スピリチュアルライフ ー 原水音のマザーアースカフェ -13ページ目

スピリチュアルライフ ー 原水音のマザーアースカフェ

アメリカ、屋久島を経て、熊野の自然のなかで暮らしています。四人の子どもを自宅出産、自然育児で。スピリチュアルでエコな体験をおしゃべりしちゃいます。


マザーアースカフェ


子どもたちがまだ小さいとき、夏休み、海のそばに住んでいた友人宅にお泊りしました。
その家の広いキッチンには、リッパなガスオーブンがあったんで
「よっしゃあ、ケーキ焼こう!」なんて張り切っったんですわ。

海から帰ってきた子どもたち、いっぱい泳いでおなかもすいてる。
「焼けたよー」
やったあ、とばかりにほかほかケーキにかぶりついた子どもたち、
べえっと口から吐き出しました。

ええっ、なんでやねん?!
食べてみて衝撃。
しょっぱあ!うっそお!


テレビドラマなんかで、あんまし料理をしたことのないヒロインが、
見得はって張り切ってお料理したら、塩と砂糖をまちがえたあ!
ってベタなストーリー展開、あるよね。

そんなん、ウソやろ、と鼻で笑っていたわたしですが、ハイ、ソレやっちゃいました。





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我が家ではいつも、塩はニガリ入りのしっとりしたお塩、砂糖は種子島産の洗糖といって、アメリカで売られているブラウンシュガーをもっとキメあらくしたもの。

なので、色を見れば一目瞭然!白がお塩で、砂糖は茶色なんですが、
この家では、砂糖も塩も真っ白。うっかり、しっかり塩と砂糖をまちがえたんですね。味見しろよお!

白砂糖と精製塩 で育ったわたしですが、今はもう絶対、使う気になれない。
だって、美味しくないもん。

屋久島に住んでいたとき、近所のおばちゃんちの食卓には、かならず、
黒砂糖のカケラをいれた入れ物が置いてありました。
以前は、屋久島でも砂糖キビ栽培が盛んだったので、各集落ごとに砂糖キビから砂糖を煮詰める加工所もあったと聞きました。
「畑から帰ったら、まずコレなめるんさ。具合悪いときもなめるよお」

マクロビオティックでは、砂糖は細胞をゆるめるもの、体を冷やすものとしてなるべく摂らないように言われていますが、
マクロの原点は、身土不二。 その土地でとれたものが体に一番いいんですね。
暑い日ざしを「イタイ」と表現する南の島の人たちには、ミネラルたっぷりのお砂糖は、貴重な栄養補給剤。

本土の人にとっての梅干のようなものでもあると思いました。


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種子島のブラウンシュガーは、ミネラル分をいっぱい含んでいるので、常温で置いておくと、発酵します!
夏場はとくに、味噌みたいなにおいになります。
でも、味は変わらないし、食べてさしかえありません。

白砂糖にくらべると、深みのある味わいで甘みと滋味が感じられるお砂糖です。
どんな料理にも、お菓子つくりにもイイ味を出してくれます。

我が家では毎年、収穫した大量の梅で梅ジュースを作ってきました。
これが、子どもたちの夏場のドリンクでした。
梅酒用の大きなガラス瓶にいくつも大量の梅を投入し、
このお砂糖をどさりと入れます。

発酵させないためには、精製した砂糖である氷砂糖かせめて白砂糖を使うといいですが、
ブラウンシュガーを入れているので、ぶくぶくアワが出てきてすぐに発酵します。
梅の酵母と砂糖のミネラルがミックスして発酵したぶくぶくエキスをとりだして、これでパンを焼くと、もう最高!!!の、
フルーティ梅酵母パンになります。季節限定パンです。

発酵した梅ジュースも、火入れすれば大丈夫。発酵が止まってカビもはえません。
でも、少々、発酵して梅ワインぽくなった梅ジュースや、梅酒のあまーい梅の実をおやつにパクパク食べていた子どもたち。
そのせいなのか、成人した息子たち、めちゃ、お酒が強いですう!

いやいや、これは酒のみのダンナの遺伝子だ。
わたしのせいじゃないよお。





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国産菜種油で揚げた 里イモのコロッケ  と 畑の白菜サラダ・にんじん・コーン・アーモンド入り




ミスコンの頂点、ミスユニバースの日本代表を指導するエリカ・アンギャル女史が、「世界一の美女になるダイエット」という本を発売し、飛ぶように売れているらしいです。

先日、偶然、テレビでその食事法をかいま見て、ビックリ&ナットク!
わたしはまだ本を読んでいないので、おおまかなテレビ情報しかお伝えできないけど、なんでビックリ&ナットクしたのかというと、

わたしが子どもたちを育てるとき、モットーとしてきた食事法とおんなじだったからなのです!

エリカ女史の提唱するダイエット法を超カンタンに説明すると、


オリーブオイルなどの良質の油を摂ること。
玄米や雑穀、胚芽入りのパンを食べる。
たんぱく質は肉ではなく魚から。週4回ぐらいは摂取すること。
野菜をしっかり食べる。



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  ベジタリアン海苔巻き アボカド・炒めて甘みを出したにんじん・高野豆腐



質素な食事のなかでも、お金をケチらずこだわったのが、
良質の油 を摂取することです。
うちは、みなまたはんのうれんさんの国産手絞りの菜種油を長年愛用してきました。
エコネットみなまた農水産部門はんのうれん
http://www1.ocn.ne.jp/~amanatsu/index.html

アメリカの山奥で暮らしていたときは、オーガニックのサンフラワーオイル、ピーナッツオイルなども使っていましたが、
これら化学薬品を使わずに絞られたオイルに共通していえるのは、
そう、まさに
オリーブオイルのような植物のもつ強い香りと、ねっとりした厚みのある油であること。

スーパーで売っている市販のサラダオイルは、さらっとしていて味も香りもほとんど感じられないものが多いでしょ?

