3月13日の夜からの出来事。
僕らのお手伝いをしてくれた教習生6名様たちが14日途中で強制転校でチェックアウトすることになったと聞いた。彼らは僕らといたいと言ってくれた。その気持ちだけはすごく嬉しかった。
それから2日間止まっていたエレベーターが1台だけ動けるようになった!もう1台は大地震で歪んでしまい修理しないとダメな状態。でも修理する人手も部品も無いため未だ保留中。その日の夜は水も出ない中一階のレストランバーでお別れお疲れ様会を開いた。その時の僕らの口癖は水は出ないけど酒はあんだよなあ だった。
彼らとの再会を誓い楽しい一時は静かに幕を閉じた。その時に教習生たちが買いすぎた食料置いていきますといただいた食料は今もたくさん残っている。
僕と伊東はこの日の夜はフロントのソファーで寝ることにした。
不安な朝がようやく開け朝7時に教習生たちを乗せて帰る教習所の送迎車が来た。
車が見えなくなるまでみんなで手を振ってお見送りした。
14日夜は応援部隊が更に増えるとのことで昼間は上階まで壊滅した部屋の直しをやった。 懐中電灯の電池を買いたくても店もやってない。。。万一ホテルが停電したら。。お客様の気持ちを考えると不安だった。
その時はひと部屋ずつ回って対応する覚悟を決めていた。
この頃から、応援部隊と被災者のお客様のみになったがそれでもホテルは満室だった。
水もない食料もない掃除も出来ない歯ブラシやシーツとかはフロントのロビーで新しいのを持って行ってもらう。
ホテルとしては全く機能していない状態でも、地震でビクともしなかったいわきプリンスホテルとソレイユは僕らもお客様も安心して泊まれた。
14日頃から近くにある原発の状況が悪化してきた。
外にはいわき市の宣伝カーが昼間中ずっと屋内退避するようにと回っていた。
(つづく)
それから2日間止まっていたエレベーターが1台だけ動けるようになった!もう1台は大地震で歪んでしまい修理しないとダメな状態。でも修理する人手も部品も無いため未だ保留中。その日の夜は水も出ない中一階のレストランバーでお別れお疲れ様会を開いた。その時の僕らの口癖は水は出ないけど酒はあんだよなあ だった。
彼らとの再会を誓い楽しい一時は静かに幕を閉じた。その時に教習生たちが買いすぎた食料置いていきますといただいた食料は今もたくさん残っている。
僕と伊東はこの日の夜はフロントのソファーで寝ることにした。
不安な朝がようやく開け朝7時に教習生たちを乗せて帰る教習所の送迎車が来た。
車が見えなくなるまでみんなで手を振ってお見送りした。
14日夜は応援部隊が更に増えるとのことで昼間は上階まで壊滅した部屋の直しをやった。 懐中電灯の電池を買いたくても店もやってない。。。万一ホテルが停電したら。。お客様の気持ちを考えると不安だった。
その時はひと部屋ずつ回って対応する覚悟を決めていた。
この頃から、応援部隊と被災者のお客様のみになったがそれでもホテルは満室だった。
水もない食料もない掃除も出来ない歯ブラシやシーツとかはフロントのロビーで新しいのを持って行ってもらう。
ホテルとしては全く機能していない状態でも、地震でビクともしなかったいわきプリンスホテルとソレイユは僕らもお客様も安心して泊まれた。
14日頃から近くにある原発の状況が悪化してきた。
外にはいわき市の宣伝カーが昼間中ずっと屋内退避するようにと回っていた。
(つづく)
3月11日からのつづき
無料で食料を僕らでできる範囲で出したりして お客様全員と寒さも不安も共有しながら 夜10時以降に私の判断で客室へ一組ずつ非常階段を上り下りしご案内した。
足腰が筋肉痛でも味わったことのないくらいの痛みになったが、死ぬか生きるかの状態なので何ともなくただひたすらお客様を安心して寛いでほしい一心で動いた。
日付が変わっても僕ら2人は寝ることは無かった。万一の場合でもお客様を避難させる為には寝れない使命があること。もう一つの理由は外国人のお客様が地震で部屋へ戻りたくないと、ずっと無料送迎車2台の中かフロントのテレビの前にいたからだ。
日付が変わって12日の朝四時頃に部長が出勤してくれた。お蔭で僕ら2人も2時間くらい仮眠をとることができた。とは言っても余震の度に起きてしまっていた。
