小江戸・川越を歩く! | ちゃちょのブログ

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6月4日(土)は、4連続夏日25.8℃でした。さあ、東京から歩くぞ!

日月火と雨だからね(梅雨の予感)。貴重な青空に、飛び出すぞっ!

今回は、東京都西部からちょっと北上して、川越(かわごえ)の江戸文化の残る見どころを1周します。

 

ちょうど川越をぐるりと囲む新河岸川(しんがしがわ=荒川の支流・水色のところ)内部になります。

 

川越は、アニメでも、「恋する小惑星」の舞台です。

AT-Xで、2月20日より一挙放送が2月20日決まりました。

https://www.at-x.com/ ブルーレイ・DVD・コミックも出てるよ。

 

 

川越七福神や、スイーツも狙います。

七福神は、①毘沙門天(妙善寺)②寿老人(天然寺)③大黒天(喜多院)④恵比寿天(成田山)⑤福禄寿神(蓮馨寺)⑥布袋尊(見立寺)⑦弁財天(妙昌寺)

スイーツは、喜多院参道の亀屋と、かねつき通り(幸町15番地)の菓匠右門と、小江戸おさつ庵を中心。

 

使う駅は、ちゃちょが住んでいる西武線を使って、所沢乗り換え45分の本川越駅です。

 

小江戸「川越(かわごえ)」は、埼玉県南部にあります。都心から30㎞圏内です。

今年、市制100周年。

 

池袋から、東武東上線で快速で31分、西武線所沢経由で45分、JR埼京線+川越線の急行で51分です。

(紺色が東武東上線、だいだい色を所沢乗り換えで青空色が西武線、深緑色が大宮経由でJRです)

江戸時代、松平信綱や柳沢吉保など大老や老中など幕政を担う重臣が藩主を務めました。

 

荒川の支流の新河岸川の舟運や川越街道を整備し、

「江戸の台所」として、物資が輸送されて、

江戸の文化・学問・芸能などが川越に流通、集積するようになりました。

 

蓄財が集積し、蔵が並ぶ街作りが、今もなお、残っています。

 

川越城は、全国に4つしか残らない城郭御殿です。博物館・美術館が二の丸跡地です。

1846年の本丸の1/8大広間と玄関だけは、役所、工場、中学校と転用され、現存しています。

現在も大きな蔵造りが並び、川越でサツマイモを使ったスイーツが名物になっているのも、

18世紀末に蒸かしサツマイモが流行した際、川越産が舟運で江戸に運ばれたからです。

「栗よりうまい十三里」は、江戸・川越間が13里あるとして「九里+四里=十三里」。

 

というわけで今回は、欲張ったので、軽く2万7千歩を歩きました!

 

さて、朝、西武池袋線・石神井公園駅プラットフォームで

8:02の特急ラビューの通過を見送ります。

 

8:05の休日朝1本の元町・中華街発の石神井公園にも

留まる特急S-TRAINも見送り、次の8:11の急行で出発!

 

「おっ、なんだ」と思ったら、ちゃちょの端の座席にある

入口背もたれに女子生徒が、リュックの背中をドーン!

ついでに赤いお守りも、ちゃちょの目の前に来たのでした。

 

所沢駅8:24着。西武新宿線に乗り換えて8:28発。

急行と言っても、新宿線は、かなり手前の田無で各駅に。

所沢から各駅7駅停車です。

 

途中通る、狭山市の茶畑。でも奥はぎっしり宅地化。

「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」

と言われるように、寒い狭山は、味がいいです。

大抵のお茶は、静岡と狭山のブレンドです。

 

本川越8:51着。

 

本川越からが普通の観光コースですが、今回は欲張って

川越七福神コースとの、ちゃちょ風の合作。

で、JR川越駅を脇に、ぐんぐん歩きます。

 

川越七福神 第一番 妙善寺着9:20。毘沙門天です。

川越さつまいも地蔵尊があり、食べてガンを防ごうというものです。

ブザーを押して5分後、別の場所から、まだ眠そうに住職が。

 

「コロナで御朱印も絵馬も、事前作成の色紙と一体物だけ」とのこと。

「最後の寺で買えば」と欲なし住職に「目の前にあるこれを」とゲット!

他は、不在、多忙、工事中、コロナ理由の拒否と、大正解なのでした。

 

絵馬の貼り付け縁起物は、川越七福神の順ではないです。

右上から、毘沙門天、布袋尊、寿老人、右下から、

福禄寿神、弁財天、大黒天、えびす天だと思います。

 

東へ15分、第二番 天然寺着9:45。寿老人です。

強い願いを叶えるための願掛け観音があります。

 

満開になった紫陽花を浮かべた、お手水鉢が、きれい!