ときどき、子どもたちからは、
「菜種油は重すぎる。サラダオイル使ってよ」と抗議されたこともあります。

それでも、油にこだわりたかったのは、毎日摂取するものは安全でなおかつ栄養価の高いものを望んだから。誰よりも子どものために。

市販されている植物油のほとんどは、有害な石油系の化学薬品などを多様して油を抽出し、脱色、脱臭を行ったもの
本来、種子が持っている貴重な栄養素のほとんどが破壊されてしまい、しかも、人体にとって有害な脂肪に変質している可能性が高いからです。
油についての詳しい解説は、こちらを。
てくてくネット
http://www.lohasworld.jp/yomimono/abura.html

もうひとつのこだわり、それは純正調味料だけを使うこと。


わたしが四人の子どもたちを育てた食事法は、
マクロビオティックを基本として、
玄米と畑からとれるオーガニック野菜を中心としたメニュー。
でも、ベジタリアンではなく、こどもの成長に欠かせないたんぱく質は熊野灘のお魚からいただいてました。

そして、
それについては明日!





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和歌山県北山村に昔から自生している自然雑種かんきつが、じゃばらです
じゃばらは、オレンジくらいの大きさに実るすっぱーい果実。
昭和50年代、世界に類を見ない新種であることが判明しました。

じゃばらとは、邪を払う、とう意味をもつ名前だそうです。
昔から、北山村のお母さんたちは、正月やハレの日には必ず作るサンマ寿司のお酢には、風味ゆたかなこのじゃばら果汁を使っていました。

いまや、国民病とも言われる、花粉症。
鼻水や目のかゆみが止まらず、苦しんでいる方も多いと思いますが、
実は、この花粉症に効果が高いといわれる、ナチュラルメディスンが
このじゃばら果汁!

なんで、効くの?

じゃばらには、「フラボノイド」の成分ナリルチンが、
他のかんきつに比べて非常に多く含まれ、その成分が花粉症やアレルギーに効果があると、実験結果が出てます。

果汁100パーセントの原液を1日2回、10ccほどの摂取を2週間から4週間ほど続けると良いそうです。
そのままでは飲みにくいけど、蜂蜜やお砂糖を加えて水で割ったら、美味しいドリンクになるし、何を加えて飲んでもいいそうですよ。

わたしの知人は、飲んだ瞬間に鼻が通り、薬を飲まなくてもじゃばらだけで花粉症が治まった、と言っています。

日本広しといえども、ほとんど北山村でしか手に入らない果実なので、生産量は限られていますが、花粉症でお悩みの方、一度お試しあれ。
 

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川の熊野を堪能できる観光ジェット船。和歌山県新宮市熊野川町志古(しこ)と、奈良県十津川村、瀞峡、田戸、三重県熊野市紀和町を結ぶ熊野川、北山川の渓谷、とくに瀞峡の美しさは圧巻だ。春は川筋の桜が美しい!

昔は、和船やプロペラ船に乗って、人々は買い物や通学をしていた。

筏に組んだ材木も、川の流れを利用して運んだ。



熊野エリアにある和歌山県北山村は、人口500人ほどの、日本でただひとつの飛び地の村。
地図で見てもらわないとピンとこない方も多いと思いますが、
北山村は和歌山県でありながら、ほとんど奈良県のエリア内に、まるでツギあてのように小さく点線で囲まれて、そこだけ和歌山県を主張している村なんです。

昭和三十年代まで、熊野には鉄道も国道も完備されていませんでした。
今でこそ、山道を縫うように走る狭い国道で奈良、和歌山、三重の三県にまたがる熊野エリアを行き来することができますが、
昔は、川が生活の道でした。

北山村の主力産業であった林業も、山から切り出した木材を運ぶのは川でした。
材木をかずらでしばって、筏に組み、筏師が水の流れ、川の地形を読みながら、木材の集積地である和歌山県新宮市まで筏流しで運んだそうです。
そんなわけで、廃藩置県でどこの県に所属するかを決めるとき、北山村は昔から経済的に結びつきの深かった新宮市と同じ和歌山県に属することを選択したそうです。

今でも、この北山村では、観光筏に乗って、急流を下ることができます。

ちなみに、美しい北山渓谷を流れる川をはさんで、
こっちは和歌山県北山村、川向こうは、三重県熊野市の育生町と神川町。
ややこしやあ~!



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熊野の山奥には、こんなかわいいカモシカさんも住んでいる。

つぶらな瞳でおとなしい性格。地元の古老は「ニク」と呼ぶ。うまいのか?!


でも、花粉症っていうけれど、ホントは大気汚染物質過敏症
というネーミングにしたほうが正しいみたいですよ。

花粉症は、
車や工場などから排出され、大気を汚染している化学物質が、鼻やのど、目のふちなどの粘膜を刺激し、過敏になった粘膜に、花粉が刺激を与えて発症するのだ、と科学者の間では認識が一致してきています。

杉花粉で窓ガラスが黄色く染まるくらい杉林に囲まれた山奥に生まれ育ったおばあちゃんたちに、花粉症のひとはほとんどいません。

わたしもそんな環境に住んでいますが、花粉症で苦しむことはないし、
ただたまに目がちかちかしたり、かゆくなったりするのは、
必ず、新宮市とかの街中へ出かけたときです。

昭和三十年代に、悲願の鉄道と国道が開通し、これで熊野は便利になると思いきや、
その道を通って、人々はわれも、われもと熊野を捨て、都会へ稼ぎに出ていってしまいました。

山の家を出て行くとき、人々はこぞって杉を植えました。
国が補助金を出していたからです。



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 北山村に隣接する、奈良県十津川村の山桜 周りは杉林ばかり。



山のばあやんは言います。

「家のまわりも、畑も田んぼも、植えられるとこにはみいんな杉植えて出ていきよった。
杉の木が年々おおきいなって、山も村も日あたらんから暗くなったで。
杉は、ねっこが深く張らんから、山くずれも怖い。
木を切り出しても、人件費のほうがかさむし、今は補助金なしには山仕事もできん時代じゃ。
山は荒れるばかりじゃわ。」

「わしが嫁に来たころは、ここらはもっとずうっと晴れ晴れしとった。
今は杉林ばっかりじゃけど、村の草狩り場もあってな、
そこで、女衆とこどもらといっしょに、ワラビやぜんまい、ごんぱち(イタドリ)なんかどっさり採ったもんじゃ。

