小石川を歩く! | ちゃちょのブログ

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実践している健康のことや近況

ダイエット▲13kgの追い込みで、ここのところ、東京散歩はご無沙汰。

全国的に降った雨は、東京も土曜午前11時に止んだので、出発!

しかも、9日ぶりに夏日になりました!

前回、前々回は、浅草や谷根千と言った台東区だったので、

今日は、ちゃちょの生まれた隣の「文京区」です!

ちゃちょ生誕の地から小石川植物園、六義園へ回ります。

練馬区の石神井(しゃくじい)公園から、急行1駅10分で池袋に出て、

昭和29年にできた地下鉄丸ノ内線で2駅、茗荷谷(みょうがだに)駅へ。

帰りは、JR駒込駅から山手線3駅で池袋に戻ります。

 

上の地図で、新宿区境の「高速5号線」の「高」の字の所が茗荷谷。

そこから、上の北へ、「東京大学付属植物園」「都立六義園」です。

2か所とも広い緑なので、広域避難所に指定されてます。

やったね。新記録の紙吹雪は写し損なったけど、2万歩近かった!

 

まずは、出かける前に、夕べの大雨で道に落ち葉が散って

ないかチェック!ううむ、結構、拭き溜まってるね。

近所から苦情が来る前に、先手必勝。

道路中に散ってたのを、やっと、かき集めた!

全部、掃いて、さあ、出発!

 

家の中、OK!家の外の玄関、OK! きれいになった。

まだ、雨で道は濡れて曇り空だけど、天気予報信じてGO!

 

ちょうど急行池袋行きが来ました。ノンストップ10分。

 

池袋駅から顔を出して見ると、まだ曇ってるけど、

人出は多いね。

 

もう、まん延防止もないし、家に引きこもって、筋肉を減らし、

脳の前頭葉に刺激を与えずにいると、老けるだけだよ。

 

ここが「大当たりの名所」の宝くじ売り場。当たった験しがない。

並んでたね。

 

西武池袋線を地上で出ると、突き当りが西武デパート。

セブン&アイ・ホールディングスが、傘下の西武デパートの売却に向け、

入札すると大きな話題になっています。デパートは今、不況です。

 

東京メトロ丸の内線は、地下1階に入口。昭和29(1954)年

開設の古い路線だから、まだ地面から浅いね。

都営地下鉄大江戸線だと、地下5階分まで、エレベーターです。

 

階段を1階降りるだけでホームが見えます。

 

2駅乗って、ここはもう、茗荷谷(みょうがだに)駅。

 

文京区は、武蔵野台地の端=崖線(がいせん)が入り組んで

いて、名前のある坂だけで113カ所。昔は、茗荷がたくさん取れて

南の早稲田まで、茗荷畑が続いていたんだよ。

 

谷なので、地下鉄が、地面に出ています。

坂道を下っていくと、、、

地下鉄の下に道があります。

地下鉄の下に、通路があります。ここを入ると、

ちゃちょの生誕地。

 

この「庚申(こうしん)坂」で、よく遊んだっけなあ。

別名「切支丹坂」とも言って、丸の内線トンネル反対側に

1724年まで、幕府の切支丹流人取調所がありました。

 

左が、徳川幕府最後の将軍徳川慶喜(よしのぶ1837~1913)の上屋敷跡。

水戸徳川藩主斉昭(なりあき)の七男として、生まれています。

今は、国際仏教学大学院大学のキャンパスの一部です。

 

右が小石川車庫・整備場です。

 

ちゃちょの父母の家は、この東京メトロ車庫工事所拡張の

端っこに引っかかったので、今の石神井公園へ引っ越したんだよ。

 

母は、生前、立ち退き交渉に来た地下鉄職員に粘り、職員が腹を立てて

交渉金額を書いたメモ帳を玄関に落としていったので、満額もらって、

石神井公園に1坪千円で200坪買えた、と述べておりました、ハイ。

 

