

 

中央商店街には、大手スーパーも入り、入口付近は

駐車禁止なのに、まったく構わず、ぎっしり駐輪してる。

板橋区も撤去してない。ちょっと入居者層を疑うかな。

 

団地を南へ抜け、普通の住宅街や生産緑地の緑の多い

地域へ向かいます。

 

1967年から1993年にかけて開通し、千代田区から、

文京区護国寺を通り、新宿区、豊島区池袋、板橋区と続く、

首都高速池袋線に、ぶつかります。渋滞で有名。

 

手前に、ホワイト餃子という関東中心のチェーン店が

あります。名古屋、大阪、広島、佐賀、鹿児島に数軒。

 

お昼だけど、3グループが食べてるだけ。注文を受けてから

焼くのに20分待ちます、と言われました。

 

名物は、俵形の焼き餃子8個480円。ウクライナ侵攻前は

10個480円でした。

 

時間がないので、冷凍餃子を2人前16個650円で。500g。

なんか、小さくなった気もするんだけどなあ。

家に帰って水餃子で食べたら、モチモチ食感でした。

 

首都高速をくぐって南下して、スマホのグーグルマップを

駆使して、住宅地の真ん中に、旧粕谷家住宅、発見!

 

徳丸村の名主の隠居所で、1728年、8代徳川吉宗の時代に

建てられたことが、一番最初に建てる東南方向の一の柱から

享保8年2月23日の日付けが、墨で書かれたものが出ました。

 

もちろん、補修していますが、大黒柱や梁は、炉の煙で

いぶされ、腐食しにくく、虫も寄り付きません。

300年かけて、いぶしてきた結果、残ったと言えます。

 

ちょっと崖(武蔵野台地の端)を下りると、赤塚公園が

ありました。

 

街路樹が並んでいるだけかと思ったら、奥に噴水があり、

子供たちがプールにしていました。いいなあ。

 

首都高速沿いに10分ほど、さらに西へ行くと、赤塚溜池公園

へ出ます。かつて農業用水を貯めていた7800㎡の園内です。

白梅が200本植えられ、小さく見えますが、釣り人多し。

 

北区や板橋区の老人は、釣り好きだね。ザリガニも釣ってる。

 

1つ上の写真の写ってない右側に目立たない農家があり、

何度も通り過ぎて、うろうろしましたが、ここが、

板橋区郷土資料館の入口でした。札ぐらい出してほしいな。

 

中に本館があります。

 

先週の「三ノ輪~王子を行く」で、北区飛鳥山博物館で

昔、海沿いだったため、大量の貝塚や縄文土器が出ていました。

 

そこから内陸に入った、ここ赤塚も荒川沿いで武蔵野台地の

崖線の低地側なので、縄文土器も出土しています。

 

縄文土器。それ以降の各時代の埋蔵物も出ています。

 

ここ徳丸ヶ原は、幕末、長崎の町年寄り(最高役職)の高島秋帆

という砲術家が、幕命により、1841年、西洋式砲術調練を披露し、

幕末から維新の軍制改革のきっかけを作ったところです。

 

徳丸ヶ原は、一面の田んぼでしたが、高島秋帆の名を取って

名誉ある「高島平団地」へと、変貌した訳です。

 

西洋式砲術訓練時の砲台です。館の入口にありました。

 

赤塚溜池公園奥の裏山を登ります。ここが、赤塚城址の山です。

 

てっぺんに、芝が張られ、入れるようになっており、

本丸跡の石碑がありました。

練馬区の石神井城址は、柵があって入れません。

 

1456年、武蔵千葉氏が、太田道灌や小田原北条氏に従い、

大宮市や足立区にまで勢力を伸ばし、1590年、豊臣秀吉に

小田原北条氏が滅ぼされ、ここも廃城となるまで、勢力をふるいました。

 

ここから、大仏通りという坂を上っていくと、道沿いに

不動の滝公園があります。江戸時代の中頃、富士山や

大山参りの際に、身を清めるみそぎ場として使われていました。

 

周辺の宅地化、道のアスファルト化で、水量は減り、

写真のように、中央の崖から、ちょろちょろ下の桶へ湧水が

流れるだけです。足元しか見えませんが、不動尊の石碑があります。

 

また、坂の途中に1400年前後創建の乗蓮寺があり、1977年建立の

坐像青銅製としては、奈良、東京都日の出町、鎌倉(ブログ7月8日)

に次ぐ4番目に大きい12.5mの、東京大仏があります。歴史建造物ではなし。

 