山もなあ、山桜がいっぱいで、春にはそこも、ここも、
うす紅色でふわーっと明るくて、うれしかったよお」

ばあやんは、そう言って目を細めた。
ばあやんの視線の先には、春なお暗い深緑色の杉山が。
枝打ちも間伐もされないで荒れ放題の杉の林の下には、
山菜はひとつも生えていない。

じゃばらの里。筏の村 北山村ホームページ
http://www.vill.kitayama.wakayama.jp/

 



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            花の窟の前方に立つ海のスフィンクス 獅子岩 ここのエネルギーも凄い!
自然の聖地、熊野には、大きく分類してこのような場(エネルギー磁場)がある。

1 巨石が依り代である場

花の窟(はなのいわや)神社 (三重県熊野市)・神倉神社(かみくら)(和歌山県新宮市)・大丹倉(おおにくら)(三重県熊野市)・丹倉神社(あかくら)(三重県熊野市)他。
熊野には巨石を祀る神社が多い。

2 山がご神体である場 

玉置山(奈良県十津川村)をはじめとして、吉野、大峯と熊野を結ぶ山々は、山岳密教、修験道の霊場であり、また古代からの参詣道に通じている。


水、川、滝がご神体の龍神信仰の場

いわずと知れた日本一の大滝を誇る、熊野那智大社は、滝がご神体である。

熊野那智大社にならんで、

熊野三山の重鎮、熊野本宮大社も明治まで続いた本宮は、熊野川の中州にあり、川イコール水の神、エネルギー、龍神さまがエネルギーの源泉である。



他にも巨木がご神体の場もあるが、まずは巨石編の中から、最もメジャーでなおかつ、足の便がよさそうな聖地をご紹介します。




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イザナミ眠る巨岩と太陽信仰の聖地 
    
   花の窟(はなのいわや神社(三重県熊野市有馬) 


花の窟神社は、世界遺産にも指定され、日本書紀に由緒が記されている日本最古の神社のひとつです。
神社といっても社殿はなく、巨磐がご神体です。

ご祭神は、伊弉冉尊(イザナミ尊)と軻偶遇突智尊(カグツチ尊)。

友人から教えてもらったんだけど、

古代ポリネシア語

i sana gi= the first saint man
i sana mi= the first saint woman

i means the first. sana means saint. gi means man. mi means woman

という意味だそうです。わたしは古代熊野は、ぜったい、黒潮海流に乗って流れ着いたポリネシア系の民、あるいはアトランティス系の民が住んでいた土地だと思います。

南・海・太陽を感じる場、それがこの花の窟です!


日本書紀によると、

「一書曰 伊弉冉尊(イザナミ尊)火神を生み給う時に灼かれて神退去(さり)ましぬ 故(か)れ紀伊国熊野の有馬村に葬しまつる 土俗(くにびと)此神の魂を祭るには花の時に花を以て祭る 又鼓吹幡旗を用て歌い舞いて祭る」(由緒書きから抜粋)

女神、いざなみ尊が神生みをなされ、最後に火の神を産んだとき、火傷を負って亡くなられた。妻を失ったイザナギ尊は怒り、火の神、カグツチ尊を切り殺してしまう。
母、イザナミ尊と息子、カグツチ尊がともに眠るのがこの花の窟である。
イザナミ尊のみ魂を祀るために、土地の人々は花が咲く季節に花を飾り、歌い踊って祭りを行う。と日本書記にしるされている。



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               お綱かけ神事で、浦安の舞を舞う地元の娘たち


お参り、お祈りのキホン

これは、私のやり方なのですが、

この巨磐の前に立ったら、
こころを落ち着けて、目をつむり、静かに深呼吸をくりかえしてみてください。

呼吸はできれば鼻から、吸って吐いて、
肛門はきゅっと閉めて、
おなかにぐっと力を入れて、へそ下三寸の丹田を締めて。
こうすると、宇宙エネルギーを細胞に取り入れやすくなり
なおかつ、邪気を入れ難くする効用があります。

すぐ傍を走る国道の車の騒音がやがて消えて、
波音が聞こえてきます。
まるで巨磐から流れてくるように響いてきます。

その時を待って、拍手を打ちます。
 
あるいは、神道の方法にとらわれず、
自分なりのリスペクトのしかたで祈りを捧げてください。

いのちあるものすべてに
生かされているわたしに
そして、この場に
熊野の神々様に
感謝して、
平和と
愛の
波動を胸に満たし
お祈りください。
感謝の思いを
あなた自身の言葉で、
できれば声に出して、言魂、音魂として岩に響かせてみるとよいと
思います。

言葉のエネルギーが耳から入って脳を震わせ、
体中の細胞にしみわたります。
ただし、
神社や聖地では、個人的な願いごとをするよりも、
宇宙の大愛を感じ、
ただただ感謝の祈りを捧げてほしい。

岩も、木も、一りんの花も、
感謝と愛と調和の波動を放つと
ものすごい生命エネルギーを送ってくれる。

同じオモイをかえしてくれる。何倍にも増幅させてそのオモイを天空に放ってくれる。
そうして。
私たちの心や体の穢れを清めて愛の波動で満たしてくれます!
そうすることで、おのずと、自分が抱えていた悩みや苦しみ、不安も
消えていくのです。

自我欲望の願い事を神様におしつけるのは
聖なる場に、どろりと重たいエネルギーを置いて帰る行為なんですね。


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例大祭(三重県無形文化指定 御縄掛け神事)は、
毎年2月2日と10月2日にとりおこなわれ、約170メートルの稲わらで編んだ大綱が、岩の上から海岸へと人々の手で引き渡されます。

御縄掛け神事は、有馬の氏子が中心となり、およそ10メ-トルの三旒の幡形、下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつけたものを、日本一長いともいわれる約170メートルの大綱に吊るし、大綱の一端を岩窟上45メートル程の高さの御神体に、もう一端を境内南隅の松の御神木にわたす神事です。


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170メートルもの長さの藁で編んだお綱は岩の頂から降ろされ、人々の手で海岸まで引かれていく

しかし、注目すべきは、神道以前のさらに古代の太陽信仰が、このお綱かけ神事には遺されている点です!