自宅から出て、この高い石の塀に手を当てながら、歩いた

のを、思い出しました!3つだったので、極めて断片的。

道はもっと細く、歩道なんてなかった(車も通らなかった)。

 

さて、茗荷谷駅へ戻って、この春日(かすが)通りを渡って、

湯立(ゆたて)坂を登っていきます。

 

湯立坂に、結構、おしゃれな海のものの彫刻がありました。

道の脇が細く公園になっていて、子供が遊べるんだね。

 

突き当りは、元、東京教育大学がありました。

今は、筑波大学に改組されて、ここは「教育の森公園」。

お茶の水女子大学も、ここにあるんだね。すっかり忘れてた。

 

東京大学も東の方にあるし、だから「文京区」なんだね。

 

湯立坂を地名が大塚になる手前を、右に坂を曲がります。

 

あった、あった。石川啄木(1886~1912)が岩手から上京し

たった26歳で結核で亡くなった終焉の地の碑です。

大声で女学生に聞いてたら、後ろからおばさんに「ほら、そこ」と。

 

最後の2首の歌は重くなる一方の悲痛な心情がにじみ出てるね。

「呼吸すれば胸の中に鳴る音あり。木枯らし(凩)よりさびしきその音!

眼閉ずれど心にうかぶ何もなし。さびしくもまた眼をあけるかな」

 

石川啄木は、詩集「一握の砂」が、有名です。宮沢賢治が強い影響を受けてます。

  • ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな
  • 石をもて 追はるがごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし
  • はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る
  • いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ (陸前高田歌碑にもなっている)
  • ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく

突き当たったら、太い4車線の播磨(はりま)坂を下っていきます。

 

白山通りとの十字路を渡ります。

この歩道は、全力疾走しないと、信号が変わります。

右手は、凸版印刷本社ビル。

 

さあ、小石川植物園(正式名称:東京大学大学院理学系

研究科附属植物園)に着きました。茗荷谷駅から歩15分。大人500円。

連休中は、混んでたみたいだね。「間を開けて、、」裏にした看板残ってた。

 

ここは、徳川幕府が、1684年、設けた「小石川御薬園」が前身です。

5万坪弱あり、八代吉宗が、1722年に園内に「養生所」を創設。

山本周五郎「赤ひげ診療譚」、黒澤明「赤ひげ」三船敏郎主演で有名ですね。

 

入ってすぐに芭蕉(バナナ)。最近、岡山で、何日もかけて

種を0.5℃ずつ凍らせて、本土でバナナを作れるように開発したね。

今、赤道から30度のバナナ地帯では、枯死カビ流行で壊滅状態だよ。

 

メタセコイアの大木を仰いで。日本の三木茂が化石に

基づき1941年に発表。後で中国で生きてる株を発見。

石神井公園にも、何本か植わってるよ。

 

ミズカンナ。北アメリカ原産で高さ2mを超える大形の多年草です。

熱帯に多いクズウコン科の中では、耐寒性が強いことから

世界中の池や湿地で観賞用に栽培されています。

 

出ました。池の主。巨大なコイ。人が近づくと浮いてくれた。

 

このカメもサービス精神旺盛でした。これは、ペットショップ

で売ってるミドリカメの大きいやつだね。寿命50年と言われてます。

 

黄色い花は、水辺なので菖蒲(ショウブ)ですね。

水に浸かってるなら、カキツバタ。陸地なら、アヤメです。

 

3つ葉のクローバー(シロツメクサ)。

皆の大好きな4つ葉の出現率は、0.01%です。出やすいのは、

  • 1枚1枚見るのではなく、全体を見てもっさりした葉を探す
  • 3枚の葉が偏っている株を探す
  • 変形した葉のある株を探す
  • 四つ葉や五つ葉を1つ見つけたらその周りをじっくり探す

日本庭園は、見ごたえがありますね。周りは住宅地なので、

ビルも見えず、とても東京の山手線内とは、思えません。

 