一般のお客様は12日の朝にはほとんどチェックアウト。もともとあった予約の99%は連絡も無く朝まで来なかった。
その代わり電気工事関係の応援部隊たちの予約が一気に入ってきた。
ホテルのお客様は帰りたいけど電車もバスも高速道も全てストップしてて帰れなくなったか、応援部隊か、地震直後の津波で家が無くなってしまったか。この3通りのお客様のみ。
いや あと大事な彼らがいた。自動車学校の教習所の合宿生6名様。彼らは僕らにお礼がしたいと手伝わせてくれと志願してきた。
津波の被害を受けた従業員が仕事だからとナイトフロントに来てくれたおかげさまでお客様たちの水くみに給水所まで行けることになった。2人でやった水くみが彼らのおかげで8人に!ダンボールなどにビニールをかけて水をくんでは客室のバスルームにあけまくった。飲めるようにと何度も水くみ行き終わったあとはバスの風呂桶にあけずそのまま置いた。
この場を借りて感謝の言葉を…相葉唯さん池内僚太くん今関達也くん柏山奈津美さん柏山有希さん小林萌子さん、みんなありがとうございました。君らと会社立ち上げたいと本気で思いました。
みんなで今の状況を乗り越えて頑張りましょう! 13日、14日とホテル営業を続け、どんどん生活環境が悪くなる中、お客様から感謝のお手紙とお言葉をたくさんいただいた。
お客様がいる限り最善を尽くすのが僕らの使命。僕らに感謝の言葉をかけてくれるお客様がいる限り営業し続けた。ちなみに大地震直後から携帯もホテルの電話も他へかけることはできなかった…(つづく)
足腰が筋肉痛でも味わったことのないくらいの痛みになったが、死ぬか生きるかの状態なので何ともなくただひたすらお客様を安心して寛いでほしい一心で動いた。
日付が変わっても僕ら2人は寝ることは無かった。万一の場合でもお客様を避難させる為には寝れない使命があること。もう一つの理由は外国人のお客様が地震で部屋へ戻りたくないと、ずっと無料送迎車2台の中かフロントのテレビの前にいたからだ。
日付が変わって12日の朝四時頃に部長が出勤してくれた。お蔭で僕ら2人も2時間くらい仮眠をとることができた。とは言っても余震の度に起きてしまっていた。
一般のお客様は12日の朝にはほとんどチェックアウト。もともとあった予約の99%は連絡も無く朝まで来なかった。
その代わり電気工事関係の応援部隊たちの予約が一気に入ってきた。
ホテルのお客様は帰りたいけど電車もバスも高速道も全てストップしてて帰れなくなったか、応援部隊か、地震直後の津波で家が無くなってしまったか。この3通りのお客様のみ。
いや あと大事な彼らがいた。自動車学校の教習所の合宿生6名様。彼らは僕らにお礼がしたいと手伝わせてくれと志願してきた。
津波の被害を受けた従業員が仕事だからとナイトフロントに来てくれたおかげさまでお客様たちの水くみに給水所まで行けることになった。2人でやった水くみが彼らのおかげで8人に!ダンボールなどにビニールをかけて水をくんでは客室のバスルームにあけまくった。飲めるようにと何度も水くみ行き終わったあとはバスの風呂桶にあけずそのまま置いた。
この場を借りて感謝の言葉を…相葉唯さん池内僚太くん今関達也くん柏山奈津美さん柏山有希さん小林萌子さん、みんなありがとうございました。君らと会社立ち上げたいと本気で思いました。
みんなで今の状況を乗り越えて頑張りましょう! 13日、14日とホテル営業を続け、どんどん生活環境が悪くなる中、お客様から感謝のお手紙とお言葉をたくさんいただいた。
お客様がいる限り最善を尽くすのが僕らの使命。僕らに感謝の言葉をかけてくれるお客様がいる限り営業し続けた。ちなみに大地震直後から携帯もホテルの電話も他へかけることはできなかった…(つづく)
2011年3月11日東北関東大震災といわきプリンスホテル
昼間の外回りの仕事を終え昨日フロントの女の子のバナナを食べちゃったお詫びにバナナを買っていわきプリンスホテルへ戻ってきた。車を降り立った瞬間『プオプオプオ
』んっ緊急地震速報?!事務所にいた女性フロントを軽い揺れの状態から無理矢理引っ張り出し外へ避難した。