なぜ、10月2日と2月2日に神事が行われるのか?
それは、太陽の動きと関係しています。
10月2日は、太陽への感謝と太陽送りのご神事です。

古代の人々は、太陽によりはぐくまれた作物を捧げて、今年一年の恵みを感謝し、太陽さん、どうぞゆっくりお休みください。と太陽神を送りました。

2月2日、冬至を過ぎると、今度は太陽を呼びよせ、新しい年の豊穣を祈願するのです。
それが、このお綱かけ神事のゆえんなのだそうです。


窟の前では、かわいらしい少女たちが二人づつ組になって、浦安の舞いと、乙女の舞いを舞ってくれましたが、乙女の舞いの歌のなかに、
種をまき、実りを迎えるありがたさ」というような詩が聞こえてきました。

10月2日、
台風が過ぎ去り、まぶしいほどの青空に輝きわたる太陽が海を照らし、波音がおしよせる浜を、人々は手に手に綱をかかげ、古代より変わらぬご神事をよろこびいっぱいで執り行ったのでした。

この綱にふれさせていただくだけで、幸運なのですよ。昔はね、おなかに赤ちゃんがいるひとは、このわらの端をそっといただいて帰り、腹帯に入れておくと安産になると信じたものです」
わたしの横に並ばれたご婦人が教えてくださいました。
それを聞いたわたしは、稲わらの端を三本いただいてきました。
先日、わたしが主催した自然出産のレクチャーに来てくれた、おなかの大きなエムさんに送ってあげようと思ったの。


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火の神軻偶遇突智尊(カグツチ尊)を祀った巨岩。
ある日、花の窟をお参りすると、この岩の下から一匹の蛇が這い出てきて
わたしに姿を見せてくださった。



熊野は、遠いたましいの記憶を呼び起こしてくれる場所です。

熊野は古代より脈々と続く自然崇拝の土地です。
わたしのたましいはどのような時代にも、どこの国に生まれても、いつも自然に畏敬の目をみはり、自然に感謝して祈ってきたのだろうなあ、と思います。



ドキドキ週末には、神社前の茶店で地元の方々によりお茶のふるまいもあります。美味しい御餅などの販売も!

ドキドキおすすめお土産品 


花の窟神社の御守り 結び(500円)
死んだイザナミを追って黄泉の国へわたったイザナギの命を救ったといわれるかづらで編んだ御守り。魔よけにどうぞ。
ひそかに芸能人の間で人気!
ジャニーズの方々にも愛用されています!







花の窟公式ホームページ  http://www.hananoiwaya.jp/
















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 和歌山県新宮市 神倉神社  神倉山の頂には、ご神体であるゴトビキ岩が鎮座する



映画「地球交響曲 」の監督、龍村仁氏が、 「地球交響曲第六番~ 全ての存在は響き合っている ~」の上映のため、和歌山県新宮市を訪れた時、

「この第六番は、熊野から始まった。5番の上映会をここ新宮市で行ったとき、実は6番に登場するピアニストのケリー・ヨストさんもこの会場にいたんです。
彼女の非常に短い日本滞在期間と僕の熊野行きのスケジュールが重なり、どうしても彼女に会いたかった僕は、日本をほとんど知らないケリーと、この地の果てのような熊野で会う流れになったんだ。」


龍村氏は、言葉を続け、こう言い放った。
「僕はこの世界を開くカギが、この熊野にあると思っている」



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和歌山県那智勝浦町 那智の滝 落差100メートルの日本一の大滝 ご神体は飛龍大権現



アメリカはカリフォルニアの電気もガスもない山奥から、紀伊半島の南端部、陸の孤島といわれる熊野エリアに、まるでなにか見えない手に導かれるようにして、私たち一家は二十年前に漂着した。

はずかしながら、熊野の歴史もそのスピリチュアリティもなんも知らなかった私だが、二十年住んでいる間に、この地がどれほど日本の歴史の上でも、日本の自然や信仰、精神性の上でも重要な場所であるか思い知らされている。

初めてこの地を訪れたとき、
ちょうど奈良県十津川村から和歌山県田辺市本宮町の、熊野本宮大社にさしかかる、熊野川沿いの国道を走っていたとき、

神々のおわします地

という透明な言葉が、ふわり、そよ風のようにこの胸に流れこんできた。

その言葉の意味するところをなにも知らず、調べようともせずに、
ただ、流れにまかせてこの地への移住を決めてしまった。

熊野がどれだけパワーの強い場所かは、まずこの地に来てくだされば必ずや肌で感じられるはずだ。それがなんなのか、チラリと私なりに検証してみた。

 

なぜ、熊野はパワースポットなのか?

なぜ、熊野は自然信仰の聖地なのか?



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       みどりしたたる熊野の森



とにかく熊野は、自然のパワーが強い。

雨 水のエネルギー 龍神信仰 豊かな森 南紀の強い太陽

海からいきなり陸がせりあがって、急峻な岩山を形成している熊野。
黒潮の熊野灘からは湿った海風に乗って、激しい雨が森を潤す。
日本一雨量の多い、三重県尾鷲市を筆頭に、熊野はなんせ雨が多く、しかも激しくフル。

新宮出身の天才作家、中上健二氏は、
熊野は海と山と川とがせめぎあう場所」だといっている。
信州のように高い山はないけれど、急峻な峰峰が吉野大台まで続き、山から湧き出た水が集まって、川となり、山と谷川の織り成す地形が交通の便のめちゃ悪い、だからこそ自然の息吹がまだ残っている熊野を支えている。

雨も激しいが、太陽も強烈だ。
冬でも、紀伊半島南端部の海岸線エリアでは、日焼け止めがいるくらいまぶしい太陽が輝いている。

豊かな水と強い太陽がはぐくむ森は、
和歌山県田辺市に生まれ、近代日本が生んだ天才的植物学者にして博物学者であられる、南方熊楠氏の研究成果に直結している。

氏の得意分野である粘菌は、湿度が高くじめじめとした土地にしか生息しない。
粘菌、地衣類、コケ、それがまず、表土を覆い、そこに付着した植物の種を優しくはぐくむベッドになる。
森は、粘菌から始まるといっても、過言ではないかと思う。

その粘菌採取に適した場所が、
神社の杜だったと南方熊楠の本にある。


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  三重県育生町 高倉神社 傍の巨岩




その神社の杜がことごとく破壊される日が来た。

明治の神仏分離令と神社合祀令、とくに明治39年に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令は熊野に壊滅的なまでのダメージを与えた。
明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって神道の純化を狙った。