高台へ登っていきます。

 

これは、ホオノキ。「ホオ」は「包」を意味し、殺菌作用があり、

大きな葉で鮨や餅など食べ物などを戦国時代から包んできました。

もくれん科。初夏に白い花をつけます。

 

カルミア。コンペイトウのような形をした、色濃い蕾を持っています。

花が開くと皿形になり、雄しべは、飛来した昆虫などによって刺激を

受けると飛び出して、花粉も散ります。北米原産の常緑低木です。
 

旧養生所の井戸。1722年(創設時)~1868年(明治維新)。

1923年の関東大震災の時は、大いに役立ちました。

養生所は40名から始まり、170名まで収容しました。

 

青木昆陽は1735年、飢饉作物として試作を幕府に提言し、

成功した場所です。やがて、全国にサツマイモ(甘藷)は

普及し、1921年に碑が立てられました。

 

けなげにまだ咲いている、シブカワツツジ。

蛇紋岩という岩石を含んだ、浜松市渋川、三河、三重にのみ

自生する分布範囲の狭い貴重なツツジ。

 

平瀬作五郎が精子発見の研究に用いた、樹齢300年の

大イチョウの木。

 

大楠(クスノキ)を仰いで。神社のより大きいです。

 

イロハモミジの並木。秋ならきれいだろうなあ。

 

ニュートン(1643~1727)が、実が木から落ちるのを見て

万有引力の法則を発見した生家のリンゴの木の接ぎ木です。

各国に分譲されましたが、生家の木が枯れたのを、1964年、

ここから接ぎ木で里帰りしました。

 

遺伝学の基礎を築いたメンデル(1822~1844)が用いた由緒

あるブドウの分株です。1913年、第2代植物園長が持ち帰り

ました。これもまた、本株が消滅したので、ここから里帰りさせ、

復活させました。

 

裸子植物のソテツに精子があることを、1896年、東大教授池野成一郎

によって明らかになりました。鹿児島市内の研究に用いた本株の分株です。

縮こまった東京ではなく、のびのびと雄花、雌花が咲く温暖地でした。

ちゃちょの家にもソテツがあるけど、雌花が咲いたのは1回だけ。

 

ほら、これが、ちゃちょが与論島で見つけた、雌株、雄株

のそれぞれの花だよ。なんか、人間の生殖器、想像するね。

 

植物園脇の御殿(ごてん)坂を、北へ六義園に向かって歩きます。

 

園の反対側に魚定食・刺身の店、発見。

 

よく見ると、豚生姜焼き、若鶏の唐揚げも、あるじゃん。

1000円札出して、数十円戻るっていう感じかな。

他も散歩して気づいたけど、今、ランチは千円が普通なんだね。

 

蓮華(れんげ)坂から白山通りを渡って、薬師(やくし)坂を行くと、

東京メトロ白山(はくさん)駅がありました。白山通りを西へ行けば巣鴨(すがも)。

1月23日のブログのところにでるね。

 

「おっ、安い」と思ったら、焼き肉の一皿分かあ。

ちょびっとなんだろうなあ。

 

ここらへの八百屋スーパーのイチゴは、3パック1000円と

安いね。中級品は1パック398円と普通。もっと高級まであった。

 

細い薬師坂を行きます。

 

本郷(ほんごう)通りに出て西へずっと歩くと、駒込(こまごめ)駅手前に

六義園(ろくぎえん)です。本郷通りは片側3車線もあるんだね。さすが東京。

ここは、不忍(しのばず)通りとの交差点です。ここも歩道は全力疾走。

 

やっと都立公園・六義園(りくぎえん)に着きました。植物園から歩15分。大人300円。

五代徳川綱吉(つなよし)の信任が厚かった川越藩主・柳澤吉保(よしやす)が1702年に

7年かけて築園した回遊式築山庭園です。2万7千坪。和歌の六体の分類にちなんでいます。

明治に三菱創業者の岩崎弥太郎の別邸となり、1938年、都に寄付。

 