この引っ張り出した女性はバナナを食べちゃった件の彼女…最近結婚して妊娠1ヶ月の妊婦でもある。目の前にある大型スーパーマルトとホテルの間の道路上に避難した。電柱もホテルも有り得ないぐらい揺れている、屋上のネオンは揺れに耐えきれず弾け飛んだ。雨水の流れるパイプは10階から6階くらいまでちぎれて道路に倒れバラバラに砕け散った。
揺れが想像以上に大きい上に長い時間だった。この時の揺れ、後で知ったいわき震度は6強。地震の最中 社長はレストランのワインセラーを押さえていたら棚の上のお酒からグラスから全部床に落ちてきて、終わったと思ったとのこと。部長は館内8階にて客室点検の最中で揺れの大きさとフロアの壁が割れる音で あっ終わったと思ったとのこと。フロント伊東勇樹は当館2階の自分の部屋でお風呂にお湯を貯めてる最中で地震が来てお風呂のお湯が風呂桶から激しく飛び出してかなり焦ったとのこと。
すぐさま10階まで非常階段で駆け上がり状況確認した。幸い地震が起きた時刻にはお客様は誰もいなかったのでホッとしたが、上階の部屋の状態は壊滅状態、地震対策に固定したテレビが乗ってる机ごと倒れていた。ベッドの上は全く無傷の状態だった。
地震直後のホテルの状態は、暖房も出ない、お湯が出せない、エレベーター2台とも停止。ガスも点検するまでは使えない。水は断水により貯水漕が空になれば終わり。
この日の夕方ナイト担当のフロントから連絡が入った。海沿いの従業員からだ。避難所から帰ることもできないので出勤は難しいと。この従業員から後で想像を絶する海沿いの被害を聞くことになる。
この日からナイトフロントは僕と伊東勇樹の2人。昼間は倒壊した部屋を部長らと直し夜はナイトフロントをやった。
今日は夜10時頃まで余震の地震が不安でフロントやロビーにお客様全員避難した。不安な顔色を浮かべるお客様たちに僕らが出来ることは笑顔を絶やさないこと、寒いからホッカイロや毛布を配り、お酒飲みたい人には無料でお酒を入れてあげたり、お腹すいてる人には無料であるだけの食料を…(つづく)

この引っ張り出した女性はバナナを食べちゃった件の彼女…最近結婚して妊娠1ヶ月の妊婦でもある。目の前にある大型スーパーマルトとホテルの間の道路上に避難した。電柱もホテルも有り得ないぐらい揺れている、屋上のネオンは揺れに耐えきれず弾け飛んだ。雨水の流れるパイプは10階から6階くらいまでちぎれて道路に倒れバラバラに砕け散った。
揺れが想像以上に大きい上に長い時間だった。この時の揺れ、後で知ったいわき震度は6強。地震の最中 社長はレストランのワインセラーを押さえていたら棚の上のお酒からグラスから全部床に落ちてきて、終わったと思ったとのこと。部長は館内8階にて客室点検の最中で揺れの大きさとフロアの壁が割れる音で あっ終わったと思ったとのこと。フロント伊東勇樹は当館2階の自分の部屋でお風呂にお湯を貯めてる最中で地震が来てお風呂のお湯が風呂桶から激しく飛び出してかなり焦ったとのこと。
すぐさま10階まで非常階段で駆け上がり状況確認した。幸い地震が起きた時刻にはお客様は誰もいなかったのでホッとしたが、上階の部屋の状態は壊滅状態、地震対策に固定したテレビが乗ってる机ごと倒れていた。ベッドの上は全く無傷の状態だった。
地震直後のホテルの状態は、暖房も出ない、お湯が出せない、エレベーター2台とも停止。ガスも点検するまでは使えない。水は断水により貯水漕が空になれば終わり。
この日の夕方ナイト担当のフロントから連絡が入った。海沿いの従業員からだ。避難所から帰ることもできないので出勤は難しいと。この従業員から後で想像を絶する海沿いの被害を聞くことになる。
この日からナイトフロントは僕と伊東勇樹の2人。昼間は倒壊した部屋を部長らと直し夜はナイトフロントをやった。
今日は夜10時頃まで余震の地震が不安でフロントやロビーにお客様全員避難した。不安な顔色を浮かべるお客様たちに僕らが出来ることは笑顔を絶やさないこと、寒いからホッカイロや毛布を配り、お酒飲みたい人には無料でお酒を入れてあげたり、お腹すいてる人には無料であるだけの食料を…(つづく)