南方熊楠は、強引な神社合祀を目の当たりにし、怒り、神社合祀に反対し、孤軍奮闘したが、投獄の憂き目にもあい、奮闘むなしく、多くの神社がその石段のひとつひとつまでも破壊され、、ご神体である巨木がなぎ倒されたという。
日本中に吹き荒れた神仏分離令と神社合祀令だが、とりわけ熊野に対して徹底的に行われたという。

これも、熊野が古来からの自然信仰の聖地であり、パワースポットであった証拠ともいえる。
目に見えないけれど強烈な、霊的パワーを
時の政府、権力を握るものたちは常に警戒し、恐れるのだ。

その嵐を逃れ、生き延びて、今もなお、熊野の地にパワーを放ち続けている自然の聖地。
それは、神社にとどまらず、森であり、海であり、巨岩であり、滝であり、一本の巨木である。
それら自然が依り代となって大自然のパワーを放っている。

そのパワーを感じ取り、聖なる波動に共感し、ともに響かせあうため、
私は熊野の自然に分け入る。
聖なるパワーと共感するための、最大のツール、それこそが、祈りである。

滝の水音に、わが声を響かせて
自然への感謝と、地球の平和とたましいの平安を祈るとき

水音と声はひとつに重なり、
その振動は強烈に増幅され
澄んだ青い天空めざして光のロケットになって放射される。



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                   三重県熊野市盾が崎




参考文献http://www.mikumano.net/meguri/takahara.html



地球交響曲第六番 2006年 によせて    龍村仁

                        
最近のめざましい科学技術の進歩によって、この宇宙の全ての存在、すなわち銀河系、太陽系、地球、海、山、川、森、岩、動物、植物、バクテリアから原子のひとつひとつまでもが、それぞれに独自の“音楽”(vibration)を奏でていることが分かってきました。
「人間が音楽をつくる以前に、“音楽”がこの宇宙をつくり、生命を生み出し、人間をつくった」という宇宙物理学者もいます。

「ナーダ ブラフマー = 世界は音なり」という言葉があります。
数千年前から伝えられているインド、ヒンドゥー教の教えですが、これと同じ教えは、仏教をはじめ世界のあらゆる宗教や神話の中にもあります。
我々人類は、科学が進歩するはるか以前から、この真理を知っていたのです。
21世紀の科学は、宇宙物理学、電子工学、生物学、医学、遺伝子工学など、あらゆる分野で、この「ナーダ ブラフマー」という真理を再発見しつつあります。

我々が住むこの世界は、生々流転する全ての存在が、それぞれに独自の“音楽”を奏でながら、互いに響き合い、次々と新しいハーモニーを生み出しつつ、ライブ演奏されてゆく壮大なシンフォニーのようなものなのです。
ところが最近、この悠久のシンフォニーの中に、著しく調和を乱す“楽音”が聞こえるようになりました。我々人類が発する“楽音”です。甚だしい不協和音が発せられ続ければ、シンフォニーは当然調和を失い、カオス状態に陥り悲惨な結末を迎えることになります。

我々人類が不協和音を奏でるようになった理由ははっきりしています。
自分だけの利便や安楽を求め続けるあまり、自分以外の存在が奏でる“音楽”を聴く耳を閉じてしまったからです。共演者が奏でる“音楽”を聴かないで、美しい交響曲の創造に参加することなどできるはずがないのです。

今我々人類に早急に求められているのは、自分以外の存在が奏でる“音楽”を聴く耳をもう一度開くことです。そして、“耳を開く”ことはとても簡単で楽しいことです。
閉じているのは我欲に呪縛された“耳”だけです。私達のからだを構成する10の28乗個もある原子の一つ一つは、今この一瞬にも、外の世界に存在する全ての原子達と響き合いながら、美しいシンフォニーを奏でています。それが“生きている”ということです。
内なる音楽を聴くことは、外なる“音楽”を聴くことであり、外なる音楽を聴くことは、内なる“音楽”を聴くことです。

「音を観て、光を聴く」旅、それがの旅です。





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                   私の家はこんな山のなか。もう、山桜が満開だよ。


アカデミー賞の長編ドキュメンタリー大賞を獲得した、「ザ・コーヴ」は、和歌山県太地町のイルカ漁を追った映画だ。
コーブとは、入り江の意味。

四百年続く、地元漁師たちの追い込み漁でイルカが殺され、美しい入り江が赤く血に染まるシーンが観る者に衝撃を与える作品。

私はまだ全編を観ていないので、作品の内容に関してはコメントできないが、太地町は私の家から車で一時間半ほど走った場所にあり、友人知人も住んでいる、なじみの深い町である。

ザ・コーブのスタッフがこの小さな田舎町にやってきて、役場や漁師の反対を押し切り、隠し撮りを続けていたことは、ローカルニュースで見知っていた。

地元の食料品店がスタッフに食品を売ることを拒否している映像もニュースでは流れていた。

太地町は、古来から続いた捕鯨の町として有名だ。

この太地町の捕鯨と、鯨漁師の様子を綿密に描いた文学作品がある。
環境保護活動でも有名な作家、C.W. ニコル氏著 「勇魚」いさな (文春文庫) だ。

この本を書くため、ニコル氏はたしか二年間ほど、太地町に移り住んで、この町の歴史、捕鯨にまつわる事柄を徹底的に調べあげ、繊細で美しく感動的な作品を仕上げた。

ニコル氏の作品に対する向かい方に比べると、映画の内容はともかく、監督をはじめとするこの映画スタッフのやり方は、あまりにも乱暴だとしかいいようがない。

イルカを殺すことに賛成か、と問われれば、
私は反対だ、と言うだろう。
鯨を殺すことは?
やはり、反対だ。

でも、それはわたしがイルカと鯨が好きだからという感情論でしかない。
先祖代々、捕鯨やイルカ漁を行い、それで生計をたててきた漁師に対して、「あんたたちは知的な哺乳類を殺戮している!」なんて批判は、絶対にできない。
換金価値の高いメスのバンドウイルカを捕獲し、イルカ御殿を建てている漁師がいたとしても、その人の人生に対して、指を突きつけ、「あんたのやってることは完全にまちがってる」なんて私にはいえない。

そういうあいまいな、日本人的なあいまいさを完全にぶち壊して、主義主張をはっきり述べ立てる欧米人の姿勢を貫いたのが、この映画だ。



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あなたはイルカの肉をみたことありますか?