 

境内も、コンクリートの建物なんかじゃなくて、ゴミ1つなし。

但し、試しにベル押しても、誰も、出てきませんでした。

 

正門前の「一隅を照らそう」の石碑もいいね。

 

普通の観光コースに合流すべく、北上。女子中学生を

黙って追い抜き「こんにちは」と言われていたのに、気づく。

何を見ても、けらけら笑う、楽しくてしかたない世代なんだね。

 

「会った人には、挨拶しよう」という、一昔前の常識が通じる!

川越は、この先、道に迷ったとき、全員、親切丁寧でした。

 

東京の警視庁の指導は「不審な人から声を掛けられたら、すぐスマホで

110番!」だからね。うかつに道の生徒に声を掛けられないのです。

警視庁メールに登録すると「いつ、どこ、服、身長の人が生徒に声をかけました。

注意しましょう」と、来るからね。

 

さて、喜多院南方の天台宗別格本山・中院(なかいん)です。

暗くて見えないけど、奥が階段になってます。

鎌倉時代は、ここが中心でした。

 

30年前まで茶畑があり、京の茶の実から薬用栽培し、

川越茶・狭山茶の発祥の地と言われています。

 

藤村藤村の茶室もあり、藤村の母も眠っています。

 

喜多院の境内をさらに北へ行くと、慈眼堂があります。

国の重要文化財です。1645年、三代徳川家光の命で、3年前に

亡くなった天海僧正(慈眼大師天海)の木像を安置しました。

 

高さ・幅3間(3.55m)の堂。屋根は中央から四方の隅へ流れる宝行造。本瓦葺。

 

七福神第三番 喜多院。大黒天です。大黒天は古代インドの闇黒の神で、

仏教での戦闘神です。平安以後食を司る台所の神と崇められました。

 

又、日本の神大国主命を大国と混同させ、命のご神徳を合せ、

糧食財宝が授かる神として信仰を得ました。10:20。

黒くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られます。

 

830年、創建された喜多院は、1599年、慈眼大師天海が、徳川家康の

厚い信頼を得、寺領4万8千坪で、寺勢盛んになりました。

 

1893年、川越大火で焼失したため、三代徳川家光が復興し、国の重要文化財です。

川越大師として親しまれ、正月のだるま市などの行事で参詣が絶えません。

 

多宝塔は、埼玉県の重要文化財です。

 

内部入場料は、五百羅漢と合わせて400円。中庭です。

 

「五百羅漢」は、川越北田島の志誠の発願で、1782年から

50年かけて、釈迦、文殊普賢、阿弥陀、地蔵菩薩と、

釈迦の亡くなったときに集まった尊者を合わせ540体あります。

 

さまざまな表情をしており、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、

一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ている

という言い伝えも残っています。ちょっと怖い。

 

参道に、和菓子の老舗、亀屋十吉があります。

 

お勧めの河越バターどらやき324円(300円+税)を買いました。

河越は、川越の古い漢字です。

 

家に帰って食べると、バターがシャキシャキ歯切れがいいです。

(バター=動物性脂肪=体脂肪=高脂血=動脈硬化・血栓=脳・心臓梗塞だけどね)

 

他に1袋で、初雁焼き648円。初雁糖594円。初雁霞486円。

初雁が大陸から来るとき、霜や雪が降るから、白い砂糖まぶしを命名。

 

最中108円。醬油味とか季節のフルーツの味もあります。

 

こがね芋162円。

 

夏になると、かき氷も4種あり、黒蜜きな粉かき氷は、850円+税です。

(まだ、やってないので、写真は借りました)

 

参道北に、七福神第四番 成田山川越別院があります。

恵比寿天です。交通安全(自動車運転)にご利益があると言われます。

 

江戸葛飾の農家三男が全盲になったので、成田山新勝寺で

断食祈願したら平癒したので、1853年、廃寺にご分霊を安置する旨、

川越藩主から許されました。

 

左手前に釣竿を投げようとする恵比寿天がいますね。

 

ここから、普通の観光ルートに沿って北へ行きます。

消火マンホールが、川越まつりの木遣りをあしらっています。

 

昔の城郭の跡でしょうか、狭隘な道です。消防車は通れません。

近隣で地境の問題で生涯、もめてるのかなあ。

 