3月24日のブログで歩いた神代植物公園(調布市)も都立公園だけど、

江戸・東京の都立「庭園」としては、あと8つあります。

・浜離宮恩賜庭園(中央区)

・旧芝離宮恩賜庭園(港区)

・小石川後楽園(文京区)=ちゃちょの生家の裏手歩5分=東京ドーム脇

・向島百花園(墨田区)

・清澄庭園(江東区)

・旧岩崎邸庭園(台東区)

・旧古河庭園(北区)

・殿ヶ谷戸庭園(国分寺市)

 

入口のしだれ桜。植物園もそうだったけど、梅・桜・ツツジが

終わって、夏の花には早いのが、どうも今の時期みたいです。

写真は借りましたが、これが満開時です。見事。

 

内庭大門があります。

 

こういう東屋(あずまや=今は、茶屋・売店)が、ところどころに

あって、うどん、そば、あんみつと茶で休め、絵葉書等もあります。

 

ちゃちょが買ったのは、税込み700円の和三盆(上等の和菓子に

使う三盆白。産地は香川、徳島)。美麗な色、細やかな粒子、口溶けの良さや、

後に引かないすっきりとした甘さが特徴的です。国産高級砂糖。

 

「盆の上で砂糖を三度『研ぐ(とぐ)』」という日本独自の精糖工程。

サトウキビからの糖汁を木綿袋で6回以上分密し、砕いて篩(ふるい)を通過したもの。

歩留まり37%、糖度96%。六義園だけじゃなくて、東京都公園協会販売でした。

 

庭内は、絶景が続きます。

 

今頃から咲くコアジサイ。ほとんど緑色です。

 

やっぱり、定番のコイとカメがいたね。こちらは、植物園の

ように、水面へ浮かんできません。

 

ただ、これも植物園でも見たムクドリ。六義園のは、どうも、

ミミズを庭内にいる植木職人が置くようで、割と近くに来ます。

ちゃちょは、日本自然保護協会観察指導員だよ。

 

これは、陸地に生えているアヤメ。

 

咲き遅れたコデマリの先に、モンシロチョウが、いました。

 

JR駒込駅の近くにもう1か所、入場門がありました。

 

日本中に接ぎ木で普及した、ソメイヨシノは、このあたりの

駒込の植木屋から作られました。染井という名が門の名として

残っていました。

 

JR駒込駅着。午後2時半。

 

皆も、連休後の空いてる今こそ、たくさん、歩いて、縮んだ筋肉を

増やし、人と軽く触れあって、脳の前頭葉を活性化して、

若老けしないように、しようね。(写真はJRのポスターです)

 

ちゃちょみたいな10kg超のコロナ太りは、戻すのに、

相当強い、継続する意志の力がいるよ。

 

BMI=22復活と庭の落ち葉掃き70L袋9つの善戦は、また別のブログでね。

座り放しの腰痛・膝痛直しのストレッチも紹介するね。

去年連載好評だった、「健康」シリーズ(運動・食事)も役立つよ!

 

 

3月16日の宮城・福島地震で東京震度4で虹を渡ったちゃちょの相棒

はもういないけど、残った若いオスは、すぐ肩に留まってくれます。

でも前の文鳥と違い、まだカメラは怖がります。精いっぱいの接近。

 

朝は鳴いて起こしてくれないけど、朝ごはんは、しっかり一緒に

食べてくれます。手首や太ももの上で、首を丸めて安心して寝ます。

グッピグ返し中も、肩や手首を行ったり来たりで、遊んでくれます。

 

個体差・個性がそれぞれあるからね。ちゃちょは、文鳥派です。

雄の「チチチ、チャー、チョッ!」のさえずりは「「ちゃちょ」の語源?

 

長くなっちゃけど、皆も、元気でね。じゃ、またね。

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