わたしはあります。地元の大手スーパーでは時々、イルカの肉を売っているんで。
信州生まれのわたしは、そしてイルカと鯨が大好きな私は、初めてイルカ肉の切り身を見たとき、ドキッしました。

鯨肉に似て、血の色の濃い赤身の肉。スーパーのパックには真っ赤な血がしたたっていた。
でも、地元生まれの友人は
「イルカの肉は子どものころから、よう食べたよ。うまいやんか」
と、こともなげに言う。

わたしはほとんど肉を食べない、ほぼベジタリアンだが、
アリゾナのホピの村を訪れたとき、地元に住む友人に美味しいバーベキューをご馳走になった。
砂漠の土地では、羊の肉がたいせつな食料であり、もともと狩猟採集と農耕を並行しなければ、生きてこれなかったホピの人々にとって、肉はあたりまえに、いのちを支える食べものだ。

今夜のおかずを近江の最高牛のすき焼きにするか、
オーガニックの野菜プレートにするか。
選択して遊べるのは、都会人だけ。

ネイティブに生きる。土地に足をつけて、その土地で生きる人々にとっては、畑の野菜も、お米も、山の鹿も、海の魚も、その魚の仲間であるイルカも鯨も、すべてが、いのちを支えてくれる、ありがたい恵み。

食品流通が激しく進化し、狩猟採集しなくてもお金で食べものが買える時代、その時代にあっても、ネイティブたちの体は心はいのちあるものをいただくことのありがたみとその美味を忘れることはできないのだろう。


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昨日、鹿よけのために張りめぐらした畑の網に、一頭の雄鹿がかかってしまった。雄は角をもっているため、その角がいったん網にからまると、身動きできなくなる。

つれあいは個展のため上京しているので、私がなんとかするしかない。
なんとかするって、殺す?それとも逃がす?その二者択一しかない。

手負いの鹿を犬のように捕まえて、角にからまった網をナイフで切り離し、森へ帰すこと、それはとーーーっても難しい仕事だ。

大の男でも難しいのに、わたしにそれができるはずもない。
それでも、鹿を殺したくはなかった。
鹿肉が美味しいのは知っている。
でも、殺してまで食べたいとは思えない。

現場は、崖のような急斜面。足場もない。
おびえた鹿の目をみつめながら、
どうか網を振り切って逃げて!
祈った。
でも、無理。

うちの裏で、イノシシを捕らえるための檻を仕掛けているじいやんが、
「わしが捕まえるわ。犬たちの肉にもらうで」
そう言って、畑をおこす厚手の鉄刃のクワを片手に急斜面を登っていった。
クワの刃で、がつんと頭蓋骨を殴打するらしい。

気配を察した鹿はもがき、暴れた。

じいやん、だいじょうぶか?鹿に蹴飛ばされて肋骨でも折れたらエライこっちゃ。
私が案じていると、ちょうどそのとき、鉄砲撃ちのSさんが車で通りかかった。
「おれ、撃ったるわ」
仕事帰りの軽トラックの荷台にはしっかり銃が積まれてあった。
散弾銃を装填すると、迷うことなく彼は引き金を引いた。

ズドーン!!!

傍にいたわたしは、自分の内臓が波打つくらいの衝撃を受けた。
頚動脈を狙った玉は一発で鹿を倒した。


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せめて、苦しみすくなく昇天できたことを、わたしは感謝した。

山の民は畑を荒らす鹿をしとめて食べることになんの迷いもない。
彼らは、先祖伝来、山の恵みを受け取っていのちをつないできたのだ。
紀州の海の民、太地の漁師たちは、これからどうするのだろうか。

イルカ漁も、鯨漁も、そして、日本人の大好物マグロ漁に対しても、
世界の世論は「ノー!」を突きつけている。



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映画 「ザ・コーブ」の紹介


http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/3990/1.html



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いきなりの話題でゴメン!

でも、とってもたいせつなことだから、書きたいんだ。


わたしたち人間は、生殖なしに生まれおちることはできない。

例外として、体外受精もあるけど、それはまあホントに数少ない事例。


セックスは生殖のためだけじゃないことも、この体が知ってる。

生殖じゃなく、性欲のため?

いや、女の子だったら、ぜったいこう答えるだろう。

愛のため。だってね。


じゃあ、愛し合って結ばれたカップルが

もちろん、このカラダは、性的な高まり押さえきれないほどに

ぐんぐん高まって、とろけるくらい、

燃えたぎるほどに熱くなっていたとしても、


乳房の奥のハートは、欲望だけじゃない。

吹き荒れるアドレナリンの嵐のなかでさえ

けっして揺らぐことなく

けっして消えないキャンドルの火。




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そこには感情想念さえも超えた

なにか透明で清らかな光がある


それをわたしたちは愛と呼ぶのかもしれない。


カラダは結ばれたがる

いつだって淋しくて

誰かと、もう一度ひとつになりたがる。


こころも溶け合いたがる。

わかってほしい

抱きしめて欲しい

好きだから

アイシテルから



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だけど恋は春の花のようなもの

つぼみがひらき、鮮やかな薫り高い花は咲けばさいご、

散ってしまう

永遠に咲き続ける花を求めて、うそでも信じて

恋人たちは突き進む。


でも、恋の向こう側へ行き着くのはとてもむずかしい。

レンの向こう側には

永遠の愛がある



永遠の愛

それを物質化したものが

命。

赤ちゃんだ。


愛の結晶、とはよくいったもの。


たとえ三年後に離婚することになる夫婦の子であっても

いのちは男と女にしか創造できない。




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子どもがほしくてセックスするときでも

妊娠なんて望まなくてセックスするときでも

私たちのはかない人智を超えて

いのちは

新しく、また、この地球に生まれでようと

順番まちしているいのちは、

その瞬間を待っている。


子どもは親を選べない、とうけれど

どうもそれはウソらしい。


子どもは親を選んで生まれてくる。

前世で深いえにしを紡いだ魂のなかから

最終選考に残った男女のなかから

最後の決め手は、なんとセックス!