川越城の天守台の役割を担った富士見櫓跡があります。

右手に登る階段が見えますね。

 

階段に、1mごとに、赤いゼラニウムの鉢が吊るしてあります。

 

天守台頂上です。石垣はなく、社がありました。

 

階段の途中のお宅の奥さんが善意で赤い鉢を、「自分の庭

の続きのようなものだ」と、吊るしていることを知りました。

四季咲き・耐寒性だね、きっと。

 

さらに北東へ行くと、三芳野神社の1本の細い参道です。

わらべ歌「通りゃんせ」の発祥の地と言われています。

 

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細通じゃ 
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
 

創建は、平安時代の807年と言われ、室町時代に太田道灌が川越城を築き、

三芳野神社は、天神曲輪のところに入ってしまいました。

 

信仰の厚い庶民は、時間を区切って「七つのお祝いに天神さまへお参りに

行く」など理由を門番に説明して、城内に入っていました。

 

帰りは、参拝客に紛れて密偵が入らないよう、帰りの参詣者は警護の者に

よって厳しく調べられました。

 

そのことから「行きはよいよい、帰りはこわい」と城内の子女に唄われ、

町人を通じて、江戸から全国へ広まったそうです。

 

抜けると、すぐ川越城本丸御殿です。出だしに述べました

ように、川越城は、全国に4つしか残らない城郭御殿です。

さらに北の博物館・美術館が二の丸跡地です。11:30。

 

1846年の本丸の1/8である大広間と玄関だけは、役所、工場、中学校と転用され、

現存しています。

 

巨大な唐破風屋根に間口3間(3.54m)の広い開口部と、8寸(24.2cm)角の太い柱が

石高17万石の大名御殿にふさわしい威容を感じさせます。

 

家老詰め所への渡り廊下です。

 

何度もどこを改修したのか、写真が貼られています。

 

家老詰め所には、建物内に便所(雪隠)がありました。

 

人形による家老たちが談判している様子。

 

城郭の外側は、新河岸川まで含まれていました。

 

北側に二の丸跡になる市立博物館があります。11:40。

 

ここにも、城郭を示す、立て屏風の縮尺版があります。

 

多摩川と荒川(支流が新河岸川)の間が、箱根や富士山の噴火による

火山灰の関東ローム層が厚く積もり、水はけの悪い所でした。

武蔵野台地は、江戸時代までは、人の手が入らない原野だったのです。

 

しかし、首都江戸百万では、米・野菜不足が厳しく、川越城主だった

柳沢吉保は、川越と所沢の間を、農家の次男三男を集めて、

三富新田(畑)を開発しました。

公平に、一人40間(72m)×375間(675m)の細長い地割を与え、3本与えた

クヌギを雑木林にさせ、落ち葉を屋敷との間の耕地に漉き込ませ、

段々とほくほくとした黒土に長い期間をかけて変えさせ、サツマイモ

などを植えさせました。

 

今も川越の南は、専業農家率が3割近く、年収も2千万円を超えています。

 

ただ、雑木林は、農薬普及で放置され、そこへの税金を賄うために、一部の者は

産廃業者へ捨てさせ「所沢ダイオキシン騒動」を20年前に起こしました。

当時の小泉首相が、産廃防止法案を作り、今はSDGsの世論が後押しになっています。

 

ここで、栽培されているサツマイモは、苗をクヌギの堆肥の温熱を

利用して、寒い地方でも早めに芽吹きさせ、右端の紅あずまが

主力です。1985年、農業研究センターで作られ、全国2位の栽培です。

 

特に東日本では、生産性にすぐれ、ほくほくした食感で主力です。

 

これは、昔からのイモの薄焼き器です。

 

昔は、屋台で、薪で熱した小石に潜り込ませて、

焼いて売り歩いていました。冬の街の名物でした。

遠くから「え~、いしや~きいも~」と声が響いてきたものでした。

 

川越に集積した野菜は、新河岸川の岸から江戸へ舟で

運ばれました。江戸の台所でした。

帰りの舟や荷台は、サツマイモに撒く江戸の金肥(人糞)と、

自然環境が自己完結的に、循環してました。

 

これは、新河岸川などの町並みの図です。

 

町並みの模型です。耐火構造の蔵を持つ豪商が増えて行きました。

これが、今も本川越駅から北へまっすぐ続く蔵造りの町並みとして

残っています。

 

市立博物館の西隣は、市立美術館でしたが、川越出の芸術家

に絞られており、抽象的なものが多く、撮影禁止なので、割愛します。

11:55。

 

1枚だけ。注意される前に、こっそり撮った。日本海の荒波?