坂を上っていき、表札に従い、今度は道の反対側を少し入ると

板橋区立赤塚植物園があります。

区立としては、最大規模の植物園です。しかも、無料です。

 

1.2haに600種の植物があります。しっかりした解説パンフです。

こうした目立たない交通の便が悪い所だからこそ、残ったと言えます。

2月23日の国立自然教育園、3月23日の神代植物公園に内容は劣りません。

 

パンフには、びっしり、回り中に植物の解説が書いてあります。

 

香りの道、武蔵野の木、ツバキの園、果樹園、針葉樹の森、

四季の道・秋冬、郷土の木、ツツジの山、つづら折りの道、ケヤキ広場、

四季の道・春夏、日本庭園、牡丹園、野草の道、バラ園と一回りできます。

 

春の下草コーナーです。こういう細かな配慮があります。

雑草一つ生えておらず、手間がよく行き届いています。

表札があるのは、全部、ちゃんと元気に生えています。

 

暑いので、つづら折りの道のあちこちで散水してました。

1.2haと手ごろな広さなので、こまめに手入れができます。

 

植物園のパンフをよく見たら、ごちゃごちゃ並んでいた

ここら辺の文化財の位置や距離感、下赤塚の駅までの

ルートも書いてありました。超・親切版です。

 

坂を上り切った所に、1492年中興の松月院があります。

江戸時代には将軍家から寺領40石を与えられました。

高島秋帆の徳丸ヶ原・様式砲術調練の陣屋にも使われました。

 

この本堂周りの植木が見事です。

 

般若心経の神髄が、ガラス戸の掲示板に掲げられていました。

 

下赤塚の商店街へ出ました。

 

当初は、40分くらい歩いて、東武東上線の下赤塚と

成増間を抜け、練馬区の北辺、光が丘公園まで歩き、

都営大江戸線2駅で練馬まで出ようと思っていました。

 

ですが、途中、旧粕谷家住宅にいた80歳の、シルバーボランティア

の方が、「説明しようとすると、いいです、と帰る人が多い」

「私はどの角度からも説明できる」と意気軒高で若々しかったので、

小1時間付き合ってあげたのが、時間的に響いてしまい、もう3時半。

 

光が丘方面は、見るべきものもない、単なる米軍住宅の返還跡地を

公園にして、団地や学校、病院、商店街を建てただけで、ちゃちょの

自宅からも自転車で15分ほどで行けるので、今回は状況判断で省略。

 

まずは、東武東上線の下赤塚駅を通過します。

 

すると、すぐ10m隣に、メトロ副都心線・有楽町線の

赤塚駅入口です。メトロが東武東上線に乗り入れるのは

ずっと先の和光市というところで、それまで、ほぼ並走です。

 

東武東上線だと池袋まで一度出ないといけませんが、

メトロだと3駅で小竹向原という駅で西武池袋線の練馬へも

乗り入れる副都心線・有楽町線へ乗り換えできます。

 

メトロ副都心線・有楽町線赤塚駅15:40発に帰路乗車。

 

池袋方面行きであり、郊外へ帰る人と逆方向で、かつ、

ラッシュ前の15:40ですが、混み具合はこれぐらい。

コロナだからいつも気をつけてます。都会の常識、全員スマホ見。

 

3駅先の小竹向原で、西武池袋線へ乗り入れるメトロ副都心線・

有楽町線に乗り換え折り返し。15:54になんと石神井公園行きが!

 

石神井公園16:06着。ここは、ちゃちょの家に帰る途中の

唯一、駅の南側で残っている生産緑地(畑)です。

ここを通るときは、空気が美味しい。空が広い。でも、もう曇ってきました。

東京は、明日、雨です。今日、炎天下だったけど、行ってきて良かった!

 

前は、この周りも、写真に写ってない坂の下の丘も全部、農地で

電柱などなく、正月の凧揚げの絶好の場所でした。

さらに言えば、その先の団地も全部、田んぼだったのです。

 

文鳥さんは、日光をもろに浴びる居間から、エアコンの

あるちゃちょの自室の机に巣箱を移しておいてあげたので、ご機嫌でした。

滅多にやらないのに、手の平へスポッと入ってきて、上目遣いで遊んでくれました。

 

コロナより熱中症が心配な陽気だけど、朝のうちから出れば体が慣れます。

もちろん、十分な水分補給、睡眠も取ってるけどね。

去年の健康シリーズもリブログを、これからは、週半ばに入れていくね。

皆、元気でね。じゃ、またね。

すぐ、ブログ更新が受け取れるように、「フォロー」してね!