子どもの持つ波動と同調できる波動、

しいていえば、おなじ周波数みたいなもの。

その波に乗って

子どもの魂は降りてくる。


だから、ギンギンにカラダがしびれるくらい感じていい。

カラダが異次元にいってしまうくらい

開かれているとき

魂もひらかれる。自由に飛翔できる。

日常のありとあらゆる人間的な社会人的なシバリをはずして

魂と魂を溶け合わせて

そこに透明な炎が燃えているとき


愛の波動に乗って

高い次元の魂が降りてくる

この★に

水の星、地球に


地球はいま、高い波動を持つ魂たちを必要としている

愛と光を振りまき、この星を救う天命を持った子どもたちを必要としている。


だから、愛と歓喜の光に満ちたセックスをひとりでも多くのひとたちに

してほしい。

そう願ってる。




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わたしのつれあいである、造形作家 原 秀雄が

3月6日(土)~14日(日) まで、代官山駅前にある東京代官山 奈良県 i スタジオにて、個展を開催します。


自然の造形がいのちを持ったままで、アクセサリーや花器・照明器具として生まれ変わったユニークで癒される作品ばかり。

ぜひ、遊びに来てくださいね!  

6日午後2時から6時までは、旅の情報誌「じゃらん」と雑誌「ガリレオ」の奈良県十津川村特集記念イベントも同時開催されます!

ゆるキャラでおなじみ、せんとくんも登場!

源泉かけながしの名湯で知られる、十津川村の温泉水でいれた温泉コーヒーも無料でサービスいたします。


『2012年と日月神示』(徳間書店)の著者で
神秘研究家にして歌人でもあられる、岡田 光興さんによる、玉置神詠歌百首の展示もありますよー!

世界遺産の地、日本のスピリチュアルスポット熊野の魅力とその大いなる癒しのエネルギーを浴びに、みなさんぜひ起こしくださいね!
お待ちしてます。

原秀雄〈熊野・気のカタチ〉展

□ 2010年3月6日(土)~14日(日) 10:30~18:40
         9日(火) 10日(水)は休館

□ 東京代官山 奈良県 i スタジオ
          Tel 03-3461-5550

 渋谷駅から東急東横線代官山下車、西へ約50M
        (東京都渋谷区恵比須西1-36-10)


奈良、三重、和歌山。三県にまたがる世界遺産の地、熊野。
山々には縄文の世から聖なる〈気〉が満ちあふれている。
原秀雄はその〈気〉を採る人である。
山深くこぎ入り、気に感応する。
かづら、古木、石たち、、、
それらすべてが、熊野の〈気〉そのものであり、
原秀雄は、そこに神仏の姿を見る。

熊野の自然素材による、花器、灯り、「石を祀る」作品など、
展示、販売いたします。期間中在館します。

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現在、二十歳半ばになる長男を筆頭に、四人の子どもたちは虫歯で歯医者に通ったことがない。
長男と次男は、小学生のころ、学年ごとに虫歯のない子に贈られる金メダルを毎年もらっていた。
中学、高校と進み、社会人になって自立した今でも、虫歯がない。

 だいじなのは、歯磨きよりも食生活!

だからといって、わたしたち一家そろって歯磨き推進派であるかというと、ぜんぜんそんな事はなくて、
むしろけっこういい加減な歯磨きスタイルでここまできている。

子どもたちが小さいころは、市販の歯磨き粉ではなく塩で磨かせていた。
塩は歯茎をひきしめ、その殺菌力で歯槽膿漏の予防にもなる。

長男は、夏休みになると、「自然療法  -東条百合子著」を参考に、畑でとれたナスの皮を集めておいて、ナスのへたの黒焼きを作って、それで歯を磨たりしていた。

ナスのへたの黒焼きは、歯槽膿漏予防に役立つらしい。


実は、わたしも子どものころから虫歯が少なく、四人の子を妊娠出産した後でも、歯にガタがきたことはない
わたしは子どものころ、甘いものやさんにつれていってもらっても、ぜんざいやキナコ餅、餡蜜などの甘いものが苦手で、トコロテンに酢醤油をかけてすすっていた。

ひとは疲れると甘いものが欲しくなるという。
脳が糖分補給を欲しているからだという。
わたしは頭をほとんど使っていないせいか、疲れたときにまず欲しくなるのが塩分なのだ。
陰性体質だからかな。ゆるんだ細胞をひきしめるために、塩分を欲するのかもしれない。


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 むすめはかぼちゃケーキが大好物!






自然食を実践している家庭でも、お母さんが甘いもの好きだと、
どうしても、子どもも甘いものを食べたがる傾向が強い。
それがいいとか悪いとかではなく、ただ、
虫歯の原因は、やっぱり甘いものの過剰摂取によるところが大きい。


妊娠中、悪阻がヒジョーにきつかったわたしは、ふだん大好きなコーヒーも紅茶もダメ!

砂糖も摂取すると、口のなかが酸っぱくなって気持ちが悪い。
だから、結果的に、マクロビオティックの教科書みたいな食生活がいちばん楽だった。
動物性はあまり摂れず、ほぼ玄米と胚芽入りの小麦粉で自分で焼いたパンが主食。
おかずは、畑の野菜と海藻や高野豆腐、ゆばなどの乾物が多かったなあ。
だから、妊娠中から砂糖の摂取はとても少なかった。



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長男をみごもった時は、アメリカの山のなかで、ほとんど買い物しない生活だったので、
妊娠したとたんに、
「うなぎー!寿司ー!ハンバーグー!」
頭のなかには、いつもうな丼と寿司の映像が浮かんでいたので、本気でだんなに、
「ねえ、野原に住んでるガラガラ蛇ってさあ、皮をむいてタレをつけたら、うなぎの蒲焼風にならんかね?」
と問うた。

さすがにダンナも哀れに思ったのか、
山のふもとの町まで降りてひき肉を買ってきて、パンを焼いてハンバーガー作ってくれたわ。

   
 3歳までは砂糖ではなく自然な甘みで満足させる!