 

道を今度は、西へ取り、道の反対側を見ると、中ノ門堀跡

があります。明治以降は、旧城内に残る唯一の堀跡です。

西側から攻めてくる敵に、深さ7m、幅18m、勾配60°で

壁のように切り立っています。土塀から弓矢、鉄砲をかけました。

 

ここから北へ向かうと、川越の総鎮守、川越氷川神社の脇の入口。12:30。

 

東側、日本最大級の木製正門の鳥居周りが工事中でした。

創建は、500年代の欽明天皇(509~571)の御代と伝えられます。

 

境内は、樹齢500年を超えるケヤキのご神木をはじめ、樹々が生い茂ります。

国の重要無形民俗文化財である川越まつり(川越氷川祭)は、毎年10月14日

に斎行される例大祭、神幸祭、山車行事から成り立っています。

 

1648年、川越城主の松平伊豆守信綱が祭礼用具を寄進し、奨励しました。

 

入口には、もう夏仕様の風車が吊るしてありましたが、

全然、風が吹いてなく、回っていません。

 

氷川神社は、夫婦と家族の神々を祀ることから、縁結びの

神様とされ、若いカップルが多い。この「良縁あい鯛」

は、300円でみくじが括り付けられ、巫女さんが釣ってくれます。

 

神主さんが、内部に入るところ。

 

ずっと奥まで絵馬だらけです。

 

ちゃちょも、みくじを引いたけど、2回とも大吉!でき過ぎ。

 

氷川神社裏手の新河岸川です。昔はここまで、城郭でした。

舟運のため、もっと川幅も広く深く、段差などありませんでした。

 

新河岸川での船乗り体験会は、今年4月29日に、もっと川下

(東武東上線で1駅、池袋寄り)の新河岸川駅付近で行われました。

 

蔵造りの町並みのメインストリートに向かう途中に、

温泉の看板。観光地だから、新しく開発したんだね。

最近は、100mくらいボーリングできる技術が普及してます。

 

ここから、西への普通の観光ルートへ戻ります。

もう道の途中からお店があり、醤油焼きだんご1本100円。

暑そうにおじいさんが焼いていたので、とても正面から写せませんでした。

 

冷やしたきゅうりも、味噌をなすりつけただけで1本100円。

「サービス」で100円?外売りも、衛生上、今は問題では?

 

蔵造りの町並みに入りました。浴衣姿の娘さんも。夏だね。

 

景観を大事にして、郵便局やスタバまで木の蔵造り風です。

無電柱化されてます。人通り多いのに、歩行者天国は日曜

だけで、土曜は車が割り込んできて、危険だったね。

 

いよいよ城本丸でセット券を買った、川越まつり会館です。

 

山車(だし)は、各町会が28体。川越市が1体。計29体です。

10年に一度、全部の山車が市中に出ます。

今年10月14日は、正に市制100周年なので、全部、出ます!

 

山車は、木だけで200の部品から作られ、1体1億3千万円かかります。

8mの高さは、蛇腹のように下まで降りて、4mになります。

 

1体3~4トンですが、四隅の釘を抜けば、中華取り皿のように360℃回転します。

江戸の古い唐波風屋根を持ちます。東京の山車の屋根は、今は平らです。

東京の山車はただ、行列を作って進むだけです。

 

川越まつり(川越氷川祭)が国の重要無形民俗文化財なのは、

夜のクライマックスに、各交差点で繰り広げられる「曳っかわせ」があるから。

 

山車が出会うと、お互いに囃子台の正面を向け、お囃子を競い合います。

勝ち負けはありませんが、まつりの一体感が生まれて、声援は最高潮に。

 

これが、川越市の山車。暗くて、てっぺんが見えませんが

人形まで含めて、高さ8mあります。

 

まつり会館を出て、一度、蔵造りの町並みを本川越駅へ行くと、

埼玉りそな銀行川越支店蔵の街出張所があります。

1918年に完成し、1996年に国の登録有形文化財に指定登録。

 

この蔵造りの町並みが始まる駐車場の角、「一番街」から

人力車も出ています。1区間1km一人2000円、二人3000円。

 

30分貸切一人5000円、二人8000円。いつき屋090-7341-0088。

60分貸切だと、氷川神社ー本丸ー喜多院と、かなり行けるね。

 

「時の鐘」が、蔵造りの町並みを戻ると、東側に折れる、

かねつき通りに。1634年江戸初期、酒井忠勝川越城主が建設しました。

明治26年1893年の川越大火で焼失、翌年再建されました。

 