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                           娘が作ったさつまいものお菓子

植物性の栄養が主で育った胎児たちも、健康に生まれ育ってくれた。
離乳はどの子も遅めで、1歳半ぐらいまでは離乳食と平行してお乳もチョビチョビあげていた。


味覚というのはとっても繊細なのもので、いったん濃い味を覚えると、
薄い味、自然な味わいを感知しにくくなる。

子どもにとって、人生お初の甘みとは、母乳。あるいは粉ミルク

母乳ってなめてみたことある?

思ったよりずうっと甘いよお。
その甘さは、澄んだ甘さ。そうね、米と麹で作った甘酒をううんと薄めた感じに似てるかなあ?
ミルクっぽいこってり感がないね。

よく赤ちゃんにヤクルトとかあげてるばあちゃんがいるけど、
かわいくてしかたないっていう気持ちはわかるけど、飲ませないほうがいいな。
砂糖がたっぷり入ったお菓子や飲み物の味になれてしまうと、もう自然な甘みを感知しなくなる。

子どもたちの離乳食は、かぼちゃと玄米がメインだった。

よく熟れた栗かぼちゃと、ふっくら炊いてとろとろにした玄米。
どちらも自然な甘みがある。

だから、赤ちゃんは大好きだったよ。

お乳を離れて、幼児期にさしかかっても、おやつはほぼ手作りで通してきた。

かぼちゃやにんじん、レーズンや、小麦粉、玄米がもっている甘みを駆使して、
もの足りないなあ、と思うぶんだけ、ひかえめに、蜂蜜や、ブラウンシュガー、てんさい糖を使って、
手間隙かけずに思い立ったらすぐできる、かんたんドーナツや、かんたんケーキを毎日作った。

離乳食もおやつも、気合を入れると長続きしないので、
ぱぱっと簡単に作れるほうがいい。

とにかく、市販のお菓子はできるだけ買わない方向でやってきた。


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水の味がわかる子ども

正しいからといって、正しいことを押しつけたら毒になる!
ということ。

玄米菜食、砂糖ぬきのお菓子。ばかりじゃあ、子どももイヤになるときがくる。

イイ加減が大事!

学校給食も拒否して子どものためにいっしょうけんめい、毎日、玄米弁当を作り続けたお母さんに、
子どもが反発して家から離れてしまった事例もある。

お母さんが砂糖を家におかない家庭の父と子らが
カフェで砂糖つぼの砂糖をべろべろなめている現場に出くわしたこともあるよー。

マクロや自然食さえ与えておけば子どもは健康、というのではなく、
こどもたちが何を望んでいるのか、
こどものこころの健康を第一に考えて
イイ加減にかまえて子育てするのがいいみたい.






砂糖や化学調味料を使わない食生活で育ててきたせいか、
子どもたちは、自然な野菜の甘みや、水の味のちがいがわかる。

ただし、小学校高学年くらいになってきたら、
市販のお菓子やカップラーメンなど、子どもが「食べてみたい」と言ったものは、
わたしは否定せずに買って食べさせてきた。

幼児期に味覚がしっかり決まっていれば、極端な味付けのお菓子やカップラーメンを、
刺激てきー!とおもしろがるけれど、
毎日食べたいとは言わない。

ほんもの、自然な味、が身についていれば、人工的な味を心底美味しいとは思えないからだ。

子育てでもっとも気をつけないといけないのは、





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小川糸さんの「食堂かたつむり読みました。

料理の力とひとの優しさ、つながりの深さを感じる、さわやかな作品だったなあ


読み進むうちに、もしかして、もしかして、、、と思っていたら、

予想があたって、エルメスが食べられてしまうことに!


悲しくて、でも、どうしようもない。

なにかの命を奪って

わたしたちは生きている。


だけど、エルメスのすべてを悟ったかのような

瞳を思い浮かべると、

イヤダ、イヤダ!助けてあげて。

身もだえするような気持ちで読んだよー。



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アメリカに住んでいたころ、

私たちが暮らしていた私有地は長野県くらいの広さの国有林のなかにあったので、

野生の鹿やコヨーテ、熊やふくろうもいっぱい棲んでたの。


それで、時々、友人の先住民たちが遊びに来て、鹿狩りをしていった

アメリカの大地の真の住人であるはずの彼らは、先祖代々受け継いできた狩猟という生きる道すら奪われている。


白人ハンターたちが遊びで鹿狩りをしに山へやってくると、

森には何発もなん発も、必要以上に撃ちならされる鉄砲の音がこだました。


その音を聞くと、子どもたちはおびえ、犬は悲しい目をして森をみつめたものだ。


でも、アメリカ先住民たちの狩りは、ゲームじゃない

それは聖なる儀式だった



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狩りに出る朝、彼らはセージの煙で全身を清め、

祈りの言葉だけを唱えて森に入る。


すると、まるで彼らを待っていたかのように

一匹の鹿と出会った。


「オレが5歳のとき、おやじは鉄砲の撃ち方を教えてくれた。

いいか、サンダー、玉は一発だけ。頚動脈を狙え。いのちを捧げてくれる動物たちを無駄に苦しめてはいけない。」


サンダーはベトナム戦争で使われたことがあるというスコープつきのライフルを身構え、一発で鹿を射止めた。

 ほとんど苦しむこともなく、鹿は土の上に倒れた。


彼らは祈りの言葉をつぶやきながら、鹿の頭をよく磨いだナイフで切りはなすと土に埋めた。


鹿の魂が生まれた森とともにあるように

そう、願いながら。


そして鹿の腹を切り裂き、湯気をたてるまだ熱い心臓を取り出して

その肉を少しだけ切り分け、血のしたたるナマの心臓をハンター達が口にした。


鹿のいのちが我らとともにあるように

そう、願いながら。


スーパーで売られているお肉は、顔の見えない肉だ。

だからカレーにしたり、ステーキで焼いて なんの罪の意識も感じず、嫌悪も感じずに食べることができる。


わたしは肉食女子ではなく、草食オババだけど、

肉を食べることが罪だとはけっして思わない。


ただ、かたつむり食堂の倫子のように

愛するいのちを自らの手で屠り、

その肉も血もけっして無駄にしないように

自分たちのいのちにつなぐこと。

感謝を愛と慈悲のこころで


せめて、食べる前に


ありがとう

あなたのいのちをわたしにつなぎます


そう感謝してお肉もお魚も、白菜も食べていこうと思っている。





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