高さ16mで、環境省の「残したい日本の音風景百選」です。

自動で鳴り、6時、12時、15時、18時の4回です。

江戸時代の面影を残す、全国的にも珍しい形の建造物です。

 

この、かねつき通りで、一番人気で種類も豊富なスイーツ屋が、

菓匠右門(うもん)です。

 

いも恋は1個200円で、5個1000円から通販しています。

 

芋ぽては、1個180円です。これも、おいしそう。

 

お芋の恋ソフトは、この、時の鐘店だけで、350円です。

着色料を一切使用せず、厳選されたさつまいも&紫芋から

抽出したエキスを使用して、作り上げられています。

 

「紫芋」「ミルク」「ミックス」。ミックスを選びました。

てっぺんのハート型の最中皮が写真映えします。

さつまいもの甘い香りがしっかり、後味はさっぱり。

 

あっという間に食べたね。だって、暑いんだもの。

 

2番目にお勧めなのが、こちら、小江戸おさつ庵。

 

おさつチップス500円。

順番に並んで、その場でオーブンに入れ、透明カップへ。

 

三番目にお勧めは、大学いも専門店、いわた。

 

500g1000円だったけど、ギフトは550g1200円だね。

細いのも、薄いのもあります。

 

ここには、喜多院参道にあった、亀屋十吉も店を出してるよ。

 

皆、店のホームページから、通販しています。

 

さて、ここで、蔵造りの町並みを北上して、札の辻交差点を

西へ曲がります。今日最後の観光スポット、菓子屋横丁へ。

 

まずは、駄菓子の、よしおかYAへ。

 

お店の中は、狭く、こんな感じ。

 

でも、真ん中の台は、完全に昭和時代へ、ワープしてるね。

 

1個10円があるなんて、ウクライナ戦争で、諸物価高騰の

折りだからこそ、超うれしいね。

 

おみやげで驚かすには、このふ菓子だよ。91cm600円。

これは値上げしてる。おいしいのは、黒砂糖の85cm450円。

 

2番目にお勧めは、あめだまの玉力製菓だよ。

 

前は、一粒ずつ10個セットなんて、ちょうどいいのがあったけど、

今は1種類毎、1袋だね。

 

反対側の棚も、1種類1袋。同じものばかりじゃ、つまらない。

 

前のように、いろんな味を1個ずつ10個セットで売ってほしいな。

前は、いろんな模様の捩じりん棒を輪切りにしたのが、良かった。

 

ちゃちょの記憶、この玉力製菓じゃなくて、焼けた、室町製菓だったかも。

 

火事は、菓子横丁で、2015年6月、メインの飴屋、室町製菓2階製造場からの

失火で、全焼4棟、部分燃6棟、ご主人91才死亡で、かなり、横丁の雰囲気が

変わりました。昔ながらの良心的だけど、資本のない店が離れました。

 

ここで、川越七福神残り3つが、ここら西側にあるので、制覇します。

菓子屋横丁のすぐ新河岸川沿いに、見立寺(けんりゅうじ)。13:50。

布袋尊です。

 

新河岸川の飛び石を渡ってみます。

 

川沿いをぐるっと回ります。

 

第七番 妙昌寺。弁財天。14:20。

たまたま道に出てきた人に聞いて、なんとか見つけました。

ここは、工事中。墓地が大きなクレーンで深く、えぐられています。

 

ここから先が、地図がどっちを指しているのかが

全くわからない、目印のない住宅地です。あと1つなんだけど。

 

通りすがりの若いお姉さんに、最後の第五番、蓮馨寺(れんきょうじ)を聞くと、

「どうせ、すぐそばなので」と、道を戻って連れて行ってくれました。

超ラッキー。

 

最後になった、第五番 蓮馨寺。福禄寿神。14:30。

裏から入ったけど、なんだ、正面は蔵造りの町並みに

面していて、本川越駅も近い。

 

帰りの西武新宿行き、14:47発。最後のスクランブル交差点で

急に渡れなくなったので、14:37発を1分差で逃す。

 

10分おきに急行・各駅が交代で出ているだけ。どのみち西武池袋線への

乗り換えは、所沢まで各駅7駅。所沢15:12発各停池袋行き。また急行

1分差で逃す。石神井公園14:30着!自宅14:40!

 

文鳥の新太郎君も元気だった!これからも仲良くね。

 

今回は、長旅になったね。ごめんね。

皆、元気でね。じゃ、またね。

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